四章:二十三話:3
(先代の王様! 亡霊?
まさか、違う。
だって、息しているし!)
絵画に描かれている姿は二十年以上前のものだ。
今生きていれば、前王は老年。
こんなに若々しいわけがない。
通路に飾られた絵画は三枚あった。
そこにはもう一人、前王そっくりの人物が描かれていたではないか!
(じゃあ、あれが第一王子様!)
確信したエリンは通路の奥へと目を凝らした。
しかし、第一王子の背後に広がるのは、暗がりばかり。
おつきの騎士もいなければ、来るはずだと思っていたダニエルの姿もない。
(なんでいないの、ダニエル様)
いると思っていた人が見つけられず、エリンは頭のなかが真っ白になった。
弛緩し、膝から力が抜ける。
そんなエリンを見つけた第一王子が叫んだ。
「エリン!」
名を呼ばれ、エリンはびくっと反応した。
(えっ? 今の声、えっ……)
呼び声から連想する姿が第一王子の姿と一致せず、エリンは目を白黒させる。
「エリンから離れろ!」
怒声が地下聖堂に響き渡る。
騎士二人の手がエリンから離れた。
途端に、エリンはへなへなと座り込んでしまう。
「エリン、無事か。エリン」
はっとしたエリンが、喉に無理やり空気を押し込み、呟いた。
「声。なんで。ダニエル様。なんで、どうして……」
ダニエルといえば、もっさりした髪に口元を無精髭で覆う、夜盗まがいの飲んだくれではなかったか。
それに比べ、今、目の前でダニエルの声を発するのは、口髭のないすっきりとした男性だ。
同じ黒髪でも短く切りそろえられ、整えられている。
(姿は前の王様そっくりで。でも声はダニエル様で。
なんで?
第一王子様とダニエル様が来るはずじゃないの……。
でも、扉を開けているのは一人?
なんで一人!)
第一王子がきっとエリンの横を睨みつけた。
「ベイジル! どういうことだ。話が違うだろ!」
睨み据える第一王子と涼しい顔の陛下。
重苦しい緊張感が伝わってくる。
事態が飲み込めないエリンは二人に交互に目を向け、生唾を飲み込んだ。
(陛下を呼び捨て?
だとしたら、やっぱり……、あの方は第一王子様。
でも…………、でも、なんで声が。声がダニエル様なの?)
陛下と第一王子。二人の間に、太合が割り込んでくる。
「おびき寄せられたとも知らず、のこのことよく来たものよ。元第一王子ダニエル・スレイアル」
太合の言葉がエリンの耳をつんざいた。
意識がすっぱりと空間から切り離され、エリンは目を点にする。
(第一王子様がダニエル様で。ダニエル様が第一王子様で……)
間の抜けた表情のまま、エリンは頭の中でダニエルと第一王子の顔を思い描き、重ね合わせる。
あれがこれで、これがあれと交互に照らしても、頭がついてこず、理解が及ばない。
混乱の極みに囚われるエリンを見て、ダニエルは苦笑いを浮かべた。
「エリン!」
「はい」
「けがはないか」
呼びかけられ、エリンはぴっと背筋を伸ばした。
両手を握りしめて膝に置くと、間抜け顔のまま、うんうんと素直に頷き応える。
口元を綻ばせたダニエルが視線を逸らし、真顔に戻した。
「俺はこの状況をどう解釈したらいいのかな。こんな大人数で出迎えてくれるとは想定していなかったんだが」
「これまでの功績を鑑みれば、このぐらい当然のことだよ」
ダニエルの問いに陛下が答える。
「俺はまったく頼んでいない上に、そもそも望んでもいないぞ。なによりエリンを巻き込んでいることが許しがたい。でっ、俺がエリンの傍に行くか。エリンをこちらに寄こすか。どちらが都合いいものかな」
「第三の選択肢が、欲しいところだね」
にこやかな陛下が片手を上げる。
エリンの背後で、バンと扉が開く大仰な音が鳴った。
振り向いたエリンの目に飛び込んできたのは雪崩れ込んでくる騎士たちだ。
王族の居住区域に通じている扉が開け放たれ、荒々しい靴音を響かせて複数の騎士が走り込んできた。
エリンを囲んでいる三人の騎士を避け、彼らはダニエルの元へと一直線に向かって行く。
咄嗟に背を丸めたエリンは、両手で頭をかばう体勢をとった。周囲に三人の騎士が立っていなければ、押し寄せる騎士たちによってエリンは押しのけられていたことだろう。しゃがんだまま蹴られて、踏まれていたに違いない。
数えきれないほどの騎士たちが流入し、熱気が地下聖堂内に充満する。
ぴたりと地鳴りのような足音が止んだ。
しんと静まり返った地下聖堂内で、ダニエル一人に対し、整列した騎士たちが立ちはだかった。
身体を小さくして座り込むエリンは両手を頭部に添えたまま、上目を向ける。
恐る恐る頭から両手を離す。
大人数がダニエルを囲い込む様を目の当たりにし、これからどうなるのかと不安が掻き立てられた。
エリンはダニエルに目を向ける。
揺るがない自信に溢れる濃緑色の瞳とかち合った。
まるでじっとエリンを見ていたかのような力強い眼差しに打たれ、ほんの数秒意識が飛ぶ。
心音が早くなる。
ダニエルの懐に包まれるかのような感覚を覚え、身体がふっと軽くなった。
追いつめられている状況下だというのに、なぜか安心感に満たされてゆく。
(これがダニエル様なんだ)
纏わりついていた不安と緊張がそぎ落とされたエリンは胸がいっぱいになる。
複数の騎士を前にしても動じない、悠然とした英姿は、まさに伯爵家を飛び出そうと決意した時に思い描いた聖騎士そのもの。
アメリアの教育を耐えて、ダニエルの屋敷に向かった、あの日。
きっとそこにいると思っていた、そんな聖騎士が具現していた。
ぶわっと湧き出る歓喜に満たされ、感極まったエリンの眼球を涙の膜がうっすらと濡らす。
ダニエルが唇を動かした。
動きをなぞり、同じく口を動かせば、エリンの頭のなかでダニエルのメッセージが響く。
『そこで待っていろ』
ダニエルはそう告げた。
贈られた言葉を噛みしめる。
大丈夫というなら大丈夫。
待てと言われれば信じて待てる。
絶体絶命なはずなのに、泰然自若なダニエルがいるだけでエリンの心に勇気が芽吹いた。




