三章:二十一話:4
「どうかされましたか」
店主が天井に向け、角灯を掲げる。すぐさまダニエルは手のひらで光を覆った。天井にくっきりと手の影が映る。
「ここに人がいるとむやみに教える必要はない。光を隠し、壁に寄れ」
存在を隠そうとしない不揃いな音が、天井裏から響いてくる。追手というには拙い音に、大きなねずみでも這いまわっているのかとダニエルが頭を捻った矢先、がたっと天井の板が一枚ずれた。ひゅっと風が抜ける。カビ臭さにすえた匂いが混ざる異臭が鼻をつく。
「いた。ローワンさんが言っていた通りだ」
嬉々とした声が響くと、ぬっと天井から子どもが頭を突き出してきた。
いきなり現れた子どもにダニエルはぎょっとする。
天井裏の抜け道を這ってきたカーンはダニエルと店主を一見するなり、猿のように飛び降り、叫んだ。
「どうか助けてください」
「助ける?」
面識のない子どもに助けを求められたダニエルは、慎重にオウム返しする。
「聖騎士様のご婚約者様で……」
「エリンか!」
「はい。エリンさんが太合様に連れていかれたかもしれないんです」
「なんだって!」
ダニエルが目を剥く。
「どういうことだ。エリンは関わりないはずだろう。なぜ太合がエリンの存在に気づく!」
「偶然なんです、お茶会で予想外なことが起こったらしくて」
「無関係なエリンは巻き込まない約束だろう」
いったいどういう経緯でエリンが太合に連れ去られることになったのか。ダニエルの頭は混乱する。なぜ、どうして、どういうことだと疑問が廻りつくすと、怒りが沸点に達した。
「話が、違う!」
あまりの怒声にカーンがびくっと肩を竦ませ、目を瞑った。
「不測の事態が生じたのかもしれませんな」
天井から降りようとする少女を店主が受け止める。少女を床に立たせ、店主は問う。
「どういうことか。話せるかな」
「はい。先に進むと牢があるときく通路があります。そこにある部屋で私は待つように言われました。真っ暗ななかで、目を瞑って待っていると、寝てしまっていて、そうしたらいつの間にか、そこにエリン様も来られていたんです」
「今もエリン様はそこにいらっしゃるのかな」
「わかりません」
弱々しく呟いた少女が首を左右に振る。
ダニエルは口元に手を寄せ、顎を撫でた。
城内は複雑な構造をしている。ホールから音楽室、談話室、応接室などさまざまな目的で用意されている部屋が多数あるだけでなく、裏道から地下まで蜘蛛の巣のように通された廊下が複雑に入り組んでいる。その中に、牢と呼べるような鉄格子で隔離された部屋はないと記憶していた。
考えあぐねるダニエルに店主は告げる。
「地下の礼拝堂へ向かったのでしょう。地下の通路に誰も寄り付かないよう、城に出入りする業者には、奥に行けば牢があると噂を流しているのです。伝聞は誇張されるもの。十分、抑止力として効果を発揮します」
「つまり、俺たちが向かっている場所と、同じか……」
天井から現れた少女と店主、それぞれ角灯を持っていると確認し、ダニエルは瞬発的に動いた。
「店主、角灯を俺に」
低い声で告げ、ダニエルが手を伸ばす。
店主は恭しく角灯をさしだした。
「先に行く」
角灯の持ち手をつかみ、ダニエルは駆け出した。
(エリンを巻き込まないために、城に働きに出したというのに。どういうことだ。あいつはなにを考えている)
走るダニエルは、酒場で会った男とのやり取りを振り返る。
※
洋灯ゆらめく、薄暗い店内で目深にフードを被る男が手を返すと、耳を貸せと言わんばかりに人差し指を動かした。身をかがめたダニエルに、手を下ろしたフードの男も肩をすぼめた。
「この紐はさ、エリンさんに渡してよ」
「はっ」
「エリンさんを知る人は誰もいないからね」
「駄目だ」
「じゃあ、誰に運ばせるつもり? まさか、自分で持って行くつもりじゃないよね。表から堂々と入ってくるというのは、ごめん被るよ」
「裏手から入ればいいだろ」
「困るなあ。どこから入って来たって、目立つじゃないか。髭を蓄えていたって、見る者が見たらバレるよ」
「そんなわけないだろ。それならとっくにばれている」
「気づかれなかったのは、見るに堪えない子汚い恰好だったからだよ」
「だったらどうしろって言うんだ。単刀直入に言えよ」
「地下から来てよ。目的地も地下経由の方が早いんだからさ」
「最初から、そうして欲しいなら、そういえばいいだろう」
「ダニエルが地下経由で城の敷地に入るなら、紐は別に運ぶ必要があるよね」
「だから、なんだ。持ち込む奴は、そっちで決めればいいだろう。俺を当てにするな」
「私だって綱渡りなんだよ」
「だからって、エリンは無関係だろ」
「そこをなんとか」
「受け入れられない」
憮然とするダニエルに、フードの男はさらに声を潜めて囁いた。
「別行動となるエリンさんを一人で屋敷に残して不安じゃないの。ほぼダニエルの正体に相手も気づいているなかで、エリンさんを一人で屋敷に残して行ける? 気にしないで遂行できるのかな」
ダニエルが即答できないことをいいことに男は畳みかける。
「当日、城にはたくさんの業者が入る。お茶会に祝賀会を兼ねた夜会にと、大きな行事が立て続けに催されるものだから、通常の倍以上人手が必要とされているんだ。エリンさんを隠すなら、屋敷でポツンと待たせるより、人のなかに紛れ込ませた方が目立たないものだよ」
「……」
「そりゃあ、護衛を派遣することもできるさ。でもさ、それじゃあ、ここに誰かいますよって旗を立てるようなものだろう。護衛を物々しく派遣するとなれば、不自然に悪目立ちして、逆効果になりかねないよ。すでに相手はダニエルのことに気づいているんだからさ」
「お前、いつからそんなに性格悪くなった」
「昔からだよ」
「そんなわけないだろ」
「本性が隠れていただけさ」
「……、わかった」
しぶしぶ答えたダニエルは、ふんぞり返るなり、酒を呷った。
※
(話が違う!)
奥歯をぎりっと噛んだダニエルは、角灯を揺らし、暗い廊下を駆け抜けてゆく。




