三章:二十話:1
重苦しいため息とともに、エリンは顔をあげた。
暗がりの向こうに浮かぶ閉ざされた出口を見据える。
少女の健やかな寝息が響く室内で、角灯がエリンと少女をオレンジ色にまあるく包む。
毛布にくるまって眠る少女にエリンは視線を落とした。
「小さな子を目の前にして、大人の私がうろたえてどうするのよ。しっかりしなくちゃ。この子が目覚めた時に大丈夫だよって言えるぐらいには」
気持ちを奮い立たせたエリンが片手でこめかみを押した。軽く目を閉じる。
「この城内で一体なにが起こっているの。私の知らない水面下で……」
下働きには感知できない事が、城の裏側で同時に進行しており、それが行方不明となった第一王子が関わるとなれば、王室どころか国中がひっくり返るほどの大ごとだ。
第一王子が亡くなっていたのなら、そもそも隠す必要はない。時期を見計らい、遺体が発見されたと流布すればいいだけだろう。
世情から忘れ去られ、表向き亡くなっていると認識されている王子様である。陰で生死不明と噂されていたとなれば、予想通りの結末だ。世間が一時ざわついても、現王を支える公爵家が盤石である以上、時の流れとともに風化していくに違いない。
「第一王子様が生きている。だから話が変わるのよね……」
口元に拳を寄せ、エリンは考え込む。
誰が困り、誰が得するのか。
熟考するまでもなく、答えは浮かぶ。
「一番困るのは王様よね。長男を跡継ぎとする国だもの。第一王子様が出てきたら、第二王子様である王様の立場がゆらぐはずよ」
しかし、年若く即位した陛下はあまり表に出てこない。治世を牛耳っているのは、陛下の後ろ盾になっている太合やその実家たる公爵家である。
「実権を握っているのは誰かって考えたら、王様より困るのはボネヴィル公爵家なのかも。王様の後ろ盾として確立した地位が危ぶまれるわけでしょう。だとしたら、第一王子様を担ぐのは……」
摂政につく公爵家が行う不当な締め付けを経験し、快く思っていない貴族も少なくない。そんな貴族が束となり、現王を廃し、正当な第一王子を王位に据えようと目論む可能性は大いにある。
「公爵家のやりように不満を抱いている家門は、伯爵家だけではないはず。正当な後継者が存命であるのなら、それを推す一派が出てきてもおかしくないわ。
ローワンさんは公爵家の人だから、紐を奪う側。
紐を持ち込む人たちが、第一王子様側に立つ側。
持ち込まれた紐を横取りしようとしているのは公爵家。
盗人だって、ローワンさんが後見しているわけだし……。そう考えると。辻褄、合いそうよね」
エリンはかっと目を見開いた。
「つまり、ダニエル様は第一王子様側の人ってこと? 紐を私に持たせたってことは、つまりは、そういうことよね?」
むっと口を閉じたエリンは、盗人を追いかけている最中に見た三枚の絵画を脳裏に描く。
黒い髪に濃い緑の瞳をした先代の王。
その前王によく似た第一王子。
絵画では子どもだったが、時が経ち、第一王子も今は大人になっていることだろう。
当然、エリンよりも年上である。
「子どもの頃であれだけ似ているんだもの。大人になった第一王子様は、先代の王様と瓜二つでもおかしくないわ」
腕組みしたエリンは、首を大きく捻る。
「ダニエル様の年齢。もしかすると第一王子様と、とても近いんじゃないかしら。お隠れになった第一王子様は、実は亡くなっておらず、行方不明だったとしたら。だとしたら。首都を離れて、別の場所で生きていても。おかしくないには、おかしくないけど……」
出会った時のダニエルの姿をエリンは思い浮かべる。
朽ちた屋敷の扉から出てきたのは赤ら顔の飲んだくれ。髭も髪も伸び放題で、風貌は夜盗と間違われてもおかしくないぐらい酷かった。態度も口調もぞんざいで、つまみ片手に酒を呷る姿は無作法そのもの。
初対面の衝撃が蘇ると、みるみるエリンの表情が、呆れ半分に変わってゆく。
「あれが……、あれが王子様だなんて」
こらえ切れず、エリンはぷはっと噴き出した。
「ありえないわ。ないない、ないわ。もじゃもじゃで、盗賊みたいだったダニエル様が、第一王子様かもしれないなんて。一瞬でも想像する方がおかしいわ。それこそ、本物の第一王子様に失礼よ」
笑い飛ばせば、張りつめていた気持ちが解けてゆく。
「あんなぼろぼろのお屋敷で、お城育ちの第一王子様が暮らせるわけがないでしょう。ないない、ないわー。ありえない」
ありえない想像に笑いが止まらなくなる。隣で少女が寝ていなかったら、床を拳でたたいて大笑いしていたことだろう。
「ダニエル様が王冠なんか被ったら、ずれて、ずれて……、前髪で前が見えなくなりそうじゃない」
喉を鳴らして必死に耐えるエリンは、捩れる腹を抱えて、背を丸めた。
「だめ、もう、想像するだけでおかしすぎる。あのもじゃもじゃの顔で……。王様みたいな立派な装いをしたってねえ。いや、もう、だめ……」
息苦しくなり、深呼吸する。
落ち着こうとしたのも束の間、腹の底から再び可笑しみが湧きあがってきた。まだ笑い足りないと身体は言わんばかりである。
すぐ横から寝息が聞こえた。
慌ててエリンは片手で口を覆う。
口をふさいでも妙な笑いはすぐ止まらない。
喉を震わせ、声を絞り、ひとしきり堪えながら笑い終えたところで、エリンは目じりに溜まった涙を拭った。
「でも、ダニエル様、いったいどこで第一王子様とお知り合いになったのかしら。やっぱり北で出会ったと考えるのが、一番可能性あるのかな。
もしかして聖騎士様になられたのも、第一王子様と繋がっていたから?
まさか! それはないわ。だって、国を治めているのは王様であり太合様であり、公爵家だもの。政治を牛耳っているのは、第一王子様が生きていたらまずい人ばかりよ。第一王子様と繋がりある人を要職に着けるはずがないわ」
ふむとエリンは一人納得する。
改めて大きく息を吸って吐く。
すがすがしい表情で天井を見つめた。
「ここはお城にある一部屋よ。石の壁はしっかりとしており、床だってめくれていない。天井からだって雨漏りする気配がない」
オレンジ色に照らされた室内をエリンは一つひとつ指をさして確認してゆく。
「天井も割れてない。たぶん雨漏りの染みもない。床もまったくきしんでない。石壁もきれいに石が積まれている。どこの石もはがれていない。扉だって、ちゃんと鍵がかかる。
……てっ、鍵がかかるから、閉じ込められちゃっているんだけどね」
勢いあまって、変な結論にたどり着き、エリンは誰もいない空間に向け照れ笑いを浮かべた。
検分すれば、奇麗な城の一室であり、暗い以外に問題がまるでない。地下にあるからか、昼寝にはもってこいの室温だと気づいたエリンは、真顔ではっきり宣言する。
「ぼろぼろだったダニエル様のお屋敷より、ずっとまし!」




