第24話 百年前の絶望
大中継晶の周囲の空気が、ゼクスの放つ異様な魔力によって重く歪んでいた。
彼が指を鳴らした瞬間、大地が微かに震え、周囲の空間に複数の魔法的障害の兆候が現れ始めた。
だが、ゼクスはすぐには攻撃を仕掛けてこなかった。
彼は杖を構え、警戒を解かない生徒たちを一瞥し、酷く冷たく、そしてどこか哀しげな声で口を開いた。
「……百年前。私とエルドラは、この《アルカナ》を完成させた。それは、人類を過酷な労働や理不尽な死から解放するための、希望の発明だった」
ゼクスの赤い義眼が、空中に浮かぶ巨大な中継晶を見上げる。
「誰もが、短い言葉で火を灯し、水を飲み、傷を癒せる。……だが、結果はどうだ? 人類の大半はたったの十年で、魔法の原理を学ぶことをやめた」
ゼクスの声に、怒りと深い絶望が入り混じる。
「最初の事故は、祝宴だった」
ぽつりと零れたその言葉に、空気が凍った。
「仕組みを知らない貴族が、遊興で気象魔法を重ねた。雨を止め、風を呼び、空を晴らす。ただ『見栄えが良い』という理由だけでな。結果、村の貯水池は干上がり、翌月には多くの子どもが死んだ」
ミリアが息を呑む。
セレスティアも、胸の前で両手を握りしめた。
「だが、誰も術式のどこが危険だったか説明できなかった。起動句が悪かった、魔晶石の質が悪かった、現場の者が祈りを怠った……責任の押しつけ合いばかりだ。力を使った者たちは、自分が何をしたのかすら理解していなかった」
ゼクスの機械の指が、ギリ、と音を立てて握り締められる。
「私はその時、理解した。便利さは人を救うが、理解なき便利さは人を殺す。しかも、殺した本人に自覚すら残さない」
彼の赤い義眼が、再び俺たちを射抜く。
「エルドラは楽観的すぎたのだ。彼は教育制度を作り、魔法学院に保守者育成機関――古典詠唱科を設立して、理を後世に残そうとした。だが、彼の死後、王国はどうした?」
ゼクスは、俺を真っ直ぐに指差した。
「予算を削り、基礎を『時代遅れ』と嘲笑い、ついには最後の教師であるお前を追放して、保守の資格を自らの手で砕いた! これが人間の本質だ。便利さを与えれば、必ず思考を放棄し、自ら破滅への道を歩む!」
彼の絶望は、百年という長い時間をかけて確信へと変わっていた。
だからこそ、思考を捨てた人類から魔法を奪い、すべてを終わらせようとしているのだ。
「王国の愚行については、否定しません。俺もクビにされた身ですからね」
俺が静かに答えると、ゼクスは怪訝そうに眉をひそめた。
「ですが、あなたは絶望するのが早すぎた。人間は間違えますが、学び直すこともできる。現に、彼らは今、自分の頭で考え、この危機を乗り越えようとしている」
俺の背後で、ミリアやガルドたちが力強く頷く。
ゼクスは彼らを見据え、鼻で笑った。
一方、その頃。
王都の薄暗い執務室では、裁量権を剥奪されたバルザック財務大臣が、血走った目で机を叩いていた。
「おお、来たか! 教材メーカーの者どもよ!」
彼の前に、箱いっぱいに詰められた最新の魔法学習用魔道具が運び込まれた。
結界崩壊の件で教育と防衛新事業への裁量権を剥奪されたバルザックだったが、まだ諦めてはいなかった。
(ユーリスの塾など頼る必要はない。この最新の学習教材を使って、私が主導で三十二人の継承者を速成してやればいいのだ! そうすれば、再び私の地位は……!)
「さあ、早くその教材を起動しろ! すぐに宮廷の魔術師たちに配るのだ!」
バルザックが急かすと、教材メーカーの商人は顔を青ざめさせ、震える手で魔道具の石板に触れた。
…………。
石板は、うんともすんとも言わなかった。
「どういうことだ! なぜ動かん! 不良品を売りつける気か!」
「も、申し訳ございません……! これらの最新教材はすべて、《アルカナ》の魔力補助と通信機能によって、幻影や音声を出す仕組みとなっておりまして……」
商人は、泣きそうな顔で土下座した。
「アルカナが眠っている今、これはただの重たいガラス板です。……紙の教科書すら、自動翻訳の機能に頼っていたため、今はただの暗号の羅列でして……」
「なっ……」
バルザックは絶句し、手の中の石板を取り落とした。
彼が癒着し、莫大な予算を注ぎ込んできた「最新の教育」は、すべて《アルカナ》の存在を前提とした砂上の楼閣だったのだ。
基盤が止まった今、それらは文字通り、紙屑同然のゴミでしかなかった。
「ああ……ああああっ……!!」
バルザックの絶望の叫びが、虚しく執務室に響き渡った。
「……なるほど。お前の言う通り、確かにこの者たちの目には、まだ思考の光が残っているようだ」
大中継晶の広場。
ゼクスは、ミリアたち生徒の姿を見て、微かに目を細めた。
「だが、お前たちの小さな教室の光だけで、この暗闇を照らせると思っているのか?」
ゼクスが義眼を赤く輝かせ、機械の腕を天高く掲げた。
「数人、数十人が学び直したところで、世界の大半はまだ眠ったままだ。王都の外では、今この瞬間も、起動句しか知らぬ者どもが暗闇の中で泣き叫んでいる」
彼の言葉に、背後の王国役人たちが息を呑む。
「ならば、その希望が本物か、試させてもらおう」
ゼクスの機械の指が、大中継晶へ向けられた。
巨大な結晶の内部に、赤黒い光が走る。
それは大陸全土へ放たれる破滅の波ではなかった。
まずは、この大中継晶の周辺系統だけを意図的に乱す、限定的な干渉。
だが、それだけでも十分に悪質だった。
足元の石畳が、低く唸る。
周囲に残っていた魔灯の火が不安定に揺らぎ、水路の奥から濁った水が逆流する音が響いた。
広場を守っていた局所結界の表面には細かな亀裂が走り、空気の流れまで狂い始める。
火、水、土、風、結界。
複数の系統が、同時に乱されている。
『――警告。製作者権能による、周辺系統への試験的干渉を確認。範囲は大中継晶周辺に限定。ただし、複数の基礎事象が同時に不安定化しています』
アルナの透明な声が、空間に響き渡った。
「周辺だけで、これか……」
ガルドが額に汗を滲ませ、杖を握り直す。
ゼクスは、静まり返った広場で、俺たちを見下ろして冷酷に微笑んだ。
「王国の上層部は、この程度の障害でもすぐに膝をつく。起動句を叫び、動かぬ機構に命令し、最後には誰かのせいにするだけだ」
彼の赤い義眼が、俺の背後に並ぶ生徒たちを射抜く。
「だが、お前たちは違うと言うのだろう?」
大中継晶の赤黒い光が、さらに強く脈動する。
地面の震えが大きくなり、泥水の気配が足元から迫る。
ゼクスは機械の指を鳴らす直前の形で止め、静かに告げた。
「さあ、第一問だ。お前たちの生徒は、この理不尽な暗闇の中で、何を考え、何を守る?」
俺は背後の生徒たちを振り返った。
ミリアが頷く。
セレスティアが治癒の構えを取る。
ロイドが周囲の子どもたちを後ろへ下げ、ガルドが不敵に笑って杖を掲げる。
職人や衛兵たちも、それぞれ自分の役割を理解した目で前を見ていた。
彼らの瞳には、もう恐怖だけではない。
自分たちで考え、自分たちで世界を支える者の光がある。
「試験の始まりだ」
俺は静かに告げた。
「皆、準備はいいな」
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