四章:二十三話:4
(ダニエル様は私にいつも勇気をくれるのね)
エリンはほんのり頬を赤らめる。
目を細めたダニエルが軽く頷く。
(ダニエル様が、待てというなら、待つわ)
祈るように両手を胸元に組んだエリンは、このまま待とうと決心する。
いい子だとダニエルの唇が動く。
ダニエルを見つめるエリンの視界に太合が進み出てきた。
斜めに立つ太合により、エリンの視界からダニエルが遮られた。
凛と立つ太合をエリンは仰ぎ見る。
ちらりと陛下に目配せした太合がダニエルに向き直った。
「元第一王子。巻いた餌に食らいつき、よくぞのこのこと来られたものよ。王族へ復帰し、王権を狙い、王を弑逆せんと秘密裏に動いていたこと。私が掴んでいないとでも思うたか」
「王を弑逆? 王位簒奪か? 誰がそんなことを」
ダニエルは鼻で笑う。
「ならば誰にそそのかされた。証拠品を忍ばせ、協力者を仰ぐなどと。よく考えたものよ。地下より抜けて、協力者と合流する。その程度の目論み、我が家門の者が掴んでいないとでも思うたか」
「ああ、そう言えば……。王都に持ち込む際、執拗に追い回してくる一派はいたな」
「我が家門の精鋭をかいくぐり、ここまで持ち込んだことは褒めてやろう。しかし、うまく持ち込んだと思ったものも、すでに私の手中にある」
尊大に対峙する太合が手のひらを返す。
一人の騎士が前に出てくると、恭しく太合の手になにかを載せた。
端からはらりと零れるのは、紐状の細長い布だ。
ひらりとたなびくそれを見るなり、エリンは勘付く。
紐状の細長い布は、間違いなく、エリンがダニエルから預かった証拠品だ、と。
(太合様が紐を持っているって、どういうこと!)
ダニエルの味方に渡っているはずだと思っていた証拠品をなぜ太合が持っているのか分からず、エリンは仰天する。
(あるべき人に渡してあるって、カーンは言っていなかった? 言っていたわよね。ということは、渡るべき人に渡ってから、太合様に奪われたってことなの)
エリンの表情がみるみる歪む。
(誰! 誰から奪ったの? いったい、誰が証拠品を持っていたの?)
皆目見当つかないエリンをよそに、太合の口上は続く。
「よくぞ、今の今まで隠し持っていたものよ」
「俺が持ってきたわけじゃないが……。それがあると相当不都合なんだろう。なにせそれは病死と公表された第二妃、つまり俺の母を暗殺した証拠品だ」
あざ笑うように、太合は口角をあげた。
「唯一の証拠品が敵対者の手元にあるというのに、余裕なことよ」
大きく息を吸ったダニエルが天井に目を向け、息を吐いた。
「母が……。母は、城内に居た時、暗い顔をしていることが多かった。病気がちで、臥せがちで……、あまり笑うこともなかった」
腕を組んだダニエルが視線を床へ落とした。
「第二妃の母に、手下の侍女でも潜り込ませ、微量の毒を飲食物に混入させていたんだろう。
まさかとは思ったが、思い当たる気配は……、ないわけじゃない。
母と俺の命を危ぶんだ父の手によって首都の一角に隠されて以降、母は少しずつ顔色も良くなり、明るくなっていく兆しを見せていたからな」
ダニエルが顔をあげる。前を見据える瞳は静寂に包まれていた。
「穏やかな日常を裂いた夜は、今も覚えている」
視線を斜めに落とし、深呼吸をしてから、声が出るか確かめるかのように、あっあっと喉を鳴らし、ダニエルは再び前を向いた。
「真夜中。異様な雰囲気を察し、俺は目覚めた。目覚めて最初に目にしたのが、俺に向けて剣を振り下ろす暗殺者。咄嗟に逃げて、もう駄目だと思った時、護衛の一人が暗殺者を倒した。
目の前で人が死んだ。
命を狙ってきた輩が死んだだけだというのに、俺は喉が焼けるほどのショックを受けた。
放心する俺を担ぎ、護衛が速やかに逃走をはかる。連れ出される俺を一目見て、母は殺された。階下では無作法な足音が屋敷中をめぐり、怒声と悲鳴が飛び交っていた。住み込みの使用人はそこで全員殺害された。
夜盗に見せかけるために、殺したのか?
殺したんだろう。
その渦中、刺客から腕章を奪った護衛と、俺は逃げた」
ダニエルが重苦しい息を吐く。
屋敷に残されていた数々の傷跡がエリンの頭を巡り狂う。
壊れた手すり、破れたカーテン、軋む床。
隅々まで荒れ果てていた、あのすべてが襲撃の痕跡だったのだとエリンは気づいた。
(まさか。あそこで、そんなことがあったなんて……)
知らなかったという言い訳さえ通じない事実に胸が張り裂けそうになり、申し訳なさが体中に広がってゆく。
「もともと護衛は二人いた。
一人が俺を抱えて逃走し、もう一人が屋敷に残った。
強襲を受けた際、逃す優先順位を二人は最初から示し合わせていたんだろう。
父の計らいか、母の計らいか。
今となっては、聞くに聞けないことだ」
組んだ腕を解いたダニエルが、片手を返し、人差し指を太合へ向ける。
「三つに割かれた布切れ。それは、逃亡する際に俺の護衛が、暗殺者からはぎ取ってきた腕章だ。その腕章には、暗闇で光る特殊な染料で染め上げた糸により、紋章が刺繍されている。
ボネヴィル公爵家の紋章を裏返し、ひっくり返した印は、俺と母を襲った実行部隊がボネヴィル公爵家の手の者であることを示している。
公爵家の力を借りて成した者はだれか?
問うまでもない。
首謀者は太合。
あなただろう」
平静に語り掛けるダニエルが沈黙すると、聖堂内が一時の静寂に包まれる。
エリンはダニエルの告発を唖然と聞く。
病死と聞いた第二妃が実は暗殺されており、それを目撃した幼いダニエルもまた殺されかけていたのだとしたら……、そんな過去を背負う屋敷で飲んだくれていたことも、修繕せずにいたことも、腑に落ちる。
(なのに。なのに、私、勝手に修繕して……)
しでかしたことに空恐ろしくなり、エリンは両手で肘を撫でる。
大工と修繕した高揚感が、羞恥に塗り替えられてゆく。
無知からくる無神経さを突きつけられたかのようで、恥ずかしさのあまり、いたたまれなくなった。
太合が喉を鳴らした。
笑い声は次第に大きくなる。
地下聖堂中に高らかと嘲笑が響き渡った。
ひとしきり嗤った太合が、手中の証拠品を握りしめ、冷静なダニエルに侮蔑の目を向ける。
「この不都合な証拠品がなくなれば、唯一の証拠は元第一王子の記憶のみであろう」
太合の横に角灯を手にした騎士が立ち、手早く側面を開く。
蓋が開いた角灯の内部では太い蠟燭が燃えていた。
細い煙を上げながら大きな炎が揺らいでいる。
「記憶と相貌の旗印だけで我が家門を敵に回そうとする者など、この国のどこにいる。領地を投げ捨ててまで第一王子に与し、危険を冒す者などどこにいようか」
時を移さず太合は、証拠品を角灯のなかに投げ入れた。
騎士が角灯の蓋を閉じる。
熱気に躍る一本の布に火がつけば、あっという間に飛び火する。
証拠品に火が次々と燃え移ると、角灯のなかで、三筋の炎が踊り狂った。
「所詮、布切れ。火をつければ、燃えてなくなる代物よ。
滅すれば、跡形もないわ。
大人しく北の地にて、隠れていればよかったものを。
そそのかされ欲をかいたのが運の尽きよ」
燃えつきた証拠品は黒々と細切れ、角灯の底へと沈んでいった。




