第15話 ミリア、初めて教える側に立つ
王都から東へ馬車を走らせること数時間。
俺とミリアは、王国の食料庫とも呼ばれる東部穀倉地帯の農村に到着した。
だが、かつては青々とした作物がどこまでも広がっていたはずの農地は、今は見る影もなく荒れ果てていた。
「ひどい……。土がカラカラに乾いて、作物が枯れかかってる……」
馬車から降りたミリアが、ひび割れた大地を見て悲痛な声を漏らす。
《アルカナ》による定期的な自動灌漑が止まったことで、この数日の日照りが直撃したのだ。
さらに、害獣除けの結界も消滅したため、畑のあちこちが猪などの魔獣に荒らされた跡がある。
「よくぞ来てくださいました、ユーリス先生!」
俺たちを出迎えたのは、血走った目をした初老の領主だった。
その後ろには、絶望した顔の農民たちと、何人かの宮廷魔術師が気まずそうに立っている。
「先生、どうか直ちに《中継晶》の再起動を! 王宮から遣わされた魔術師殿たちは、マニュアル通りに起動句を唱えても全く反応がないとさじを投げてしまって……!」
領主のすがるような言葉に、宮廷魔術師の一人が反論した。
「わ、我々の責任ではない! この村の中継晶は、魔力回路が完全に焼き切れているのだ! あんなもの、手動でどうにかできるレベルではない!」
「焼き切れている……?」
俺は眉をひそめ、広場の中央にそびえ立つ石柱――農業用《中継晶》へと歩み寄った。
アルナが警告していた通りだ。
百年間、一度も保守点検をされず、ただひたすらに魔力を吸い上げられてきた中継晶は、その負荷に耐えきれずに内部構造が自壊していた。
それだけではない。
結晶の奥に、通常の経年劣化とは違う赤黒い裂傷のような痕跡が残っている。
「……確かに、これはひどいな。物理的な損傷にまで至っている」
俺はその痕跡に指先で触れ、わずかに眉を寄せた。
今は詳しく解析している時間はないが、単なる老朽化だけで片付けていい異常ではなかった。
俺がそう診断を下すと、領主はその場にへたり込んだ。
「そんな……では、もうこの村は終わりだというのか……」
「誰もそんなことは言っていません」
俺は立ち上がり、絶望に暮れる領主と農民たち、そして俺たちを遠巻きに見ている村の子どもたちに向き直った。
「中継晶が壊れたなら、巨大な自動魔法は使えない。ですが、作物に水をやり、動物を追い払うくらいなら、中継晶などなくても人間の手でできます」
「手で……? そんな、村人全員で井戸から水を汲んでいたら、日が暮れてしまいます!」
「井戸から汲むのではありません。空気中の水分を集め、土の魔力で定着させるんです」
俺の言葉に、宮廷魔術師が鼻で笑った。
「馬鹿なことを! 空気中の水分を抽出して雨を降らせるなど、中級以上の複合魔法だぞ! それを、魔力適性すらないただの農民にやらせようというのか!?」
「だからエリートは視野が狭いんだ」
俺は冷たく言い放ち、杖を構えた。
「雨を降らせる必要はない。大枠の『安全弁』と『範囲指定』だけ、俺が構築します。皆さんは、その安全な枠の中で、ほんの少しの水分を土に定着させるだけの小さな基礎魔法を使えばいい」
俺は広大な畑全体を覆うように、魔力の網を展開した。
これは暴走を防ぎ、小さな魔法の威力を少しだけ増幅させるための「土台」だ。
「さあ、ここからはミリア。君の出番だ」
俺が促すと、ミリアはビクッと肩を震わせた。
「わ、私ですか……!?」
「そうだ。俺の構築した土台の上で、農民たちに『水』の基礎を教えなさい」
「で、でも、私なんかが教えるなんて……。魔力量だって少ないですし……」
「だからいいんだ。君は『魔法ができない人間』の感覚を誰よりも分かっている。どうすれば焦らずに魔力を練れるか、君自身の言葉で教えるんだ」
俺が力強く頷くと、ミリアは不安げに揺れていた瞳に、確かな決意の光を宿した。
「……分かりました。やってみます」
ミリアは農民たち、特に好奇心と不安の入り混じった顔でこちらを見ている村の子どもたちの前へと進み出た。
「ええと……皆さん。まずは、深呼吸をしてください」
ミリアの声は少し震えていたが、その態度はとても丁寧で、優しかった。
「起動句を叫ぶ必要はありません。ただ、朝露に濡れた草の葉っぱや、冷たい井戸の水を思い浮かべてください」
子どもたちが、素直に目を閉じる。
「魔力は、力いっぱい出すと暴れちゃいます。だから、手に持ったコップから、一滴だけ水をこぼすような……そんな小さなイメージで」
彼女の教え方は、宮廷魔術師のような小難しい理論や分類名とは無縁だった。
自分が落ちこぼれだった頃、ユーリス先生に教わった『感覚』を、そのまま日常の風景に置き換えて伝えていく。
「空気の中にある冷たいものを、優しく土に置く……」
ミリアが自らの手本として、小さな水滴を地面に生み出してみせる。
それを見た子どもたちの一人が、見よう見まねで両手を土に向けた。
「つめたい水……土に、置く……」
だが、次の瞬間。
バシャッ!
焦って魔力を強く出しすぎたのだろう。
水滴は生まれず、代わりに乾いた泥だけが跳ね上がり、子どもの手と服を汚した。
「あ……ご、ごめんなさい……」
子どもは今にも泣き出しそうな顔で俯いた。
周囲の大人たちも、やはり自分たちには無理なのかと表情を曇らせる。
一瞬、ミリアも戸惑った。
けれど、すぐに膝をつき、子どもの目線に合わせて微笑んだ。
「大丈夫です。私も最初は、火花ひとつ安定させられませんでした」
彼女は泥で汚れた子どもの手を、そっと包み込む。
「失敗した場所が分かれば、次に直す場所も分かります。今のは、魔力が少し急ぎすぎただけ。今度はもっと小さく、一滴だけでいいんです」
ミリアの言葉に、子どもは涙をこらえながら小さく頷いた。
「……一滴だけ」
ポタッ。
今度は、小さな、本当に小さな水滴が、ひび割れた土の上に落ちた。
だが、俺が構築した土台の増幅効果により、その一滴は周囲の土にじんわりと染み込み、乾ききった苗をわずかに潤した。
「できた……! 水が出たよ!」
「私も! 私もやってみる!」
子どもたちが次々と小さな水滴を生み出し始める。
それを見た大人たちも、慌ててミリアの教えを反芻し、畑のあちこちで手動詠唱を試し始めた。
「すごい……! 農民たちが、補助なしで魔法を……!」
宮廷魔術師が信じられないものを見る目で立ち尽くす。
彼らが「不可能」だと切り捨てたことを、落ちこぼれの少女と村の子どもたちがやってのけたのだ。
ミリアは畑を走り回り、上手くできない大人や子どもに手を添え、優しく魔力の流れを整えていく。
「大丈夫です、焦らないで。ゆっくり、一滴ずつ……」
その姿はもう、ただの教え子ではない。
立派な『教師』の顔だった。
村人全員による小さな魔法の連鎖は、やがて畑全体を潤す恵みの雨のような効果を生み出した。
枯れかかっていた作物が、ゆっくりと青さを取り戻していく。
「おおお……! 作物が生き返ったぞ!」
「ありがとう、先生! お嬢ちゃんも、本当にありがとう!」
領主と農民たちが、涙を流しながら俺とミリアに頭を下げる。
だが、すべてが元通りになったわけではなかった。
畑の端で完全に枯れきっていた苗だけは、もう青さを取り戻さない。
失われた時間までは、魔法でも取り返せないのだ。
俺はその一角を見つめ、静かに告げた。
「お礼なら、自分たちの努力に言ってください。これからは、中継晶に頼らずとも、あなた方自身の手で作物を育てられるはずです。……そして、保守と教育を後回しにすれば、取り返せないものもある。そのことも、忘れないでください」
村人たちは、枯れた苗を見つめながら力強く頷いた。
「……先生。私、教えられました。少しだけですが、先生みたいに……!」
ミリアが泥だらけの手で、嬉しそうに駆け寄ってくる。
俺は彼女の頭にポンと手を置き、その成長を労った。
「ああ。素晴らしい授業だった」
その時だった。
『――急告。冒険者ギルド本部に波及した障害により、重大な事故の危険性を検知』
俺たちの間に、アルナの無機質な声が割り込んだ。
「今度は冒険者ギルドか。……どうやら、休む暇はなさそうだな」
俺は東の空を見上げ、次の現場へと向かう準備を始めた。
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