四章:二十五話:1
エリンと少女が息を殺し、音を立てないよう気を配りながら地下聖堂の扉を閉じた。隙間から漏れる光がぷつんと切れ、少女の片手に握られた角灯だけが頼りになる。
顔を見合わせた二人が意気込んで頷き合う。
振り向きざまに角灯を掲げた。
オレンジの明かりが廊下を灯す。
踏み出した二人は歩調を徐々にあげてゆく。
元来た通路を走り抜ける。
階段を上り、閉じ込められた部屋の前を通り過ぎた。
分かれ道であっても、少女は迷うことなく進んでゆく。
通路を抜け、廊下に出た。昼間とは打って変わり、人っ子一人いなかった。
人の気配がしないだけで、まるで別空間かと思うほど印象が違う。
誰もいないのは、来賓到着直前のため、働く人員が裏に隠れたからだろう。
少女は進む。
エリンはその背を追いかける。
ホールの入り口が近づいてくると楽器の音色が折り重なるように聞こえてきた。
少女とともにエリンはホールに入った。
背を向ける指揮者が譜面を確認し、楽団員が各々の楽器の音合わせをしている。
何人かが、エリンと少女に気づいたものの、指揮者が譜面台に向き合うと楽団員の視線は指揮者に集まった。
柔らかなメロディーを背に受けて、少女とエリンはホールを抜ける。
階段を駆け上がり、踊り場までくると音楽が途絶えた。さらに上り、立ち止まる。
肩を上下に動かし呼吸を整える少女が、「こっち」と指さし、歩きだす。
とある扉の前で足を止めた。
「ここです、エリン様」
額に汗し、頬を赤く染める少女がノックする。
扉が開く。
出てきた女性を見るなり、少女はにっこり笑んで口を開きかけた。
「静かに」
女性が小声で告げた。
あわわと少女は両手で口を塞ぐ。
微笑む女性がエリンに顔を向けた。
どきっとしたエリンは勘付く、彼女と会ったことがあると。
脳裏にぱっと屋敷での衣装合わせの一場面が浮かんだ。
(あの時、屋敷に来た針子さんの一人だわ)
心中で半泣きになりながらドレスを着せられた記憶が蘇る。
一緒に、分不相応な高価な品々を身に着ける気持ち悪さがせりあがってきた。
「どうぞお入りください」
笑みを浮かべる女性が扉を開く。
お先にどうぞと少女も、誇らしげに諸手を広げる。
惑うエリンの足がすくむ。
部屋に入れば、逃げられない。
完璧な笑顔で立ち回る針子たちに抵抗するすべなく、おべっかを重ねられなら着替えることになるだろう。否応がなく、気恥ずかしくなるに違いない。
途端に、身体がむずがゆくなるエリンは逃げだしたくなった。
(誰か助けて!)
及び腰になると同時に『終わり次第、迎えに行く』と告げるダニエルの声がエリンの耳奥で響いた。
ぴたりと思考が停止する。
口を引き結んだエリンは両目をきつく閉じた。自然、奥歯にも力がこもる。
(ダニエル様が来るのに、準備しないわけにはいかないじゃない)
今日一日判断を間違え続けてきたエリンは、これ以上失態を上塗りできないと神妙な気持ちになる。
深呼吸し、目を開けた。
針子が扉を開いている。
少女がどうぞと待っていた。
膝が震える。
手を組めば力がこもった。
空っぽの胃が病み、エリンは吐きそうになる。
かつて羨んだアメリアが纏うドレスと同じか、それ以上のものを身に着けるに至り、これほどまでに心が抵抗を示すなど、エリンは想像もしてなかった。
夢想するだけなら、こんな素敵なことはないと夢みることができたことも、いざ身に降りかかるとなると心の揺れがおさまらない。
戻れないことは頭では分かっている。逃げられないことも含め。
前に進むにも重たい足は、引き返すためにも動かない。
(ダニエル様が来るの。その時に、ここにいないなんてこと、できないでしょ)
がっかりさせてはいけないと逃げ出したい心に言い聞かせる。
ダニエルのために踏み留まらなくてはいけない、ただその一心で、エリンは扉を潜った。
入室するなり、エリンの目に華やかなドレスが飛び込んできた。
身体が震える。
円形の絨毯の上に飾られるドレスは、屋敷で見た時よりも増して煌びやかに見えた。
「こちらは、エリン様のお着替えにと用意された一室になります」
声をかけられエリンは心持ち引き気味に室内を見回す。
花の蕾を象ったシャンデリアの真下、円形の絨毯が敷かれた上に、ドレスは飾られていた。
窓には金のタッセルでまとめた花模様のカーテンがかけられている。
果樹が緻密に掘られた白い石材の暖炉の横には化粧台があり、その前には応接セットも用意されている。
応接セットの手前に数人の女性が立っており、一斉に頭を垂れた。
全員、屋敷にてエリンの着替えを手伝った針子たちだ。
これから着替えが始まる。
もう観念するしかないと自覚するエリンの背後で、扉を閉める音が鳴った。
「時間がございません、急ぎ支度を致しましょう」
出迎えてくれた針子がエリンの横に立ち、暖炉の反対側を示す。
見やれば、片開きの扉があった。
「手前の扉へどうぞ」
ドレスはここにあるのになぜ別室へ行くのかと戸惑うエリンの傍に、ソファ近くにいた針子たちが寄ってきた。
「エリン様。お急ぎください」
抵抗を許さぬ笑顔を浮かべた針子たちがまごつくエリンを取り囲む。
進み出た一人が片開きの扉を開く。
「どうぞ。お進みください」
流されるままにエリンは扉をくぐる。
その先には、浴場と洗面場があった。
城内を走り回って汗まみれのエリンであっては、ドレスを着せられないと分かっていたかのように準備万端。
さすがのエリンも閉口する。
プロフェッショナルな針子たちには抗えないと改めて思い知らされた。
(私。袋の鼠……)
完敗したエリンはいそいそと服を脱ぎ、浴槽につかった。
髪を丁寧に梳かれ、頭皮を柔らかくもまれ、香りのいい泡立った石鹸がなでつけられた。
手を出すようお願いされ、浴槽の縁に手をかければ、左右に侍る女性がエリンの手を取り、手入れを始めた。
汚れを拭われ、オイルをもみ込み、爪も整えられてゆく。
湯船のなかで身体がふわっと浮いた。全身から疲れが一気に流れ落ちていくかのようであった。
(眠くなっちゃう……)
働き、走り、熱い湯につかったのだ。
このままベッドに直行すれば、きっといい夢がみられることだろう。
しかし、今日はまだこれから。
もう一つ、大仕事が待っている。




