第17話 王女、最後列で聴講する
冒険者ギルドでの混乱から数日。
俺が立ち上げた『古典魔法塾』には、日を追うごとに活気が満ちていた。
「よし、魔力の流れが安定してきたな。ロイド、子どもたちの火花はどうだ」
「はい、ユーリス先生! 全員、安全弁の構築をクリアしました。今は出力を維持する練習に移らせています」
教室内を忙しく駆け回っているのは、王立魔法学院から合流した若手教師のロイドだ。
結界崩壊の際に生徒を庇って負傷した彼は、怪我が癒えるとすぐにこの塾の門を叩き、一から基礎を学び直す道を選んだ。
彼に賛同した数人の若手教師たちも、今はエリートのプライドを捨て、職人や子どもたちと机を並べている。
ミリアやセレスティアも、自分が学んだことを初心者に教えるサポート役として立派に機能していた。
人に教えることこそが、自分自身の理解を最も深める行為だ。
俺が教壇から生徒たちの様子を見守っていると、教室の扉が控えめに開いた。
「あの……授業中、よろしいでしょうか」
入り口に立っていたのは、地味な灰色のフード付きマントを深く被った少女だった。
だが、その立ち振る舞いや、マントの隙間から覗く上質な生地の服は、彼女がただの平民ではないことを如実に物語っていた。
銀髪の少女、フェリシア王女だ。
近衛兵すら連れず、お忍びでやってきたらしい。
「見学か」
俺が尋ねると、彼女は緊張した面持ちで小さく頷いた。
「はい。ここで行われている『学び』を、私の目で直接見せていただきたく……」
王国の頂点に立つ王族の一人が、一介の私塾に直接足を運ぶなど、前代未聞のことだろう。
だが、俺は特別扱いするつもりはなかった。
「構わない。だが、ここは学ぶ意思がある者のための場所だ。貴族だろうと王族だろうと、上座は用意しない。そこにある最後列の空き席に座りなさい」
「……はいっ。ありがとうございます」
俺が冷淡ともとれる態度で指示をしても、王女は不満を漏らすどころか、嬉しそうに目を輝かせて教室の最後列へと向かった。
粗末な丸椅子に腰を下ろし、背筋を伸ばして黒板を見つめる。
俺は授業を再開した。
「自動魔法が止まる前、君たちは火をつけるのも水を出すのも、ただ起動句を唱えて終わらせていた。だが、本当の魔法はそうじゃない」
俺は黒板に、魔力が物質に干渉する際の基礎的な術式図を描く。
「魔力は水だ。術式は、その水を流すための水路。そして君たちの『意思』が、水門を開け閉めする手になる。……水路の形を理解せず、ただ水門を全開にすればどうなる?」
「水が溢れて、周りが泥だらけになっちゃう!」
市場の子どもが元気よく答える。
「その通りだ。だからこそ、自分の魔力が今どこを通って、どんな結果を生み出そうとしているのかを『見る』必要がある。自分の力に責任を持つんだ」
教室の最後列で、フェリシア王女が熱心に羽ペンを走らせている。
彼女は、魔法学院でエリート教育を受けてきたはずだ。だが、このような本質的な「意味」を教えられたことは一度もなかったのだろう。
職人が不器用ながらも魔力を編み上げ、ロイドたち若手教師がそれに真摯に向き合う姿を見て、王女の瞳には静かな感動が広がっていた。
だが、その穏やかな時間は、突如として破られた。
バンッ!!
教室の扉が、今度は乱暴に蹴り開けられた。
踏み込んできたのは、豪奢な服を着た数人の王国役人と、武装した近衛の兵士たちだった。
「授業はそこまでだ、ユーリス・クロフト!」
先頭に立った役人が、傲慢な態度で俺を指差した。
バルザック財務大臣の息がかかった、保守派の残党だ。
「なんだ、騒々しい。ここは教室だぞ」
「ふん! 平民や落ちこぼれを集めて、怪しげな術式を教えていると聞いて来てみれば……。いいか、このような素人に無闇に魔法を教えることは、国家の安全保障を脅かす危険行為だ!」
役人は懐から仰々しい羊皮紙の巻物を取り出し、高らかに宣言した。
「よって、本日ただいまをもって、この『古典魔法塾』を国家の直接管理下に置く! カリキュラムはすべて王宮が指定し、危険思想を持つ教師は即刻排除する!」
教室がざわめく。
子どもたちが怯えてロイドやミリアの背後に隠れ、職人たちが怒りに顔を歪めた。
「つまり、俺から塾を取り上げ、自分たちの都合のいいように利用するということか」
「人聞きの悪いことを言うな! すべては王国の秩序のためだ! さあ、さっさと教壇を明け渡せ!」
兵士たちが武器に手をかけ、威圧するように一歩前へ出る。
だが、俺は微動だにせず、教壇の引き出しから一枚の書類を取り出した。
「お断りします。そして、あなた方にその権限はない」
「なに……?」
「結界崩壊事件の後、俺は王国と正式な契約を結んだ。その中には、『保守教育権限の正式な返還』と『塾の独立性の保障』が明記されている」
俺が契約書を突きつけると、役人は顔を真っ赤にして吐き捨てた。
「ええい、そんな紙切れ一枚で王国の決定を覆せると思うな! 相手は国だぞ! いざとなれば力尽くで――」
「力尽くで、何をするつもりですか?」
凛とした、しかし絶対的な冷たさを孕んだ声が、教室の最後列から響いた。
「なっ……」
役人が声の方向へ目を向けると、そこには、灰色のマントを脱ぎ捨てたフェリシア王女が立っていた。
銀色の髪が、窓からの光を受けて美しく輝いている。
「お、王女殿下!? な、なぜこのようなみすぼらしい場所に……!」
役人は狼狽し、その場に慌てて膝をついた。兵士たちも一斉に武器を収めて平伏する。
フェリシア王女は、彼らを見下ろしながら静かに歩み寄った。
「その契約書には、王室の正式な署名がなされています。それを『紙切れ』と呼び、力尽くで反故にしようというのですか? それはつまり、王家への反逆とみなしても?」
「め、滅相もございません!! 我々はただ、国の秩序を思い……!」
「国の秩序を乱しているのは、あなた方です」
王女の言葉は容赦なかった。
「彼らは、あなた方が見捨てたインフラを、自らの学びによって支えようとしている。それを権力で奪い取ろうなど……恥を知りなさい。直ちに立ち去ることを命じます!」
「は、ははっ……!」
役人たちは逃げるように教室から転がり出ていった。
あっという間に静けさが戻った教室で、生徒たちがぽかんと王女を見つめている。
王女は小さく息を吐き、そして俺に向かって深々と頭を下げた。
「お騒がせして申し訳ありません、ユーリス先生。……ですが、今日ここに来て、私の進むべき道がはっきりと見えました」
王女は教室全体を、そこで学ぶ生徒たちを見渡した。
「魔法は、一部のエリートが特権として独占するものではありません。国民一人一人が仕組みを理解し、自分の意思で世界を良くしていくための力……。私は必ず、この国の教育制度を根本から改革してみせます」
「……期待していますよ、殿下」
俺が微笑んで頷くと、教室からは自然と温かい拍手が沸き起こった。
王国の改革は、すでに少しずつ、だが確実に動き始めている。
「教育とは、管理して閉じ込めるものではありません。上の世代から下の世代へ、技術と意思を『継承』していくものです。……さあ、授業の続きを始めましょうか」
俺の言葉に、生徒たちは再び力強く頷き、机に向かった。
その日の授業が終わり、夕暮れが教室を赤く染め始めた頃。
生徒たちの多くが帰り、ミリアやロイドたち数人だけが片付けに残っていた教室で、黒板を消していた俺の背後に、気配もなく光の粒子が集まった。
『――保守教育資格者、ユーリス・クロフト』
現れたのは、管理人格のアルナだった。
彼女は普段の無機質な態度の中に、ほんの少しだけ急を要するような雰囲気を滲ませていた。
「どうした、アルナ」
俺が振り返ると、光の少女は俺の目を真っ直ぐに見つめて言った。
『あなたに、開示しなければならない過去の記録があります。《星の記憶》の最深部へアクセスを』
========================================




