三章:十八話:3
「カーンと会えずじまいは悲しいけど、私はお茶会会場へと戻ります。エリンはこれからどうするの。お仕事に戻られるの」
「そうですね」
仕事を放り出していると言えないエリンは、曖昧に笑む。
ソフィーがエリンの顔を心配そうに覗き込んだ。
「なにか困ったことがおありなら、力になりますわよ」
急なソフィーの提案に、エリンはぎょっとする。
そんな顔色の変化さえ、楽しむようにソフィーは笑む。
「これも何かの縁ですもの。遠慮なさらずに」
のびのびとした微笑を浮かべるソフィー、これが公爵令嬢、力ある者の余裕なのだろう。
幼少期から大切に育てられた無邪気さが、エリンの目に眩しく映った。
「ありがとうございます。お心遣い、とても嬉しいです」
「いいのよ。今日はお城に、公約家の騎士団からも警備に来ているとお話ししたでしょう。だから私、実はちょっとした権力者なのですわ。困りごとがあれば、騎士を差配することもできるのよ」
ふふんと得意げにソフィーが笑う。
家名だけで十分権力を持っているソフィーが屈託なく自慢する。
可愛らしいとは言えばそれまでだが、王妃になるには少々頼りないような、足場が軽いような、そんな気になり、太合が心配と話していたのも、どことなくエリンも納得できる気がした。
適切な答えを見つけられずに、エリンがお世辞笑いを浮かべた時だった。
「ソフィー様!」
ソフィーの名を呼ぶ、悲鳴のような声が突き抜けた。
エリンとソフィーは声が聞こえた方向に顔を向ける。
速足で駆け寄ってくる侍女を先頭に、帯刀する騎士たちが廊下を歩いてきた。ソフィーを見つけるなり、彼らの足が速くなる。
「残念、見つかっちゃったわ」
ぽつりと零したソフィーがエリンから手を離す。立ち上がり、侍女たちに身体を向ける。
エリンもまた大慌てで立ち上がった。侍女や騎士たちに場を譲ろうと一歩引く。
蒼白な侍女と小走りで近づいてくる数人の騎士。そんな騎士たちのなかにジルと一緒に街中で会った人物もいた。午前中にホールですれ違ったジルの従者であり、盗人を路上で捕まえた人物でもある。
(まさかこんなところでまた会うなんて)
驚いていると目があった。心臓が一つはね、エリンは騎士から視線を逸らす。
(私のこと、覚えているのかしら。だとしたら盗人のことだって覚えているかもしれないわ。もしかして、相談できる? 相談……、できそうじゃない)
しかしながら、下働きが騎士に話しかけていいものか、迷うところだ。
話を切り出すきっかけはないかと逡巡するエリンの前で、ソフィーに駆け寄ってきた侍女がさめざめといかにお嬢様がいなくなり心配したかと訴え始めた。
こうなれば、この場は侍女とソフィーの舞台となる。涙ながらに訴える侍女と宥めすかすソフィーとのやりとりが続く。
仕えるお嬢様を見失い肝が冷えたであろう侍女の気持ちは察するに余りある。
侍女とソフィーから数歩離れて取り囲む真顔の騎士たちは、逃がすまいと包囲網を敷いているようにしか見えなかった。
半泣きの侍女が落ち着きを取り戻し、ソフィーが顔をあげた。騎士たちの顔ぶれを見回し、エリンが知る騎士に話しかけた。
「ローワン。カーンは一緒ではないの」
「見習いの彼は我々とは別の仕事に従事しております」
「残念だわ。ローワンが見えたから、期待したのに……」
ソフィーがぷうと頬を膨らませる。
「彼には彼の仕事があります」
「仕方ないわね。お仕事を頑張らないといけない事情があるのは知っていますもの」
「申し訳ございません」
「ところで、ローワン。一つ、頼まれてもらえません? 実は、そこにいるエリンさんが困り事を抱えているようなの」
急に話が振られ、ビックリしたエリンがピンと背筋を伸ばす。
「本当なら私が手を差し伸べてあげたいところなんですけど、お茶会に戻らねばならないでしょう。だから、私の代わりに助けてあげてくださいな」
ソフィーがローワンにお願いする間も、横にいる侍女は眉を歪めて、お早くお戻りくださいと半泣きで訴え続けている。間もなくお茶会に王様が来るというなら、気が気でないに違いない。ソフィーが遅れたことにより、怒られるのは仕える彼女の方なのだ。
ローワンは一緒にここまできた他の騎士に目で合図を送った。ソフィーの言うことを聞かなければ始まらないと判断したのかもしれない。ふわふわした見た目や態度とは裏腹に、一度言い出したらきかないタイプと見受けられる。悪意はないが、ありがた迷惑なお嬢様なのだろう。気の強いアメリアとはまた違うタイプだが、これはこれで心配事が絶えなさそうである。
「かしこまりました。では、この方のご用向きは私が責任をもって対処いたしますので、ソフィー様はお茶会会場へとお戻りくださいませ」
「必ずよ。お願いね。騎士に二言はなくってよ」
「承りました」
侍女が「お早く、王様がお見えになります」と涙目で訴える。彼女の気持ちを考えてしまうエリンは、早く行ってあげてほしいと願う。
しかし、動じないソフィーの視線はエリンへと注がれる。
「エリン。ローワンは我が家門から派遣されている騎士なの。困ったことは彼に相談してね」
「そんな、滅相も……」
ございませんと答える間もなく、ソフィーの視線はローワンへと向く。
「頼んだわよ」
「かしこまりました」
「ねっ、エリン。私って、ちょっとした権力者でしょ」
いつの間にか、廊下の空気がぴりぴりし始めていた。ただの下働きに時間を潰してはいられないと言いたいのだろう。騎士が醸す緊迫感に、エリンの胃が捩じられる。
業を煮やした侍女がとうとうソフィーの腕を捕まえた。
「お嬢様、お時間が迫っております」
侍女がその腕を引っ張れば、やっとソフィーが歩き出す。
「それでは、ローワン。よろしくね」
朗らかな声を廊下に響かせて腕を取られるソフィーが引きずられてゆく。
ローワン以外の騎士たちがソフィーを取り囲み廊下を進む。集団が小さくなる。足音さえ消え、静まり返る。
残されたエリンとローワンが顔を見合わせた。
視線を交わすと二人は同時にため息を吐いたのだった。




