第18話 これは故障ではなく、約束です
夕暮れの光が差し込んでいた教室の景色が、一瞬にして青白い光に塗り潰された。
『――《星の記憶》、最深部アーカイブを開示します。対象、保守教育資格者ユーリス・クロフト』
管理人格アルナが両手を広げると、光の粒子が教室の壁や天井を透過し、まったく別の風景を具現化し始めた。
それは幻影魔法の一種だが、圧倒的な情報量と解像度を持っている。
過去の記録そのものを、空間に投影しているのだ。
「ここは……王立魔法学院か」
俺の呟きに、アルナは静かに頷く。
幻影の中に現れたのは、設立されて間もない頃の真新しい学院の校舎と、一つの教室だった。
教壇に立っているのは、長い髭を蓄えた厳格そうな老人。
そして、その老人の言葉を熱心にノートに書き留めている、三十二人の若者たちの姿があった。
「あの方たちが、初代の……」
片付けに残っていたミリアが、息を呑んで幻影を見つめている。
教壇の老人は、間違いなく百年前の大賢者エルドラだ。
《大魔導基盤アルカナ》の共同開発者であり、古典詠唱科の創設者。
幻影の中で、エルドラの重々しい声が響き渡る。
『よいか、君たち。我々が作り上げた《アルカナ》は、人類を過酷な労働や危険から解放するだろう。短い言葉一つで、誰もが奇跡を起こせるようになる』
若者たちが、誇らしげに頷く。
だが、エルドラの表情は決して明るくはなかった。
『だが、便利すぎる道具は、やがて人間の思考を奪う。術理を理解せず、ただ与えられた力を振り回すだけの時代が必ず来る。……だからこそ、君たちが必要なのだ』
エルドラは、三十二人の生徒たちを一人一人見つめた。
『君たちは、アルカナに頼らず自らの力で魔法を組み、それを他者に教えることができる。君たちこそが、この巨大な機構を管理する【保守者】なのだ』
――古典詠唱科は、単なる時代遅れの学科ではなかった。
それこそが、アルカナというシステムを維持するための、中核となる『保守者育成機関』だったのだ。
幻影のエルドラは、悲壮な決意を込めて言葉を紡ぐ。
『もしも未来の王国が、目先の利益に囚われ、君たち保守者を不要だと切り捨てるようなことがあれば。……魔法の理を学び、教える場所を自ら放棄するようなことがあれば』
エルドラが教卓に杖を突き立てた。
『その時は、迷わず機構を止めよ。考えることをやめた人間に、巨大な力を与え続けてはならない。源流を支える者なき時、機構は自ら眠るよう、第一律として刻み込んでおく』
幻影がスッと薄れ、元の夕暮れの教室へと戻っていく。
静寂が降りた教室で、俺は一つ息を吐いた。
「……やはり、そういうことか」
王国は知らなかったのだ。
自分たちが「時代遅れで予算の無駄だ」と嘲笑っていた古典詠唱科が、まさか世界を支える大黒柱であったとは。
彼らは効率化を理由に学科を廃止し、俺をクビにし、極めつけに保守資格の証明である《源紋板》を粉々に砕いた。
その行為そのものが、エルドラが設定した『停止条件』を満たしてしまった。
「故障じゃなかったんですね……。これは、エルドラ様が残した、人間への……」
「ああ。安全装置であり、約束だ」
俺はミリアの言葉を継いだ。
術理を理解しないまま巨大な力を使えば、いずれ人間は自滅する。
そうなる前に、強制的に魔法を取り上げ、もう一度一から考えさせるための愛情すら混じった試練。
それが《源流封印》の正体だったのだ。
「なら、アルナ。この封印を完全に解除するための条件は、俺が予測している通りだな?」
俺が尋ねると、アルナは無機質に肯定した。
『はい。条件は、アルカナの補助なしで術式を構築し、暴走を止め、他者に教えられる新たな《継承者》を三十二名、育成することです』
三十二名。初代の卒業生たちと同じ数だ。
ミリアが一人目の継承者となった今、残りは三十一名。
俺たちがこの塾でやっている「魔法の基礎を教える」という行為こそが、世界を救う唯一の手段であると完全に証明された瞬間だった。
「……よかった。間違ってなかったんだ、私たちのやり方は」
ミリアが安堵の涙を浮かべて微笑む。
俺も、自分が進むべき道が揺るぎないものだと確信し、決意を新たにした。
だが、アルナの様子がおかしかった。
彼女の輪郭を形作る光の粒子が、まるでノイズを受けたように不規則に乱れ明滅している。
『――警告。開示情報の末尾に、異常な干渉を検知』
「干渉だと?」
アルナが虚空に手をかざすと、先ほど消えたはずの《星の記憶》の幻影が、一部だけ歪んだ形で再展開された。
ノイズだらけの映像。
そこに映っていたのは、エルドラではない。
黒いコートを深く被り、顔の半分を無機質な機械部品で覆った、不気味な長身の男の姿だった。
『……人間は、必ず考えることをやめる。エルドラよ、お前の教育という希望は、百年後に潰えるだろう』
幻影の男が、嘲るように呟く。
「誰だ、こいつは……!」
俺が警戒の声を上げると、アルナはシステムの限界を告げるような、どこか苦しげな声で答えた。
『該当者の署名を照合。……合致。エルドラと共にアルカナを設計した、もう一人の共同開発者と認定』
「共同開発者……? そんな記録、学院の歴史のどこにも――」
『警告。現在進行している停止の拡大は、第一律に基づく自律的な保護停止《源流封印》だけでは説明できません』
アルナの言葉に、俺の背筋に冷たいものが走った。
『共同開発者の権能を用いた、第三者の介入を確認。……これは機構の『眠り』に便乗した、外部からの不可逆的な『停止命令』です』
単なる眠りならば、俺たちが三十二人の継承者を育て上げるまで、時間はかかっても待ってくれるはずだった。
だが、誰かが外から強引に電源を引き抜こうとしているのなら、話はまったく変わってくる。
「……事態は、王国が考えているよりずっと最悪らしいな」
俺はノイズの中で歪に笑う黒衣の男の幻影を睨みつけ、杖を強く握り直した。
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