三章:十九話:3
暗くて恐ろしいと感じた廊下を少し進むと階段があった。
階下に光があり、段差が浮き上がって見えた。
壁に手を添えて、ゆっくりと降りる。
下りきった先の壁に、洋灯がかけられていた。
オレンジの光が抜ける廊下は思った以上に明るく、エリンは拍子抜けする。
光源を設置するのは人の出入りがあるからこそだ。
なにを怖がっていたのだろうかとばかばかしくなった。
心配など所詮杞憂だったのだ。
子どもがお化けを怖がるのと同じ気持ちに囚われていたに違いない。
そう自覚すると、急にエリンは気恥ずかしくなった。
数歩進む。
鉄枠がはめられた木製の扉があり、ローワンがその前で立ち止まる。
扉を数回ノックする。
距離を置いて待つエリンは、牢に通じていると聞き及ぶ奥へと目を向けた。
洋灯の灯が届き切らない奥はさすがに暗く、壁も床も黒々と一体化し、闇に溶けるようであった。
振り返ったエリンが階段を見上げた。
洋灯により上へと延びる段差が浮き彫りになっている。
とはいえ、階段上部まで明かりは届いていない。
上で通路を暗く感じたのは、光が届いていなかった、ただそれだけのことだったのだ。
ガチャ。扉が開いたと告げる音が鳴る。
「エリンさん」
ローワンが扉をあけ放ち、エリンを招く。
「ぞうぞ、お先に。まだ休憩に入った者はいないようですが、ここで作戦を練りましょう。戻ってくる者のなかには、カーンの動きを知っている者もいるかもしれません」
「はい」
手招きするローワンに誘われ、エリンは室内を覗き見る。
内部を目にした瞬間、エリンはぎょっとした。
がらんどうの小部屋は、机どころか、椅子もない。殺風景な部屋にあるのは、たった一つの角灯と一塊の毛布だけ。
(こんな部屋が詰め所なはずがないわ!)
ぞわりとエリンは総毛だった。血の気が引き、身体が冷える。頭の中で逃げろ逃げろと警鐘が鳴り響く。膝が震えた。騙すわけがないと信じていた人物への警戒心が身体を走り抜ける。
(逃げなくちゃ!)
視界が狭まり、角灯の明かりが際立つ。傍らに置かれた毛布が妙に大きく見えた。端から、うねる毛先がこぼれ落ちている。ゆっくりと上下に動く塊の大きさから見て、寝ているのは子どもではないかとエリンは勘付く。
(子どもが閉じ込められている? なんで!)
疑問が湧くと同時に、エリンの手首に痛みが走った。目尻と眉が鈍痛に歪む。
痛覚をたどれば、腕をつかむローワンがエリンの視界に飛び込んできた。
無感情な眼光にぞっとする。
ローワンがエリンの腕を引く。
力のないエリンは前のめりに室内へと放り込まれた。
まろび倒れるエリンは、両手を床につけるなり、身体を反転させた。
中腰になるエリンの視界に刀身が飛び込んでくる。弧を描く剣先がエリンの眼前に突きつけられた。先端から伝ってくる圧迫感に喉が引き締められ、息苦しくなる。
「黙って、ただ働いていればいいものを」
ダニエルと同じセリフを投げつけられ、エリンの背からぶわっと冷たい汗が噴き出した。あえぐように唇を戦慄かせる。
(私、どこで……。どこから……。間違えた?)
唯一の出口に立ちふさがるローワンを前にし、四方を壁に囲われるエリンに逃れる道はどこにもない。
硬直するエリンは豹変したローワンを凝視する。
「なにを運んでいたのか知りもしない、知る必要のない立場の者が、首を突っ込むからこうなるんです。それとも、運んでいた品がなんなのか。知っていて、追いかけていたんですか」
知っていたならばただでは済まないと、脅された気がしたエリンはぞ震え慄く。
違うと言葉を発するより早く、否定の気持ちが働く。
頭を左右に振った。
「でしょうね」
ローワンが片方の口角を吊り上げ、嘲笑する。
そのまま、数歩後退る。
「何も知らないのなら後回しです。あなたの始末はすべてが終わった後だ」
始末ってなにと戦くものの、未だ向けられている剣先に縛られ、エリンは声を出せなかった。
「ここで大人しくしていてください。お茶会だ、夜会だと忙しないのは表向きのことです。今日の城内は水面下で、ここ数年ないほどに密謀が蠢いています」
ローワンがさらに下がる。
「第一王子の生存にかかわる物証が持ち込まれているとなれば、ただ事では済まないぐらい察しがつくでしょう」
「あれが、まさか。第一王子様の……」
信じられないとエリンは言葉を失う。
「何も知らないあなたに、これ以上答えることはできません。
すべてが終わるまで、ここで大人しくしていなさい」
いつの間にか廊下に出ていたローワンが扉を閉ざした。
剣が遠のくと圧迫感が解け、大きくエリンは息を吸った。這うように扉へと進む。
どんどんと拳で扉をたたいた。
ガチャリと嫌な金属音が響く。
「待って。ねえ、待って。待ってよ」
必死に扉をたたくも、足音は無情に遠のき、とうとう聞こえなくなった。
エリンはずるずるとその場にへたり込んだ。
「どうしよう。私、どうしたらいいの……」
路上で盗まれた時のように、走り去る盗人を呆然と見送っていれば、よかったか。
小銭入れを盗まれたことさえ、気づかなければ良かったか。
後悔が押し寄せ、エリンはうなだれる。
(まさか、持たされた紐が第一王子様の生存に関わるものだったなんて……)
ダニエルが、ただ働いていればいい、知らないからこそ頼めると言ったことにも意味があったのだ。
「ダニエル様の言いつけを破ったつけが回ってきたってこと……」
両手を床に押し付けたエリンは深呼吸を繰り返す。
浅い呼吸が深くなるごとに、落ち着きを取り戻していく。
(そうだ! ここには、もう一人いるんだ)
エリンは振り向く。律動する毛布に四つん這いで近づいた。微かな寝息が聞こえた。揺すろうとして、手を止める。
「良かった、生きてる。良かった……」
安堵するエリンは毛布の端を摘まむ。覗き込み、凍り付く。
(この子、造花を売っていた子だ。なんで、この子がここに!)
寝顔を凝視するエリンが、そっと毛布から手を離した。
「なんで、ここに、この子が。こんな、窓一つない部屋に……」
毛布にくるまる少女の傍らにエリンは座り込む。
「私と同じように、あなたも例の紐を持っていたの?」
小声で話しかけても、返ってくるのは寝息だけ。
ここに寝ている経緯を聞きたいものの、下手に起こしても、怖がるだけかもしれないとエリンは躊躇する。
怖いからこそ寝ているのかもしれないのだ。
顔をあげたエリンは、
「どうする、私。どうしたらいい」
どうしようもないと頭を抱えた。




