四章:二十三話:1
「彼女は大事にしないと。怖がらせては可哀そうですよ」
立ち話を切り上げた陛下が、太合の横を通り、歩を進める。
目配せすると、跪いていた騎士たちが一斉に立ち上がった。
思索にふけるエリンの前に陛下が立つ。
「エリンさん、お久しぶりです」
はっとしたエリンが顔をあげる。
エリンを見下ろす陛下が笑む。
「怖がらないで。以前のように、接してくれてかまいませんから」
街中で会った時を想起させる軽やかな声音が鼓膜をくすぐる。
懐かしさがこみ上げてきたものの、置かれた状況に立ち返ったエリンは身震いする。
(前と同じなんて無理、絶対に無理よ)
この期に及んで、以前のようにと言えてしまう陛下の得体のしれなさが恐ろしく、エリンは再び下を向いた。
「改めまして、この国で王を務めております。ベイジル・スレイアルと申します」
瞬きもせず床を凝視するエリンの背筋が凍りつく。
腰をかがめた陛下がエリンの頭上に囁きかける。
「城中移動することになった上に、暗い部屋にまで閉じ込められて。さぞ大変だったでしょう」
(なんでそれを!)
知っているのと仰天したエリンが弾みで顔をあげてしまう。
「城内のことはおおよそ把握できる立場なので」
透き通るような新緑の瞳を輝やかせ、陛下が笑む。
新聞片手にカフェのテーブルに着く陛下と、絵画に描かれていた若かりし太合が、エリンの脳裏で重なり合う。近くで見ればより一層、髪の色味や質感、顔立ちまで二人はよく似ていた。
孤児を気にかけ、平民を助ける、気さくな貴族というジルの印象がガラガラと崩れ落ち、エリンは胸苦しくなる。
ローワンを城内で見かけた時、もしかしたらジルもどこかにいるかもしれないと頭を過ったとはいえ、こんな再会になるとは思いもよらなかった。
涼しい表情の陛下とは対照的に、エリンの顔半分がみるみる歪んでいく。
「なんで……」
なぜ街中を歩いていたのか。両替商を紹介してくれたのか。世間話を交わしたのか。訊きたい衝動にかられるものの、立場をわきまえよという矛盾した警鐘に締め付けられ、エリンは言葉を発することができなかった。
「エリンさんが出向してくることもね。実は事前に知っていました」
ざわっとエリンの産毛が逆立つ。
どくどくと聞こえてくるほどに脈が打ち始めた。
いつから、どこから、どこまで、知っているのかと、エリンの頭のなかを疑問が廻り狂う。
動揺するエリンを見降ろす陛下が口角をあげる。微笑んでいるようでいて、瞳の奥は笑っていない。
「母もね、お茶会でエリンさんが城内にいると気づいたんです。ソフィーがアメリア嬢に話しかけて。その会話を小耳に挟んだことでね」
閉じ込められた際に予想した通りだと思ったエリンは、せわしない心臓を抑えようと胸に手を当てた。
「ダニエルの元に貴族の娘を嫁がせようというのは国権の判断です。ですので、もともと母は聖騎士の元にミドルトン家から娘が嫁ぐことを知っていました。伯爵家からも、娘を送り出した報告は受けていますし。どんなにご令嬢が使用人だと言葉を濁そうとも、伯爵家を出た時期と照らし合わせれば、聡い母はすぐに気づくのです」
お茶会のお出迎えに行くことになったのも、立つように指示された場所も、アメリアから声をかけられたことも偶然だ。頭では分かっていても、ほんの数時間前、心躍らせ園庭に向かった己をエリンは恨めしく思う。
回避しようがなかったとはいえ、悔やんでも悔やみきれない。
「母の判断は早かったですね。お茶会最中であっても、的確に指示し、エリンさんを探し始めました」
太合が指示したのはソフィーがお茶会を抜け出す前に違いない。その流れで公爵家に潜んでいたローワンも事態の変化を察知したのだろう。
(もしかしたら、ソフィー様を探している時、密かにローワンさんは私を探していたのかも)
裏の通路を抜けていく時、小走りで追いかけなくてはいけないほど、ローワンの歩調は速かった。あれは太合に見つかる前にと焦っていたことの表れだったのかもしれない。
剣を突きつけられた感触がぶり返し、喉元がひゅっと冷たくなる。
切っ先と距離があったにもかかわらず、締め付けられたかのように重かった。
痛い思いをしたわけではない。
なにもなかったと言えば何もなかったことなのに、どことなくエリンは物悲しくなる。
(太合様側に身を置いていたから、何も言えなかったのかもしれないけど。少しでもいいから、指し示すような、なにか一言でも、言ってくれれば、良かったのに……)
打ちひしがれるエリンを見降ろし、陛下は淡々と話し続ける。
「ところが医務室に行っているはずのエリンさんが、行った形跡すらないという始末。広い城内ですからね。新人の下働きが迷うのは日常茶飯事なのです。エリンさんが迷っていてもおかしくない。母はそう考えました」
おおよそ閉じ込められていた頃合いだろう。
ソフィーがアメリアに話しかけ、太合がエリンに気づいた。
気づくなりエリンを探すよう下知したことで、いち早く変化に気づいたローワンが、隙をみて、カーンに新たな指示を出したに違いない。
もしかしたら、ローワンはエリンを探し始めるタイミングを伺っていたのかもしれない。
そして、ソフィーがらみで偶然出くわした同時刻、エリンが見つからない報告を太合が受け、太合が対策を練る間に、エリンは閉じ込められたのだろう。
いつ何があったか。
事の流れを、エリンは頭の片隅で照らし合わせる。
「お茶会を終え、母は公爵家から来ている騎士たちを招集しました」
「ローワンさんが捕まったのも、その時でしょうか」
想定した時系列で合っているかを確かめるように、エリンは言葉を噛みしめて問う。
微笑む陛下が、首肯する。
ローワンが捕まった時にカーンはエリンと少女が閉じ込められた部屋を目指していたのだろう。
太合の息がかかった騎士たちが表で動くことを見越して、おそらくローワンはカーンに抜け道を使うように指示したのだ。
縦横無尽に張り巡らされている城内の通路を把握できる、よほど城の内部に明るい人物が背後についているに違いない。
ボネヴィル公爵とはまた違う、高貴な家門が動いている可能性が高い。
それがどこのどんな家門なのか、エリンには想像すらできなかった。
ダニエルは知らなくていいと言ったが、ここまで巻き込まれては釈然としない。
さすがのエリンもダニエルが恨めしくなってくる。疑心を払うように身体を軽く小刻みに震わせた。
(駄目よ、疑うなんてよくないわ。ダニエル様だって、すべてを知らされていたとは限らないんだから……)
突如、エリンの耳奥にダニエルの声が響いた。
『今は誰かまでは言えないが、エリンもそいつの顔を知っている』
知らないからこそいいと言われた印象に囚われて、忘れていた一言が蘇る。




