三章:十八話:2
初めこそ散々だったが、一つ屋根の下で暮らしているうちに、ダニエルの態度は徐々に軟化していった。
(ダニエル様が変わったきっかけって、なんだったっけ。何かあったかな)
ぱっとダニエルが作ってくれたお弁当が頭に浮かんだ。次いで、果物の飾り切りで彩られたプレート。なぜか一緒に食事をすることになった、食卓の風景も。嬉々として話を待つソフィーがこれで納得するかは分からないが、おずおずとエリンは口を開いた。
「一緒に、食べたり……」
「食べるの?」
「食事とまでは言わないですが。お菓子でも、なんでも……。一緒に食べているうちに、少しは、距離が縮まるのかと……」
ぱあっとソフィーの表情が明るくなる。
「良いことを聞いたわ。なら、私が美味しい食べ物を差し入れすれば……」
拳を口元に寄せたソフィーがふふっと笑う。頬に赤みがさし、楽しい想像にふける姿は、まるで幼子だ。本当にただ友達になりたいだけなのかもしれない。
無邪気さにエリンはくすぐったくなる。
「ソフィー様には、仲良くなりたい方がいらっしゃるんですね」
「ええ。とっても。最近、家門の騎士団に見習いで入ってきた方なの」
「騎士団というと男性、ですか」
「そうよ。田舎から職を求めて出てきた人よ。田舎の暮らしって面白いわね。あと兄弟姉妹のお話も。私、末っ子だから、本当は妹や弟が欲しかったのよ。聞いているだけで、こんな妹や弟がいたらいいのにって夢を持てたわ。本当に少しお話しただけでも、私の知らないことを教えてくれて、彼に興味がでたの」
これから王妃になるかもしれないソフィーが、騎士団の見習いに現を抜かしているとは。聞いて良かったのか悪かったのか。平民相手にお友達になれるといいですねという社交辞令もそぐわない気がしたエリンは複雑な表情で浅く頷いた。
そんなエリンを見つめ、ソフィーは「どうかしまして」とあどけなく、小首を傾ぐ。
純真無垢なご令嬢が浮かべる、あまりにも無防備な笑顔に、エリンは複雑な気分になる。
「世の新聞には、ソフィー様が次期王妃様として書かれていたもので……」
そんな方が王様以外の男性と仲良くしたいとは、いささか問題にならないかと言いたいところを、エリンはぐっと飲み込んで、こう答えた。
「まさか、このように親しみやすい方とは、思いませんでした」
嘘ではないが、誤魔化しもすぎる物言いとなり、エリンの心臓がチクリと痛む。後ろめたさのあまり、いびつな微笑を浮かべるエリンに、ソフィーはさっぱりとした笑顔を向けた。
「あら、でも王様は私と婚約なさらないわ」
邪気のないストレートな発言にエリンは目を見張る。
まじまじとソフィーを見つめると、彼女は笑みをより深めた。
「伯母さまが望まれても、王様はきっと首を縦に振ることはないでしょう。私も然り。王様とは、物心ついたころより知己の間柄です。知己と言えば、かしこまった言い回しですけど、ほんとのところは、陛下の膝小僧に抱き着くぐらいの頃からのお付き合いなのよ。それこそ、記憶にない黒歴史をたんまり知っている方との結婚なんて、想像できて? 嫌だわ。そんなの私が痛々しくて、悲しくなるわ」
貴族たるもの、家門の意向というものもあれば、世情の期待もあるのではないかとエリンは思う。
頤に人差し指を添えたソフィーが意味深な笑みを浮かべた。
「でもね、私だって、伯母さまが王妃にしたいと望まれているぐらいはちゃんと知っていてよ。だから、今日も、王様がお見えになるというので。私。お手洗いに行くと言って、迷子になるために、お茶会を抜け出してきたのよ!」
両手で頬を包んだソフィーが嬉しそうに打ち明ける。
「……。あのぉ……、それは、つまり……。これから王様が来るというところで、お茶会の会場を離れられたということですか」
「ええ、そう。王様がお見えになるから、早く戻るようにと言われていたのですけど。とっても我慢できませんってふりをして、会場からも逃げて、付き添いの侍女からも逃げてきたの。
もしからしたら、逃げているうちにカーンに会えるかもしれないじゃない。
あっ、カーンというのは、私が仲良くなりたい人の名よ。今日はね、彼もここに働きに来ているの。だから、こうやって歩いていれば、もしかしたらカーンと会えるかもしれないって期待していたんですけど……」
悲し気にソフィーが俯く。
「ぶつかってきたのは、エリンだったってわけなの」
しょんぼりするソフィーと向き合うエリンも一緒にしゅんと肩を落とした。
項垂れれば、申し訳なさに包まれる。
感化され、盗人を捕まえようと張りつめていた気持ちが萎びた。
気張っていた緊張が解け、心底に押し込めていた諦めが盛り上がってきた。
眉を逸らせるソフィーが笑む。
「でも、もう諦めたわ。王様もいらっしゃることですし、お茶会の会場へと戻ります」
この広い城内で、たった一人を探し出そうとすることが、どれほど無謀なことか。
肩を落とすソフィーの姿によって、諦めを突きつけられたエリンは絶望に包まれた。
目を背けたかった現実を自覚し、意気込みが瓦解する。頭では分かっていても気付きたくない。気づかないように目を背けてきた、つけが回ってきた。
「ここまで粘って見つからなかったのだもの、今日はご縁がなかったのね」
『粘って見つからない』
ソフィーの何気ない一言がエリンに重くのしかかる。
追いかけていく最中、ずっと心の片隅にあった不安が、エリンの足元でとぐろを巻く。無念さのあまり視線が落ちる。スカートをぎゅっと握りしめた。
(ダニエル様から頼まれたことだったのに……)
重いため息を飲み込み、エリンは口角を上げるとソフィーに尋ねた。
「王様を避けていらっしゃるわけではないんですね」
「もちろんよ。従兄ですもの。嫌いとは違うのよ。結婚したくないというのは、嫌いだからというわけじゃないの。いうなれば、好きの種類が違うのよ」
「好きに、種類、ですか……」
「そうそう。恋心と親愛は似て非なるものよ。区別がつきにくくとも」
くりんと丸い瞳をソフィーは輝かせる。
『恋心と親愛は似て非なるもの』
エリンは頭のなかでソフィーの言葉を二度繰り返した。天使のような彼女がなにを言わんとしているのか、分かるようでわからず、意味は飲み込めなかった。




