第二十一話、少し話したいことがあります
第二十一話です。
少しずつ温度を失っていったやり取りの先で、結衣から一件の通知が届きます。
「少し、話したいことがあります」
その短い言葉をきっかけに、蒼汰と結衣の関係は大きな転機を迎えます。 ここから物語は、静かに、けれど確実に動き出します。
そんなある日のこと、彼女から一件の通知が来た。
『少し、話したいことがあります』
文面こそいつも通りの短さだったが、そこには日常の断片を共有する時のような、あの柔らかな余白は一切残されていなかった。
数秒ほど発光する画面を見つめたあと、画面に表示されているアイコンをなぞった。
耳元で鳴り続ける呼び出し音は、回数を重ねるごとに重苦しく、普段よりもずっと長い旅をしているような錯覚を覚える。
ようやく、細い電子音が通話の開始を告げた。
「こんばんは。……少しだけ、お時間いいですか」
「大丈夫です」
短く返すと、そのまま言葉が落ちる。互いに何かを選びかけて、選ばないまま、数秒だけ沈黙が続いた。
「……やっぱり、ちゃんとお伝えした方がいいと思って」
息を整える微かな気配。意を決した彼女の覚悟が、電波に乗って肌に伝わってくる。
「このまま、今までどおりの関係を続けていくことを……」
そこで、言葉が一度止まった。通話の向こうで、小さく息を吸う音がする。
「……やめようかと思います」
一瞬、その意味が理解の枠外へ弾かれた。遅れて届いた衝撃を、努めて冷静な言葉に置き換えて確認する。
「……終わりにしたい、ということでしょうか」
引き止めるためではなく、ただ彼女が提示した結論を、そのままの形で受け取るために問いかけた。
彼女は、すぐには答えなかった。
ほんの短い沈黙のあとで、
「……はい」と、消え入りそうな声が返ってきた。
通話の向こう側では、日常の音が途切れることなく続いていた。遠くを通過する電車の轟音。低く唸る空調の振動。どこかの部屋で誰かが扉を閉める乾いた音。
世界はさっきまでと何一つ変わらずに動いているのに、彼女が口にしたあの一言だけが、どこにも繋がらずに宙に浮いている。
体調の問題、あるいは仕事や将来への不安。理由として成立しそうな仮説は、いくらでも頭の中に並べることができた。
けれど、それらをいくら積み上げても、今聞いた彼女の声の温度とは噛み合わなかった。
理由はあるはずだ。ただ、それをこちらが求めることは、彼女にもう一度説明させることになる。
そこまで考えて、言葉が止まった。
――なぜ。
その言葉が、喉の奥まで上がる。理由を聞くことはできた。聞けば彼女はきっと何かを答える。
体調のこと、これからのこと、自分に負担をかけたくないということ。どれも理由としては成立するけれど、どれも違う気がした。
理由が分かれば納得できる。そんな単純な話ではないことだけは、もう分かっていた。
彼女を引き止めるための言葉も、いくつか浮かんだ。
何があっても君を見捨てない。
考え方次第だ。
大丈夫だ。
全部、どうにかなる。
どれも意味は通る。
言えば、それなりに形にはなるけれど、そのどれもが彼女の前に置くには軽すぎた。
彼女がどれだけの時間をかけて、この言葉を選んだのかも分からないまま、こちらの都合で安心させるような言葉を並べるのだけはやるべきではない。
整っているのは形だけだった。誰にでも言える構文のような言葉は、誰の心にも届きはしない。
――だから、使えない。
そこで止まる。
引き止めたいのか、理由を知りたいのか。それとも、ただ自分が納得したいだけなのか。
引き止める言葉の形をしていても、それが自分の不安を処理するためのものなら、彼女に渡していいものではない。
そこが切り分けられない以上、何を言っても、彼女に何かを背負わせるだけになる。
そう判断を下した瞬間、携帯電話の向こう側には、救いようのない沈黙だけが残された。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
今回は、結衣が蒼汰に関係の終わりを告げる場面でした。
理由を聞きたい。 引き止めたい。 大丈夫だと言いたい。
蒼汰の中には、いくつもの言葉が浮かびます。 けれど、そのどれもが彼女のためではなく、自分が納得するための言葉になってしまうかもしれない。
だから、使えない。
この回では、蒼汰の「踏み込まない誠実さ」が、初めて彼自身を苦しめる形で表れています。
次回、蒼汰がなぜ「理由を聞くこと」を恐れるのか、その過去が少しだけ明かされます。




