第10話 学びたい者だけを、教えます
夜が明け、王都に朝日が差し込み始めていた。
結界の一部崩壊という未曾有の危機は、俺の指揮と生徒たち、そして現場の人間たちの働きによってなんとか食い止められた。
瓦礫の撤去や怪我人の治療も一段落し、広場には疲労と安堵の入り混じった空気が漂っている。
そんな中、王国の象徴たる銀髪の王女、フェリシア殿下が俺の前に進み出た。
彼女の背後には、オルグレン学院長をはじめとする王国の上層部が顔面を蒼白にして控えている。
「ユーリス・クロフト先生」
フェリシア王女は、周囲の視線が集まる中、深く、深々と頭を下げた。
「古典詠唱科の不当な廃止、そしてあなたの《源紋板》を砕くという愚行……。これまでの王国の無礼を、国を代表して心よりお詫び申し上げます。本当に、申し訳ありませんでした」
王女の謝罪に合わせ、後ろにいたオルグレン学院長も土下座をする勢いで額を石畳に擦り付けた。
「わ、私からも謝罪させてほしい、ユーリス先生! 保守教育の重要性を見失い、あなたを追放したことは、私の生涯最大の過ちだった!」
彼らは完全に理解したのだ。
権威や肩書き、マニュアルの丸暗記では、この暗闇の世界を生き抜くことはできないということを。
俺は小さく息を吐き、静かに口を開いた。
「頭をお上げください、殿下。謝罪は受け入れます。ですが、ただ元に戻すだけでは意味がない。同じ過ちを繰り返さないために、王国には以下の条件を呑んでいただきます」
俺の言葉に、王女は真剣な面持ちで顔を上げた。
「第一に、今後の復旧協力は王国に対する無償の奉仕ではなく、対等な『契約』として行うこと。
第二に、王国が手放した保守教育権限を正式に返還すること。
第三に、学院が管理していた《源紋》の台帳を、こちらへ移管すること。
第四に、基礎魔法教育の必修化に向けて制度検討に入ること。
第五に、特権階級の便宜ではなく、生活の現場の復旧を優先すること。
そして最後に――《大魔導基盤アルカナ》の完全復旧には、真に術理を理解した《継承者》が三十二名必要であると、国として明文化することです」
一つ一つの条件を口にするたび、学院長たちはビクッと肩を震わせた。
だが、フェリシア王女は迷うことなく力強く頷いた。
「すべての条件を承諾します。必ず、私が責任を持って国政に通してみせます」
「殿下のその覚悟に敬意を表します」
俺はそこで一度、広場に残る魔灯の残骸と、手動の灯火を掲げるミリアたちを見渡した。
「誤解しないでいただきたいのですが、俺は《アルカナ》を憎んでいるわけではありません。便利さを捨てたいわけでもない。……便利さの裏側にある理を忘れず、便利さに飲み込まれない人間を育てたいだけです」
フェリシア王女は、その言葉を噛み締めるように小さく頷いた。
交渉がまとまったのを見て、オルグレン学院長がすがるような目で俺を見上げた。
「条、条件を呑むのなら、ユーリス先生……どうか学院に戻ってきてはくれないか! もう一度、特任の教授として――」
「お断りします」
俺は間髪入れずに切り捨てた。
「不要だと切り捨て、誇りを砕いた教室に、都合よく戻る気はありません」
「そ、そんな……では、あなたはどこへ……?」
「俺は、本当に学びたい者のための場所を作ります」
俺は振り返り、不安と期待の混じった顔でこちらを見ているミリアや、ロイドたちへ向けて微笑んだ。
数日後。
王都の外れにある、使われていなかった石造りの空き家。
その入り口に、不器用な手書きの木札が掛けられた。
『古典魔法塾』
それが、俺が新しく開いた教育の場だった。
年齢、身分、職業は一切問わない。学ぶ意思さえあれば、誰でも受け入れる小さな塾だ。
扉を開けて中に入ると、すでに最初の生徒たちが集まっていた。
「先生、おはようございます! 黒板の掃除、終わってますよ!」
一番前の席で元気よく挨拶をしてくれたのは、ミリアだ。
彼女の隣には、非番の時間を縫ってやってきた若手教師のロイドや、市場で俺の教えを受けた子どもたち、さらには数人の職人や衛兵が座っている。
「おはよう、ユーリス先生。……その、私も一番基礎から学び直したくて」
少し恥ずかしそうに微笑むのは、純白のローブではなく質素な平服に着替えた聖女セレスティアだった。
身分も年齢もバラバラな寄せ集めの生徒たち。
だが、その誰もが「魔法の真理を知りたい」という熱意に満ちた瞳をしている。
「ユーリス……いや、先生」
教室の最後列。
一番目立たない席に、ひどく気まずそうな顔をして身を縮めている大男がいた。
宮廷魔術師長のガルド・ヴァイスだ。
「俺も……ここに座っていいのだろうか。その、これまでの無礼の数々、合わせる顔もないのだが……」
かつてのプライドの塊だった男が、子どもたちと同じ机に並び、所在なさげにしている。
その様子がおかしくて、俺は思わず小さく吹き出した。
「学ぶ意思があるのなら、誰でも歓迎しますよ、ガルド殿」
ガルドはほっとしたように息を吐き、深く頭を下げた。
俺が教壇に立ち、最初の授業を始めようとチョークを手に取った、その時だった。
『――術理の理解、および事象の自律制御を確認』
突如として、教室の中央に青白い光の粒子が舞い、無機質な少女の姿が具現化した。
《アルカナ》の管理人格、アルナだ。
『対象者、ミリア・ノルン。補助機構を介さず、自らの理解をもって暗闇に光を灯した意思を承認』
「えっ……私……?」
目を丸くするミリアの胸元に向かって、アルナがすっと指を差す。
『百年の時を経て、第一の《継承者》をここに認定します。――灯れ』
ミリアの胸元に、淡く輝く光の紋様が浮かび上がった。
それは、かつて王国が砕いた《源紋板》に刻まれていたものと同じ《源紋》。
術理を真に理解した者にのみ与えられる、本物の魔法使いの証だった。
「すごい……光ってる……!」
「ノルンさんが、最初の継承者に……!」
教室中から拍手と歓声が湧き上がる。
ミリアは胸元の光をそっと撫で、感極まったように涙を浮かべた。
アルナはミリアに向けてわずかに優しい眼差しを向けた後、俺の方へ振り返り、深くお辞儀をした。
『現在、継承者カウント――一名。完全復旧まで、残り三十一名』
同じ頃。
王都から遠く離れた、大陸の果てにそびえる黒い塔の頂上。
暗闇に包まれた部屋の中で、黒衣を纏った長身の男が、空中に浮かぶ無数の輝く結晶――《星の記憶》を見つめていた。
結晶の中には、ミリアの胸に灯った《源紋》の光が映し出されている。
男の顔の半分は無機質な機械の部品で覆われ、赤い義眼が不気味な光を放っていた。
「……ほう」
男の喉の奥から、乾いた笑い声が漏れる。
「人間は便利さを与えれば、必ず考えることをやめる。百年かけて、あの愚か者どもは完全に魔法の原理を忘れたはずだったが……」
男は、《星の記憶》に映る小さな私塾の光景を見下ろした。
そこには、黒板の前に立つ一人の教師の姿がある。
「まだ『教師』が残っていたか。……エルドラよ、お前の遺した学統は、ずいぶんと往生際が悪い」
黒衣の男は、楽しげに、そして残酷に口角を歪めた。
その瞳には、人類の怠慢に対する深い絶望と、歪んだ憎悪が渦巻いていた。
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