四章:二十三話:2
(! ダニエル様。渡す相手を知っていたんだ)
『声をかけられたら、すぐわかる』と釘をさされ、簡単な要件だと拍子抜けして、『事情を知っているのも都合が悪い』と言われたら、ダニエルにこれ以上踏み込むなと一線を引かれたも同然だ。さらに、事情を知らない者が適任と言われれば、エリンに訊ねる余地はない。
忘れるべきことは忘れてしまうのが吉。
使用人たるもの、見ない聞かない言わないも仕事の内。
頭から余計なことは排除する。
そんな癖が働き、すっかり忘れてしまっていた。
しかし、事態は一変した。
否応なくここまで巻き込まれては、知らないまま、やりすごすなんてできない。
エリンの胸に疑念がうねる。胸が焼けるかのように気持ち悪くなった。
(ダニエル様はどこまで知っていたの。例の品が第一王子様と関係する証拠品だとしたら、想像以上にダニエル様はこの件に深く関わっているってことでしょう。つまり、ダニエル様は始めから重要人物だったわけで……)
平民出の聖騎士がどうして王家のいざこざにかかわることになったのか。
華やかなお城の裏側で、いったいなにが巻き起こっているのか。
誰が味方で、誰が敵なのか。
なにが本当で、なにが嘘なのか。
(わからない、わからないわ。わからないことだらけ……)
ダニエルやカーン、ローワン。
彼らを率いて、複雑な状況の糸を引いているのは誰なのか。
疑問は増えるばかりで繋がらない。
真相の尻尾を掴むどころか、知れば知るほど事態の複雑さが増すばかりだ。
断点の情報に翻弄され、エリンの頭はこんがらがる。
側頭部にピリッと痛みが走り、眉間に皺を寄せた。
渋面を作るエリンに、涼しい表情で陛下が語り掛ける。
「私はエリンさんに感謝しているんです」
「感謝? 何も知らないうえに、閉じ込められただけの私に……」
嫌味だろうかとエリンは勘繰ってしまう。
その心はありありと表情にも表れた。
「エリンさんがいなければ、ここまで順調におびき寄せられなかったでしょう」
「おびき寄せる?」
誰? なんて、聞くまでもない。
エリンの頭にダニエルが浮かぶ。
屈んでいた陛下が背筋を伸ばした。
陛下の動きにつられエリンも視線を上げる。
「ここは由緒正しき地下聖堂。城内でも稀にみる、特異な場所です。
歴代の王の御霊を祀りつつも、時には王族間の粛清さえ行われる。
曰くつきの聖域なのです」
陛下がエリンから見て右へ視線を向ける。
「ここは三方向に通路が設けられています。一つが、王族の居住区域」
続いて陛下がエリンの後方へと視線を投げた。
「もう一つが、ホールや回廊をつなぐ裏側の通路」
最後に陛下は左へ顔を向けると口角を軽く上げた。
「そして最後。通じているのは、城外への抜け道です」
陛下が見つめる方向にも両開きの扉があった。エリンが入ってきた扉と同じものだ。
「ありがとうございます、エリンさん」
再び礼を告げられ、悪寒が走った。エリンは陛下を仰ぎ見る。
「あなたがいなければ、ここまで興味深く事は運ばなかったでしょう」
恍惚な微笑を浮かべる陛下は、両眼を爛々と輝かせ、扉を虎視する。
「私はね、打撃を与えたかったんです。
どうしようもないほどの、搔きむしるような絶望。始めから誰も味方ではなかった。裏切られたと思い知るときには、もう遅い。
抵抗する間もなく、真っ暗闇に転落する。その様を。この目で見たかった」
陛下の表情がみるみる変わる。
穏やかさという仮面を脱ぎ去れば、そこに表出するのは悪辣極まりない、邪な顔だった。
これが陛下の本性かと、豹変ぶりにエリンは絶句する。
外に通じる扉へと目を向ける陛下の横顔は、役目を終えたエリンなど、もう眼中にないと言わんばかりである。
公爵家所縁の騎士たちを侍らせて、太合と陛下は待っているのだ。
ここは地下聖堂。
王族間の粛清も行われるという曰くつきの場ならば、陛下と太合の待ち人は、一人しか思いつかない。
(第一王子様を待っている? 待っているのね!)
答えが閃けば、堰を切ったようにエリンの思考が回り出す。
(きっと、一緒にダニエル様も来るんだ!)
太合がなぜここまで連れてきたのか、エリンは不意に合点した。
(ダニエル様は屋敷で毎日訓練を続けていた。聖騎士なのだから当たり前と受け止めていたけれど、真実は今日という日に備えての鍛錬だったのね。
ダニエル様と第一王子様がいつから接点があったのかは分からないけど。分からないけど……。
屋敷でも鍛錬を欠かさず続けていたのなら……。
ダニエル様の役目は、きっと……。
きっと、第一王子様をお守りすることよ)
北や東の最前線に立ってきたダニエルだ。
彼が本領を発揮すれば、公爵家の騎士たちにだって対抗しうるに違いない。
(だから、私を連れてきた。婚約者だから、人質になると思って……)
初対面がどうあれ、ダニエルの根っこは優しい。
今日の昼食も、朝食も。
日々の何気ない台所の手伝いからも。
果物の飾り切りからも。
一緒に過ごすなかで、その人となりは十二分に伝わってくる。
(私のせいで。ダニエル様に! ダニエル様が!)
迷惑がかかるどころではない。
足を引っ張るどころでもすまない。
周囲に侍る騎士たちが剣を抜けば、エリンを人質にするなんて簡単なことだろう。
温情を働かせたダニエルが本領を発揮できずに終わってしまう、なんてことにもなりかねない。
廻る想像に身の毛がよだつ。
(ダニエル様の足手まといになるなんて、そんなの嫌よ!)
エリンは陛下の両腕に縋りついた。
「私はただの使用人ですよ。伯爵家にいた時も、ダニエル様の元へ行った後も! 私なんか連れてきたって、なんの役にもたたないのに!」
左右に立つ騎士がすかさずエリンの腕をつかみ、陛下から引きはがす。
二人がかりで抑え込まれれば、どんなにもがいてもエリンにかなうわけがない。
皺が刻みこまれた両袖を陛下がさっとなでつける。
冷徹な目をエリンに向けた。
瞳はガラス玉のように無機質で、感情の欠片一つ見いだせない。
「エリンさん、あなたの役目は終わりました。後はここで、静かに眺めていてください」
「ここまできて、見ているだけなんて! できるわけないわ!」
捕まれた腕を振り払おうとエリンが身体を左右に振って抵抗する。
肩も腕も抑え込まれては、抗っても甲斐なし。
せめて動く足だけでもばたつかせようとしたものの、伸し掛かる力の重さに踏ん張るだけで精一杯であった。
(なんで! なんで!)
エリンは頭を大きく振る。まとめていた髪がほつれて、四方に散った。
「放してよ。放しなさいよ!」
動きを封じられた、どうにもできない状況下。
それでも、エリンは歯を食いしばって前を向いた。
「ジルさん! 法を変えてまで、ダニエル様を聖騎士にしたのは国でしょう。なんで、なんで。あれだけ国のために働いているのに!」
感極まり、涙が盛り上がってくる。
エリンの視界が涙で霞む。
「なんで私を助けたんです。あなたは何がしたいんですか、ジルさん!!」
突如、弾けるような打音が地下聖堂全体に響き渡った。
陛下が口角をあげ、薄く笑う。
びくっと肩を震わせたエリンが、音がした方へ首を傾けた。
エリンの視界に、開け放たれた扉が映る。
薄暗い通路を背にして、両腕を広げて立つ男性が立っていた。
肩を上下に動かし、荒い呼吸を繰り返している。
うつむき気味の顔はよく見えない。
ゆっくりと男性が顔をあげる。額に走ってきたと物語る玉の汗が浮き上がっていた。
男性の顔を見た瞬間、エリンは息が止まりかけた。
その顔、その姿。
それはまさに、カーンを追いかけるなかで偶然目にした、絵画に描かれていた若かりし頃の王様そのものであった。




