第19話 王都大結界、連鎖障害
「……事態は、王国が考えているよりずっと最悪らしいな」
俺が《星の記憶》の幻影に映る黒衣の男――アルカナの共同開発者らしき存在を睨みつけた、まさにその直後だった。
ジリリリリリリッ……!!
王都中に、耳を劈くようなけたたましい警鐘が鳴り響いた。
市場での部分的な崩壊とは比べ物にならない、都市全域へ向けた最大級の非常事態を告げる音だ。
「先生! 外が!」
窓際に駆け寄ったミリアが、悲鳴のような声を上げた。
俺も窓の外、夜空を覆う王都の防衛大結界を見上げる。
「これは……結界の術式そのものが、解体されているのか」
普段は夜空に薄い光のドームとして張り巡らされている大結界。
だが今、その光の網の目が、まるで燃え尽きる糸のように端からボロボロと崩れ落ちていた。
一つの魔力結合が切れると、それに引っ張られて隣の結合も千切れる。恐ろしい速度で連鎖障害が起きているのだ。
『警告。大結界を構成する基幹式に、製作者権限による強制破棄コマンドが実行されています』
アルナの無機質な声が、絶望的な事実を告げる。
「あの黒衣の男の仕業か。……全員、直ちに結界の第一中枢塔へ向かうぞ!」
俺の号令に、教室に残っていたロイド、セレスティア、ガルド、そして職人や子どもたちまでもが一斉に立ち上がり、王都の中心部へと走り出した。
第一中枢塔の広場に到着すると、そこは阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
「『自動復旧』! 『結界再構築』!」
「駄目です、起動句がすべて弾かれます! 仕様にないエラーです!」
王国のエリート魔術師で構成された調査団や正規部隊が、分厚いマニュアルを片手に喚き散らしている。
彼らの頭上では、巨大な石柱から伸びる結界の基幹式が、ドミノ倒しのように次々と崩壊していく。
「ああっ、もう駄目だ! 王都が魔物に飲み込まれる!」
「誰か、誰か助けてくれ!」
起動句を叫ぶしか能のないエリートたちは、想定外の事態を前に完全に思考を停止し、ただ頭を抱えて震えることしかできなかった。
「退いてください。邪魔です」
俺はパニックに陥る調査団を掻き分け、中枢塔の真下へと進み出た。
「ユーリス・クロフト! た、助かった、お前ならこのエラーを直せるだろう! 早く起動句を……!」
すがりついてくる調査団の幹部を、俺は冷たく見下ろした。
「エラーではありません。これは外部からの強制停止命令だ。自動復旧の起動句など、いくら叫んでも無駄です」
「きょ、強制停止……? そんな馬鹿な、では我々はどうすれば……」
「あなた方はそこで見ていなさい。……さあ、皆!」
俺が振り返ると、息を切らして駆けつけてきた塾の生徒たちが、俺の指示を待って整列していた。
「俺一人で全部の術式を繋ぎ直すのは不可能だ。お前たちの力が必要になる。分担して対処するぞ!」
俺は迫り来る崩壊の速度を計算しながら、的確に人員を配置していく。
「ミリア! 結界が崩れた箇所から暗闇が広がり、瓦礫が落ちてきている。灯火を展開し、逃げ遅れた市民の避難経路を確保しろ!」
「はい、先生! 魔力指定、極大……光よ、皆の道を照らして!」
ミリアが広場の高い場所に立ち、両手から巨大で安定した光のドームを放つ。
パニックに陥っていた市民たちが、彼女の光を頼りに安全な方向へ走り始めた。
「セレスティア殿! 避難してきた者の中に負傷者がいる。治癒班を指揮してくれ!」
「分かりました! 神官の皆さん、私に合わせて魔力を編んでください。祈りではなく、技術で命を繋ぎます!」
平服の聖女が、迷うことなく血まみれの現場に飛び込み、手動詠唱による精密な治癒を展開していく。
彼女の背中を追いかけ、治癒院の若き神官たちも必死に魔力を練り始めた。
「ロイド! お前は学院の生徒たちや若手教師を指揮しろ。崩落する瓦礫を風の基礎魔法で逸らし、ミリアの誘導を援護するんだ!」
「任せてください、ユーリス先生! 皆、俺に続け! 魔力は力任せに出すな、流れを意識するんだ!」
若き教師ロイドが、的確な指示を飛ばしながら生徒たちを守る防波堤となる。
そして俺は、中枢塔の基幹式を睨み上げている大男の肩を叩いた。
「ガルド殿。一番の重労働だ。俺が解体されていく術式の構造を解析し、繋ぎ直す。その間、結界の崩壊速度を落とすために、あなたには暴走する魔力の『出力制御』をお願いしたい」
「……フッ。この私を誰だと思っている」
宮廷魔術師長ガルドは、不敵な笑みを浮かべて杖を構えた。
「巨大な魔力を押さえ込むなど、私の十八番よ。お前こそ、もたもたして私の魔力を無駄にするなよ、ユーリス!」
ガルドが膨大な魔力を放ち、崩れゆく結界の基幹式を物理的な魔力の壁で包み込む。
黒衣の男の停止命令と、ガルドの手動制御が真っ向からぶつかり合い、空間が激しく軋んだ。
「今だ……!」
俺はガルドが稼いでくれた数秒の隙を突き、中枢塔の石柱に手を触れた。
解体されていく複雑な術式。
俺はその一つ一つを目視で解析し、自分の魔力で新しい糸を紡ぎ、千切れた結界の網目を手作業で縫い合わせていく。
「な、なんだあれは……!」
「あり得ない……あんな複雑な大規模結界の基幹式を、手動で……補助なしで編み上げているだと!?」
安全な場所で震えていた調査団やエリート魔術師たちが、信じられないものを見る目で俺たちを凝視していた。
だが、驚くのはまだ早い。
ガルドが支え、俺が縫い合わせる。
しかし、黒衣の男が放った停止命令の波は、想像以上に悪意に満ちていた。
一箇所を直せば、別の二箇所が崩れる。
俺とガルドの二人だけでは、手が足りない。
「くっ……! ユーリス、右側の魔力結合が弾けるぞ!」
ガルドが悲痛な声を上げた。
俺の手から離れた結界の右端が、ボロボロと音を立てて崩壊し始める。
このままでは、そこから致命的な穴が開き、王都全体に衝撃が走る。
俺が舌打ちをし、術式を組み直そうとした――その瞬間だった。
「こっちは俺たちが支える! 土の楔を打ち込め!」
「風の魔力で、瓦礫を浮かせろ!」
崩れかける結界の右側に飛び込んでいったのは、エリート魔術師ではない。
市場の職人たちや非番の衛兵、そして、小さな子どもたちだった。
「お前たち……!」
「先生に教わった通りにやるだけだ! 俺たちだって、魔力はあるんだからな!」
職人が土の魔力を練り上げ、崩れ落ちようとする結界の基部に物理的な魔力の支柱を形成する。
衛兵たちが風の魔法でそれを補強し、子どもたちが小さな光や水で周囲の魔力バランスを整える。
単独では、ほんの小さな魔法だ。
起動句しか知らないエリートたちから見れば、児戯にも等しい微弱な魔力。
だが、彼らは魔法の『意味』を理解している。
自分が今、どの部分を支え、何を守るために魔力を出しているのかを完全に把握し、役割を分担していた。
小さな理の積み重ねが、やがて強固な網の目となり、崩壊しかけていた結界の右側を見事に持ち堪えさせたのだ。
「馬鹿な……平民や子どもが、結界の基幹を支えているというのか……」
調査団の幹部が、己の常識が崩れ去る光景を前に、へたり込んで呟いた。
命令を待つしかできなかった大人たちを置き去りにして。
崩れかける巨大な式を前に、塾生たちは誰の指示を待つこともなく、自分たちの頭で考え、自力で夜空を修復し始めていた。
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