第3話 宮廷魔術師長、初級火球で爆発させる
「宮廷魔術師長のガルド様が……王城で暴発事故を起こしたそうです!」
伝令の教師が悲鳴のように叫んだ言葉に、暗闇の廊下にいた全員が息を呑んだ。
宮廷魔術師長ガルド・ヴァイスといえば、王国でも一、二を争う魔力を持つとされる天才だ。
どんな高度な自動魔法でも、短い起動句一つで易々と引き出してみせる。
彼が魔法を失敗するなど、誰も想像すらしたことがなかった。
「……ええい、騒ぎ立てるな! ただの些細なミスだ!」
廊下の奥から、苛立たしげな怒声が響いた。
重い足音と共に現れたのは、豪奢なローブを身に纏った長身の男――ガルド本人だった。
だが、普段の隙のない姿とは程遠い。
自慢の金糸の刺繍が施されたローブの袖は黒く焦げ、顔にはうっすらと煤がついている。
「ガ、ガルド様! なぜ王城からわざわざ学院へ……」
オルグレン学院長が慌てて歩み寄るが、ガルドはそれを鬱陶しそうに手で制した。
「王城の魔灯がすべて落ちた。大魔導基盤の主幹がここにあると聞いて様子を見に来たが……なんだ、この有様は。学院の教師ともあろう者たちが、暗闇で震えているだけとはな」
ガルドは鼻を鳴らし、暗闇の中で微かな光を放つミリアの手元――そして、俺を見た。
「ユーリス。古典詠唱科の生き残りか。貴様、さっきから何を偉そうに講釈を垂れている」
「事実を教えているだけです。自動魔法は止まった。原因が解決しない限り、もう起動句では火一つ出せない、と」
俺が淡々と答えると、ガルドは苛立ちを募らせたように杖を床に突き立てた。
「馬鹿馬鹿しい。《アルカナ》が眠ったのなら、直接魔力を練り上げれば済む話だ。手動詠唱など、魔力の流れを口にするだけの児戯に過ぎん。貴様らが魔法の基礎すら忘れた腑抜けなだけだろう」
ガルドは本気でそう信じているようだった。
《アルカナ》が、どれほど複雑な工程を肩代わりしてくれていたか。
自分の「才能」が、どれほどその補助の上に成り立っていたものかを知らずに。
「見ているがいい。王城では少し魔力調整を誤っただけだ。手動だろうと、この俺に扱えぬ魔法などない」
ガルドが杖を構える。
その先端に、莫大な魔力が集束し始めた。
「やめなさい、ガルド殿」
俺は鋭く制止した。
「今のあなたには、安全弁の構築が抜けている。ここで力任せに魔法を使えば――」
「黙れ、三流教師が! 俺に指図するな!」
忠告を無視し、ガルドは強引に魔力を編み上げようとした。
「我が魔力よ、炎となれ! 集いて敵を穿て――『火球』!」
ガルドの杖の先端に、赤黒い炎の塊が生まれた。
凄まじい熱量が周囲の空気を焼き、廊下の気温が一気に跳ね上がる。
「ほおら見ろ! 手動詠唱など、この通り――」
得意げに笑おうとしたガルドの顔が、直後に引き攣った。
ボォォォンッ!!
炎の塊が、不気味な音を立てて異常に膨張し始めたのだ。
「な、なんだこれは……!? おい、収まれ! 『縮小』! 『待機』!」
ガルドが慌てて起動句を叫ぶが、炎は一切の制御を受け付けない。
《アルカナ》の補助がないのだ。言葉だけで魔法が言うことを聞くはずがない。
制御を失った莫大な魔力が、形を保てずに暴走を始める。
このままでは炎が爆発し、廊下にいる生徒たちを巻き込んでしまう。
「きゃあああっ!」
「逃げろ! 爆発するぞ!」
生徒たちが悲鳴を上げて後ずさる中、俺は静かに一歩前へ出た。
暴走まで、あと二秒。
(……魔力指定、同調。属性、水冷。相殺式、構築)
俺は杖も抜かず、素手でその膨張する炎の塊に触れた。
「――散れ」
短い手動詠唱。
俺の指先から流れ込んだ冷気が、ガルドの炎の構造を内側から食い破る。
シュウゥゥゥ……ッ!!
けたたましい蒸気の音と共に、爆発寸前だった炎の塊は一瞬で霧散し、ただの熱風となって廊下を吹き抜けた。
静寂が戻った暗闇の中で、ガルドは呆然と宙を見つめていた。
「な、ぜだ……。俺は、完璧に魔力を練ったはずだ……」
へたり込みそうになる彼を見下ろし、俺は背後の生徒たちへ振り返った。
暗闇の中、ミリアの灯火だけが俺たちを照らしている。
「さて、生徒諸君。今の宮廷魔術師長の魔法が、なぜ暴発しかけたのか。分かる者はいるか?」
生徒たちは顔を見合わせ、やがてミリアが恐る恐る手を挙げた。
「ええと……火の魔法なのに、出す先……『座標』が決まっていなかったからでしょうか?」
「正解だ。他にもあるか?」
俺の問いに、今度は先ほどまで怯えていた男子生徒が答えた。
「さっき先生が言っていた、『安全弁』ですか? 燃やしてはいけないものの区別がついていなかった……」
「その通りだ、よく理解しているな」
俺は頷き、床に膝をつくガルドへ視線を戻した。
「聞いた通りです、ガルド殿。あなたは魔力を集め、ただ熱を生み出しただけだ」
自動魔法は、術者が起動句を叫んだ瞬間、魔力測定、属性選択、座標指定、出力調整、安全弁設定という複雑な工程を一瞬で補助していた。
「器を持たない水が散らばるように、制御を持たない魔力は暴走する。あなたが王城で爆発を起こしたのも、先ほど暴発しかけたのも、基礎的な術式の構築を《アルカナ》に丸投げしていたからです」
俺の言葉が、容赦なく静かな廊下に響き渡る。
「あなたは魔法を使っていたのではない。使わせてもらっていただけだ」
ガルドの顔が、羞恥と屈辱で真っ赤に染まった。
言い返そうと口を開くが、声が出ない。
彼は優秀な魔術師だ。だからこそ、俺の指摘と生徒たちの言葉が、一切の反論の余地がない「真実」であることを理解してしまったのだ。
「……くそっ……!」
ガルドはギリッと唇を噛み締め、床を強く叩いた。
自分が見下していた基礎が、いかに重要であったか。
それを、自分が侮蔑していた古典詠唱科の教師と、見習いの子供たちに教えられたのだ。
彼が悔しさに打ちひしがれている、その時だった。
「だ、誰かいませんか! ユーリス先生はいらっしゃいますか!」
廊下の階段を駆け上がってくる、切羽詰まった足音。
現れたのは、真っ青な顔をした王立治癒院の神官だった。
「どうした。怪我人か」
俺が問いかけると、神官はすがりつくように叫んだ。
「治癒院が……パニック状態です! 聖女セレスティア様の治癒魔法が、まったく発動しなくなってしまって……重症の患者たちが……!」
新たな障害の連鎖。
王国が手放した代償は、いよいよ人々の命を脅かし始めていた。
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