三章:二十一話:3
「扉裏に隠れるわ」
エリンは石から手を離した。
「必ず助けを呼んできます」
ガチャと鍵が回る音が鳴る。
息を止め、床を蹴り、エリンは扉横の壁めがけて走る。
ごとっと音がして、背後から射す光が消えた。
真っ暗ななかで、エリンは手を伸ばす。
あと一歩で壁に触れるかという瞬間、扉が開き始める。
差し込んできた光が、暗がりに慣れた目に鋭く刺さり、エリンは動きを止めた。
内開きの扉が開きききるなり、「いたぞ」と声が響く。
光に視界を奪われ、方向感を失ったエリンは、抵抗する間もなく取り押さえられた。取られた腕を後ろに回され、どんと背中を小突かれる。
(二人は、これで逃げきれる)
子どものかくれんぼではないのだ。はなから見つかると覚悟していたエリンは、ひっそりと安堵した。
(私が目的なら、無碍な扱いにはならないはず……)
廊下に連れ出され、上から強く押さえこまれたエリンは、無駄な抵抗はするまいと、されるがままに両膝を床に落とした。顔をあげる。目の前に、そびえるように太合が立っていた。
絵画で見た若々しい華やかさは薄れても、年を重ねることで威厳は増す。圧倒されて魅入るエリンを、不敬だと罵ることなく太合は、手にした扇で手のひらを打つ。鋭い音に、エリンはびくっと肩を震わせた。
「この者を連れていく」
言い放つなり、太合が踵を返す。
(連れて行くってどこに!)
背後の騎士にエリンは無理やり立たされる。
太合の周りには両手で数えるほどの騎士が控えていた。
逃げるどころか、口を挟むことだって不可能な状況に、エリンはされるがまま、従うより他なかった。
角灯を手にする騎士を先頭に、太合はさらなる奥へと進んでいく。
城の敷地内に入ったダニエルは被服店の店主とともに暗い廊下を進んでいた。
長年使われていなかった廊下は、ろくに清掃されておらず、ほこりが充満している。歩くたびに咳き込みそうになり、ダニエルは袖で口と鼻を覆った。店主もハンカチで口元を覆っている。
「城内は、今頃どうなっているだろうか」
ダニエルの問いを受け、ハンカチをポケットに仕舞った店主が、入れ違いに懐中時計を出した。時間を確認する。しまうと再び、ハンカチで口を覆った。
「お茶会がお開きになり、賓客のご令嬢方がお召替えを始めている頃でしょう。夜会の準備が整えば、城に働きに来た者も撤収し始める時刻になります。エリン様も仕事を終えれば、用意してある一室でお召替えを行う予定になっております。うちの者が迎えに行くことになっておりますので、準備は万全でございます。殿下がお迎えに行かれる頃には、見違えるほどお奇麗になっていらっしゃることでしょう」
「表の動きはわかった。裏側の進行はどうか」
「お茶会が終わるまでに、持ち込まれた品は回収し終わっております。エリン様は引き続き仕事に従事し、私どもの動きとは一切関知しない立場となります」
「持ち込んだ品は城内で泳がせておくのか」
「はい。足の速い者が持ち歩く手筈と聞き及んでおります。証拠品が持ち込まれていることを把握している太合側は、今頃躍起になって探していることでしょう」
「逃げている者は大丈夫なのか。見つかれば、ただではすまないだろう」
「その辺はぬかりなく。内々に潜んでいる者がおりますので」
「そうか」
「殿下の尊顔と証言、そして証拠品。これらがそろえば、十五年前の事実が明るみとなり、太合の立場は危うくなります」
店主は意味深に口角をあげる。
「お茶会に呼ばれたご令嬢方は、ソフィー様との親交や、陛下にご婚約を迫る口実の元で、表向き集められております。しかし実態は、太合なりに殿下の後ろ盾となりうる貴族を厳選し、招待状を送っているのです」
「俺の味方をあぶりだすためか」
「その通りでございます。太合からの招待状を無下にできる貴族などおりません。ましてや今回は陛下のご婚約者候補であるかのような呼び出しです。
そんな表向きはどうあれ、本来の目的は、物証を回収するにあたり、疑わしい貴族が判明した際、人質にしようと目論んでのお茶会なのです。夜に向け、城内の一室を用意し、お召替えの準備も行わせる確約までして。なんとも周到なことですな」
「裏があると勘付いている家門は?」
「ないでしょう。適齢期を超えている陛下が未だ婚約者を定めずにおられることが良いカモフラージュになっております。ソフィー様の引き立て役として呼ばれていると分かっていても、陛下に見初められないとも限らないお茶会ですからね。参加を拒否する家はなかったわけです」
「そんななかにエリンがまぎれることになって大丈夫なのか」
「仕事が終わりましても、帰宅用の馬車が出発する時刻は最も遅く定めております。エリン様は長らく大部屋で待機していただくことになるでしょう。人当たりの良い方ですので、一緒に働いたお仲間と楽しく過ごしていらっしゃるに違いありません。私どもの使いが迎えに行き、エリン様がお召替えに入られる時刻は、ご令嬢方とは少し時間をずらしております。鉢合わせることはございませんので、その点もご安心ください」
「ならいいが……」
「城内には敵対者もおりますが、同様に支援者もおります。彼らは、殿下のお心を優先し、動くことでしょう。下手に我々が接触しましても、エリン様を危険な目に合わせる可能性が高くなります。私どもとの接触は、エリン様の安全のためにも、少ないにこしたことはございません」
目を細めて笑う店主に、ダニエルは強く頷く。
「殿下におかれましては、早々にことを納められ、ご婚約者様を迎えに行って差し上げてくださいませ」
店主の弁に納得し、安堵しかけた瞬間、微かに木が軋むような音が聞こえ、ダニエルが足を止めた。音がした天井に目を向け、耳をそばだてる。引き続き、軽い打音が聞こえてきた。




