第13話 宮廷魔術師長、子どもと机を並べる
あの後、俺たちは治癒院へ駆けつけ、急患は俺が主導し、セレスティアが補助に入る形でどうにか救命した。
だが彼女は、自分一人ではまだ救えなかった悔しさを抱えていた。
その悔しさが、彼女を変えることになる。
数日後。古典魔法塾の教室では、少し奇妙な光景が日常になりつつあった。
「ああっ、また芯が折れた! なぜだ、今度は風と火の配合比率を正確に五対五にしたはずなのに!」
最後列の席で、巨大な付け髭を揺らしながら頭を抱えているのは『商人ガル・ドー』こと、宮廷魔術師長ガルドだ。
彼の手元には、またしてもドロドロに溶けた無残な蝋燭の残骸が転がっている。
「あのね、おじちゃん。風を強くしすぎると、火が煽られて熱くなっちゃうんだよ。もっと優しく、息を吹きかけるみたいにしないと」
そんなガルドの隣で、市場から来ている八歳の少年が、見かねたように助言をしていた。
少年の前の蝋燭には、小さく安定した美しい火花がちょこんと乗っている。
「む、むむっ……! こ、子どもに教えられるとは……! だが、息を吹きかけるように……なるほど、魔力の指向性を局所的に逃がすということか……?」
ガルドは屈辱に顔を歪ませながらも、少年の言葉を真剣に反芻し、再び新しい蝋燭に向かって魔力を練り始めた。
「先生、あれでいいんですか? あの方、一応、この国で一番偉い魔術師なんですよね……?」
教壇の横で俺の助手を務めていたミリアが、苦笑いしながら小声で尋ねてきた。
「構わないさ。変装してまで通い続けているのは、彼なりの意地だろう。それに……あの失敗の記録こそが、今の彼には一番重要なんだ」
これまでのガルドは、《アルカナ》の補助によって『成功した魔法』しか見たことがなかった。
だが、手動詠唱において本当に価値があるのは、なぜ暴発したのか、なぜ制御がブレたのかという『誤差の原因』を知ることだ。
それに気づき始めているからこそ、彼は子どもに指摘されても逃げ出さず、泥臭く机に向かっている。
「……できた! 見ろ、ユーリス! ついにこの私が、補助なしで小さな火花を維持したぞ!」
しばらくして、ガルドが歓喜の声を上げた。
その手元には、ようやく芯を燃やさずに安定した火花が灯っていた。
たった数秒の持続だが、彼の莫大な魔力を考えれば、とてつもない精密制御の賜物だ。
「よくやりましたね、おじちゃん!」
「うむ! 苦労したが、これも私の天賦の才がなせる業よ!」
子どもたちに拍手され、ガルドは付け髭を反り返らせて自慢げに胸を張る。
その姿は、宮廷で威張っていた頃よりもずっと、魔術師として生き生きとして見えた。
「その調子で、出力の波を完全にフラットにするまで反復してください、ガル・ドー殿」
俺がそう声をかけた時、教室の外から馬の嘶きと、慌ただしい足音が聞こえてきた。
「失礼する! 王都の古典魔法塾はここか!」
扉を開けて入ってきたのは、土埃にまみれた騎士服姿の男だった。
その胸には、王都から遠く離れた農業地帯を治める地方領主の紋章が刻まれている。
「俺が責任者のユーリスだが、何か」
「おお、あなたが! 私は東部穀倉地帯の領主の使いの者だ。どうか、我々の領地を救っていただきたい!」
騎士は俺の前に進み出ると、切羽詰まった様子で頭を下げた。
「領地の農業用《中継晶》が完全に沈黙し、灌漑と害獣除けの自動魔法が停止してしまったのだ! このままでは今年の作物がすべて枯れ、王都への食料供給も止まってしまう!」
「農業魔法の停止か……。王都の防衛だけでなく、生産基盤にまで《源流封印》の波及が進んでいるようだな」
俺が思案していると、騎士はさらに言葉を続けた。
「実は、王城へも救援を要請したのだが……派遣された宮廷の魔術師たちは、現場で分厚い魔道書を広げて喚くばかりで、使い物にならなかったのだ」
その言葉に、最後列のガルドが「ギクッ」と肩を揺らした。
現在、王国は《アルカナ》の完全復旧条件である「三十二名の継承者」の数を手っ取り早く稼ごうと、宮廷のエリート魔術師たちを地方へ派遣し、手動詠唱の丸暗記を強制させているという。
だが、恐怖や命令で術理が理解できるはずもない。そんな付け焼き刃で《源紋》が灯るわけがなかった。
「彼らは『仕様が違う』『基盤の反応がない』と文句を言うだけで、枯れゆく畑には見向きもしなかった。……どうか、本当に魔法が使えるというあなた方の力で、即時復旧をお願いしたい!」
騎士の悲痛な願いに、教室の生徒たちも静まり返る。
「……事情は分かりました」
俺は静かに頷き、教壇に置いた杖を手に取った。
「ですが、俺が向かっても『即時復旧』はできません。俺一人で地方の中継晶を再起動することは不可能ですから」
「そ、そんな……では、我々の領地は見捨てられると……!?」
「見捨てませんよ。俺が直せないなら、現地の人間に『直し方』を教えればいい」
俺は教室を振り返り、助手として立っているミリアに視線を向けた。
「ミリア。君も来なさい。現場での教育には、君の力が必要になる」
「私、ですか……?」
ミリアは驚いたように目を丸くした。
「ああ。君は誰よりも、魔法ができなかった時の感覚を覚えている。だからこそ、現場の素人に教えるのに一番適しているんだ」
俺の言葉に、ミリアは少し戸惑いながらも、やがてしっかりと前を見据えて頷いた。
「……はい! 私で役に立てるなら、精一杯やります!」
「よし。では、今日の授業は自習とする。ガル・ドー殿は火花の維持を十秒まで延ばすこと。セレスティア殿は治癒の基礎式の反復を頼む」
俺が指示を出すと、生徒たちは一斉に力強い返事を返した。
自ら学び、理解しようとする者だけが、この暗闇の世界で先に進むことができる。
その事実を胸に、俺とミリアは地方の農業地帯へ向かう馬車の準備を進めた。
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