第26話 教師と開発者
複合障害の試験。
その恐るべき力を見せつけたゼクスは、虚空からゆっくりと俺たちの前へ降り立った。
「……見たか。人間は、便利さを与えれば必ず堕落する。百年前も、そして今もだ。お前たちのその小さな『学び』など、この絶望的な暗闇の前では何の役にも立たない」
ゼクスは機械化された腕を振るい、冷酷に言い放つ。
彼にとって、人類はすでに自律性を失った失敗作でしかない。
だからこそ、彼自身がシステムを停止させ、この愚かな歴史に終止符を打とうとしているのだ。
俺は、彼の絶望に満ちた赤い義眼を真っ直ぐに見据えた。
「確かに、人間は便利さに流されやすい。王国の上層部がしでかしたことは、あなたの言う通り、思考の放棄そのものです」
「ならば、なぜ足掻く。お前もあの愚か者どもから追放された身だろう。私と共に、この腐りきった魔法社会を壊せばいい」
「お断りします」
俺は間髪入れずに即答した。
「人間は間違える。ですが、間違えるからこそ、教える人間――教師がいるんです」
ゼクスが怪訝そうに眉をひそめる。
「あなたの親友であったエルドラも、そう信じていたはずだ。だから彼は、保守者育成機関である古典詠唱科を遺した。……あなたが『人間はもう考えない』と決めつけて見捨てた後も、ずっと」
その言葉に、ゼクスの表情が微かに歪んだ。
「エルドラだと……! あいつは甘すぎたのだ! 結果として、王国はその教育機関を無駄だと切り捨て、最後の教師であるお前を放逐したではないか! それが、あいつの信じた人間の答えだ!」
ゼクスが激高し、周囲の空気がビリビリと震える。
だが、俺は怯むことなく一歩前へ出た。
「ええ、王国は教育を切り捨てました。ですが、学びの火は消えていません。見てください」
俺が背後を指し示すと、そこにはミリア、セレスティア、ガルド、ロイド、そして職人や子どもたちが立っていた。
彼らは誰一人として逃げ出さず、俺の背中を守るように、力強い瞳でゼクスを見返している。
「彼らは、自分たちの意志で学び直し、先ほどのあなたの試練を乗り越えた。彼らはもう、ただ魔法を使わせてもらっていただけの人間じゃない。自分の力で、誰かを守るために思考できる人間だ」
「……ふん。たかだか数十人が理屈を覚えたところで、何が変わる。世界の大半は、まだ思考を放棄したままだ」
「変えてみせますよ。俺が、そして彼らが」
俺は杖を握り締め、ゼクスに向かって宣言した。
「あなたは人間が『便利さ』に負けると言う。だが俺は、人間が『学ぶ喜び』と『自分の力で成し遂げる誇り』を忘れていないと証明してみせる。……エルドラの学統は、ここにある」
ゼクスの赤い義眼が、俺の姿を射抜く。
その瞬間、彼の脳裏に、百年前の親友の面影がフラッシュバックしたのだろうか。
彼は一瞬だけ、本当に一瞬だけ、激しく動揺したように目を見開いた。
「……」
だが、すぐに元の冷徹な表情に戻り、忌々しげに鼻を鳴らした。
「言葉でなら、何とでも言える。……だが、私の絶望は百年物だ。その程度の浅薄な希望で覆るものか」
ゼクスは再び虚空へと浮かび上がった。
「私がアルカナの中枢を完全に不可逆停止させるまで、あと少しだ。お前たちのその『学び』が本物かどうか……中枢で待ってやろう」
ゼクスの姿が、夜の闇に溶けるようにして完全に消え去った。
彼が去り際に放った停止の波が遠くへ広がり、広場には重苦しい沈黙だけが残された。
大陸規模での停止。
それはつまり、他国からの支援も、王都への物資の供給もすべて絶たれたことを意味する。
「大陸中が、止まってしまったのか……」
ロイドが絶望的な声で呟く。
だが、その沈黙を破ったのは、王都の市民たちの声だった。
「おい、ふざけるな! 『完全復旧して元通り』になるんじゃなかったのか!」
「王国の上層部は、今まで何をしていたんだ! 魔法が止まったのも、こんなことになったのも、全部あんたらの怠慢じゃないか!」
怒りの矛先は、ゼクスではなく、広場の隅で震えていた王国調査団やエリート魔術師たちに向けられていた。
市民たちは気づき始めていたのだ。
自分たちを本当に救ってくれたのは、特権にしがみつく無能なエリートではなく、基礎から学び直した『古典魔法塾』の生徒たちであるという事実に。
「俺たちは、基礎からやり直す! ユーリス先生の塾で、もう一度魔法を学ぶんだ!」
「そうだ! 誰かに頼るだけの生活はもう終わりだ!」
市民たちの間に、基礎教育の復活を支持する声が波のように広がっていく。
俺は、その光景を静かに見つめていた。
「ゼクス殿……。あなたは絶望したかもしれないが、人間はまだ、終わっちゃいない」
俺たちの闘いは、いよいよアルカナの中枢へと舞台を移そうとしていた。
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