三章:二十一話:2
「太合様が、ここに? 私を探しに? なんで?」
顔をあげたエリンが真顔のカーンを見つめ返す。
「第一王子様の関係者だからだよ」
「関係者? 何も知らない私が! 第一王子様と面識さえないのに?」
「エリンさんは聖騎士ダニエル・スネルの婚約者なんだろう」
答え難い問いにエリンは喉を詰まらせる。
「俺はエリンさんの安全を第一にって指示されたんだ」
「なんで私?」
「その聖騎士様って方が元々重要な協力者だからだろ。それで婚約者であるエリンさんを守れってことだと俺は思っていたよ」
「私はダニエル様の元で働いているだけ、なのに……」
言葉の上っ面をなぞるエリンの声は力を失い、か細く萎む。
「身の安全のために、使用人に紛れて働く婚約者だって俺は聞いている。俺にとって、今日絶対に守らなきゃいけない人物はエリンさんなんだよ。重要な協力者である聖騎士様の、大事な婚約者だから、太合の人質に取られるわけにはいかないってことなんじゃないのか」
「大事な婚約者って!」
エリンは絶句した。
カーンは宥めるように説得を続ける。
「まずは、ここを出よう。なにか思うところはあるようだけど、考えるのはここを離れてからにしてくれ」
「離れるって……」
戸惑うエリンが、寝入る少女を思い出した時、
「ここを出るの?」
背後から、少女が声を発した。
振り向くエリンは、起き上がった少女を目撃する。少女は長い毛布を引きずりながら、エリンに近づいてきた。
カーンが少女に語りかける。
「ごめんな、待たせて」
「言われた通り、ずっと毛布にくるまって寝ていたよ」
「怖かっただろう。こんな暗がりに一人ぼっちで」
「大丈夫。それもお仕事のうちだから」
「起きたところで悪いんだけど、すぐにここから逃げなくちゃいけない。色々あって、状況が変わったんだ」
「わかった」
エリンはやり取りする二人を交互に見つめる。
事情があったにせよ、少女は頑張って暗いなかで待っていた。怖かったからこそ、寝ているしかなかったに違いない。暗く狭い一室に一人で待つ状況にさせてしまったのも、お茶会での一幕が影響しているとなれば、その責任の一端はエリンにもある。
夜が怖くて母の手を握って寝た幼い記憶がさっと蘇り、エリンは胸苦しくなった。
(太合がここに来るとなれば、この子にもっと怖い思いをさせることになるかもしれない。この子に、これ以上怖い思いはさせられないわ)
エリンは腹をくくった。
「まずはその子から逃がしましょう」
カーンは目を丸くする。
「それから、あなたね。私はこの抜け道がどこに通じているのかも分からないもの。先導役が先に行ってくれないと迷子になってしまうわ」
「俺はエリンさんを逃がす役割なんだ。先に行くわけにはいかないよ」
「これは譲れないわ。私は大人よ。子どもを置いて、先に逃げるなんてありえないわ」
エリンは角灯をカーンに突き出す。
「その子を連れて、先へ進んでくれたら、漏れる光を頼りに追いかけるわ」
でも……と口ごもるカーンに向け、エリンはからっと笑った。
「いい、私はどこぞの貴族令嬢じゃないの。ずうーっと下働きをしてきた奴隷出の平民なんだから。こんな細い道、煙突掃除の手伝いをしている気分で進めばわけないわよ。と言っても、煙突掃除はしたことないんだけどね。
とにかく! ここで押し問答していられる時間なんてないでしょ。私はちゃんと追いかけるから。逃げるなら逃げるで、さっさと動きましょう」
「……、わかったよ」
しぶしぶ了承したカーンは、床に転がる石を壁際に寄せた。少女を手招きし、一緒に穴を覗きこむ。エリンも二人の背後に立ち、吸い込まれそうな暗闇を覗き込む。
「降りたら狭い一本道が続く。這って進むと、別の通路の天井部に出るから、開口部を見つけたら通路に降りる。うまくいけば、協力者に出会えるらしい」
腰をかがめるエリンが、二人の背後で話を聞いていたところ、さざめくような皮膚感覚を覚え、顔をあげた。空間が細動しているかのような違和感に、片手で耳裏を撫でる。
オレンジの光に照らされた三人の影が扉に映りこんでいた。
炎がじじっと振れて、影が揺らぐ。
これから逃げるという緊張感に感覚が研ぎ澄まされ、影の動きを違和感としてとらえたのかもしれないとエリンは思った。
(勘違いね)
自嘲するエリンの耳に、今度は小石を蹴るような音が微かに聞こえた。
角灯の炎がじじっと鳴く。
息を殺して、耳を澄ます。
コツコツという足音が複数重なり、次第にはっきりと聞こえてくる。
誰かが近づいてくると察したエリンはしゃがみこんだ。
エリンの素早い動きに、カーンと少女が何事かと振り向く。
エリンはさっと口元に人差し指を立てた。
「しっ。今、足音が聞こえなかった?」
カーンが息をのむ。少女は両目を瞬かせた。
無音であった室内に規則的な足音が誰の耳にも届き始める。
「エリンさん、先に逃げて」
青ざめるカーンが早口で告げる。
「二人が先よ。私が先に逃げても、どこに行けばいいのか、誰に助けを求めればいいのか、さっぱりわからないわ」
エリンは角灯をカーンの手に押し付ける。動揺しつつカーンは角灯の持ち手をつかんだ。
「行って。私に良い考えがあるの。目的が私だけというなら太合様相手でも時間が稼げるわ。私が一人残ってもどうにかなる。むしろ、あなた達がいた方が困るわ」
「でも……」
渋るカーンの目の前で、エリンが手のひらを片耳に寄せた。
息を止めた三人の耳に、コツコツと響く足音が届く。階段をすでに下りきっているに違いない。この部屋に向かっているとしたら、扉の前まで、あっという間だ。
「足音が止まったら終わりよ。太合様の狙いは私なんでしょ。だったら、すぐに私に危害を加えることはないと思うの。でも、あなた達は違う」
エリンは二人の背を押した。
「急いで、逃げて」
不本意という言いたげな間を置き、カーンは少女に向かって、「行こう」と静かに告げる。
頷いた少女は四つん這いになると穴へ足から入り、「先に行くね」とするりと奥へ消えていった。少女に角灯を渡し、行き先を指示したカーンが、くるりと向きを変えた。出てきた時を巻き戻すかのように入り込む。
外から聞こえていた足音が止む。扉の向こうにたどり着いたのかもしれない。
鍵を開ける音が響いたら終わりだ。エリンとカーンが視線を交わす。
「エリンさんはどうするの?」
「扉の裏に潜むつもりよ」
早く二人を逃がしたいエリンは床に転がる石を持ち上げようと試みる。薄いわりに重量があり、動かない。大きく息を吸って、まずは立てようと力を籠めた。
「静かにしていれば、見つからないかもしれないでしょ」
子どもが隠れて遊ぶのとはわけが違う。引きずり出されるのは目に見えていたが、エリンは笑った。立てた石を左右に揺らし、穴をふさごうと動かす。
「助け。呼ぶ当てがあるんでしょ。なら。その人。呼んできてよ」
不本意とばかりに、ちくしょうと呟いたカーンが手をのばし、石をつかんだ。力を込めて引き寄せる。
ずずっと石がもとに位置に戻されていく。
漏れる光が減り、エリンは横目で扉の位置を確かめた。




