三章:十九話:2
ローワンの歩調が緩む。十字に分かれる分岐点にたどり着き、立ち止まった。
追いついたエリンが横に立つ。
目の前の通路は宝物庫に通じている。
左右はエリンが歩いてきた通路と地下へ通じる通路だ。
(元来た道を引き返すことになりそうね。倉庫や地下に騎士の詰め所があるなんて思えないもの)
引き返した先で仲間たちに出くわしたらと考え、エリンの気持ちが沈む。医務室に行っていない手前、言い訳を考えておいた方が良いだろう。加えて、ローワンと一緒にいる理由を聞かれても返答に困る。口裏を合わせておいた方がいいかもしれないとエリンはローワンを盗み見た。言い出しにくいことこの上ない。嘘に嘘を塗り重ねることになることにも気が引ける。
「こっちです」
ローワンの掛け声を合図にエリンはもと来た通路へと踏み出した。
「そっちは違いますよ」
足を止め、横を向く。ローワンが地下へ通じる通路へと身体の正面を向けていた。
(なんで地下へ!)
片腕をあげたローワンが、天井に向けた手の平をくいと動かし、こっちへこいと示してくる。
驚いたエリンは恐れおののく。
向かおうとしている先は、すでに使われなくなった牢があるのみ。行ってはいけないと大工が言っていた通路である。
真っ暗闇の薄気味悪い通路の先に、騎士の詰め所があるとは到底思えなかった。
「そちらには、何もないと聞いていますが……」
エリンは言外に疑念を滲ませる。
「今日割り当てられた騎士の詰め所が、こちらにあるんです」
ローワンがさも当然と答える。
彼の背後に広がる暗がりの不気味さに、エリンの足がすくむ。
(このまま、地下へ行っていいの……)
不安が煽られ、迷いが増幅する。戸惑いはエリンの身体を強張らせた。
城内に持ち込んだ紐を、声をかけてくる人物に渡すよう任じたダニエルはエリンにこうも言っていた。
『エリンはただ働いていればいい』
働くとはすなわち、下働きとして職務を全うすることである。
盗人を追いかけたことも、明らかに行き過ぎだ行為に他ならない。
これ以上踏み込んでは、ただ働いていればいい、知らないから頼めると言っていたダニエルの意向を無視することになってしまう。
(私、一体何をしているんだろう)
行ってはいけないと心がさざめく。言い知れない懸念が足元にねばりつき、踏み出すことができなくなる。
ソフィーとの出会いにより冷や水を被ったエリンは、ここまで勢いだけで走ってきた行為そのものが間違っていたのではという不審を心の片隅に抱き始めていた。
(このまま地下に行って、盗人を捕まえることに協力したら、私は本来の仕事を完全に放棄することになっちゃう。紐を預けたダニエル様だって、そこまで望んでいないはずなのに……)
今ならまだ引き返せる。まだ医務室に行こうとしたが迷ってしまったという言い訳がまかり通る。平謝りに謝ることになるかもしれないし、紐を諦めることになるとはいえ。
沈黙するエリンにローワンが近寄ってきた。
「やはり地下に行くなんて警戒しますよね。牢に通じていると噂されていれば、気後れして当たり前でした」
すまなそうな顔をするローワンに、エリンは肯定も否定もできなかった。
「階段を下った先に小部屋があります。今日はそこが公爵家から遣わされた我々の詰め所になっているんです。さらに先には進みませんから安心してください」
ローワンは穏やかな口調で語り掛ける。まるで、怖がるエリンを宥めすかすかのように。
「今日は、昼に茶会、夜に夜会を開くだけではなく、ご令嬢方が着替えるための控室も多数用意せざるを得なく、城内の部屋が不足しているのです。
外部から派遣された方々対し、こんなおどろおどろしい控室を割り当てるわけにはいかないでしょう。当然、怖がられてしまいます。
私たちは夜間や雨天の訓練をしていますので、このぐらいの場所でも平気なんですよ。気味悪いには気味悪いですけどね。我々が気にしないからといって、説明不足でした。エリンさんのような一般の方に対し配慮が足りず、申し訳ない」
「いえ……」
「そんなに奥までいきませんから。なにも怖いことはありませんよ」
ローワンが身体を傾け、道を開ける。
エリンの目の前に暗い通路が開かれた。
「さあ、行きましょう」
盗人を追いかけると定めれば、もう引き返せない。
エリンはちらりとローワンを見た。公爵家所縁の騎士であり、路上で小銭入れを取り戻してくれた人でもある。盗人の事情を知っては手を差し伸べ、仕えるのは道すがら子どもたちに話しかけるジルや人懐っこいソフィーだ。良心的な主に仕える真っ当な人ではないか。
そもそもエリンを助けるのはソフィーの命だ。主の意向に反し、ローワンがエリンを騙すなんてありえない。
(考えすぎよ。行き先が暗いから、大工さんに言われたことが気になった。それだけじゃない)
ここで引き返したとあってはソフィーの好意を無下にすることにもなる。
ダニエルが仕事をしていればいいと言ったのは、あくまで紐を渡すべき人に渡した後のことだ。エリンはまだ紐をきちんと渡せていない。
(大丈夫、きっと大丈夫よ)
身体をぶるりと震わせ、前を向く。進むべき道を見据えた。
(行こう)
ねばりつく疑念を振り払い、エリンは暗がりへと足を踏みいれたのだった。




