三章:二十話:2
エリンは、角灯の持ち手をつかみ、立ち上がった。
「ひどい経験をしとくのも、一度ぐらいなら悪くないわね」
高く掲げた角灯で、室内を照らし出す。エリンは石壁に沿って歩き始める。
「どこかに逃げ出す手掛かりはないものかしら……」
一回りした。窓一つない真四角の部屋に扉以外の出口はない。
「牢に行く手前にあるのだし、この部屋、きっと看守が使っていたのよね」
エリンは少女の隣に座りなおした。造花を売っていた少女は、ただただ眠り続けている。
「第一王子様が生きていて不都合なのが、王様、太合様、ボネヴィル公爵家となれば、やっぱり第一王子様は王位を取り戻しに来たということかしらね」
寝入る少女に話しかけるように呟いたエリンが、毛布からこぼれる毛先をもてあそぶ。寝息を立てる少女はぴくりとも動かない。手をひっこめたエリンは再び虚空を見つめる。
「正当な立場にいる方だし。そういう方を支援する貴族はいそうよね」
闇に向けエリンは語り掛ける。
「私が持たされていた紐は、例えば、これがあれば、第一王子様だって特定しやすい品だったってことかしらね。なにかの物証だったのかな。
あーあ。ダニエル様が、知らない方が良いというわけだわ。私が勘付いてもどうにもならないじゃない」
挙句の果てに閉じ込められて、にっちもさっちもいかなくなった。盗人を追いかけることなく仕事をしていれば、こんな目に合わずに済んだのに、だ。
「閉じ込められるだけで済んでいるってことは、たぶん、外の世界は、私が想像するより、ずっと緊迫しているのかも。
私たちを問い詰める余裕すらないってことでしょう。ねえ、そう思わない」
少女に向け話しかける。
されども、返ってくるのは寝息だけ。
逃げ道もない上に、どうしようもないことばかりだと肩を竦めた時だった。
ガンと石が打ち合う音が響いた。
突然の大きな音に、エリンは身体を縮こませる。
「なに? なんの音?」
どこから聞こえてきたか分からず、音の源を探ろうとエリンは息をひそめ、眼球を左右に動かした。
がんがんと石を打つ音が数度響く。
けたたましい音にエリンの警戒心が跳ね上がる。
前方に突き出した角灯でエリンは周囲を照らす。
部屋中くまなく目を凝らしても、暗いばかりの室内に変化は見受けられなかった。
もう一度、ガンと高い音が鳴った。
同時に、ひゅっうと風が流れる。冷気に頬が撫でられ、鳥肌が立った。
吹き込んできた風がどこからきたのか。
探ろうとエリンは目を凝らす。
照らしだす床の上に、石がごろりと転がっていた。
(石が剥がれ落ちたの。なんで? 壁に触れた時は崩れそうな箇所なんてなかったのに……)
ごつごつした石が左右に揺れる。
まるで、たった今、壁から剥がれて転がったところだと物語るように。
石が埋め込まれていたであろう壁に、エリンはオレンジの光をかざした。
光を吸引する深く暗い穴が浮かびあがる。
「もしかして、出られる? そんなむしのいいことが、いきなり起こるものなの? そんなわけないわよね。暗くて、よく見えないけど。だた埋め込まれた石が、剥がれただけに決まっているわよね」
立ち上がったエリンは、状況を確認しようと腰をかがめ、恐る恐るすり足で進み始めた。
床の石に近づき、触れる。何の変哲もない硬い石だ。
ひゅっとまた風が吹く。
密室だった室内が呼吸するかのように、エリンの前髪を風がゆする。
外気に語り掛けられたように感じたエリンは石が剥がれ落ちた壁に向けて、手にしていた角灯をかざしてみた。
灯が暗い穴に吸い込まれる。
黒々とした穴の状態をちゃんと確認しようと、エリンは半歩前に出た。
突如、暗い壁穴から、にゅっと人の手が突き出してきた。
壁から咲いた人の手は、指先を虫の足のようにもぞもぞ蠢かせる。
「ひぃぃっ!」
身体を仰け反らせるエリンが、悲鳴交じりに息を吸う。
勢いあまり、しりもちをつく。
チラつかせる手のひらを目の当たりにし、腰を抜かしたエリンは蒼白となる。
小刻みに口を動かせど声は出ず、壁穴に咲く手を凝視した。
手が前方に伸び出せば、ぬっと腕が生えてくる。
壁から肘が盛り上がり、空を搔いていた手がドンと床を叩いた。
細く息を吸い込んだエリンが、たまらず
「きゃあああ」
悲鳴をあげた。
突き出す角灯が揺さぶられ、オレンジの灯が歪む。
足をばたつかせ、後退しようとしているのに、足裏が滑って一向に進まない。
壁の腕が床を押し上げると、石がはめられていた箇所から、ぬっと頭部が突き出してきた。
エリンは喉から心臓が飛び出るかと思った。
拍動が増す。
息が止まりかけ、頭のなかは真っ白に染まりきった。
壁から上半身が這い出てくる。
悲鳴を上げる余裕すらなくなったエリンは、半泣きの顔で口をはくはくと動かすばかり。
そんなエリンの目の前で、這い出てきた人間が、肩を上下に激しく動かし、ぜいぜいと息を切らす。
静かだった空間に響く息遣いにより、エリンは我に返った。
「人間?」
化け物でも、お化けでもない。
ただの人間が、いきなり壁から出てきたのだ。
エリンが角灯を突き出し、現れた人物を照らしだす。
頭部を照らされ、壁から這い出た人物が顔をあげた。
エリンは吃驚する。
波のように押し寄せた衝撃が一気に引くなり、叫んだ。
「あなた、私の財布から盗んだものを返してよ!」
壁から這い出てきたのはソフィーが探していたカーンであり、エリンが追いかけていた盗人であった。




