三章:十八話:1
エリンは薄暗い廊下を駆けていく。
単色の壁と天井が続く裏側の通路は、表とはうって変わって質素そのもの。
進めど、入り組んだ通路がどういう構造をしているのか、さっぱり分からない。
今更ながら、はぐれないようにと列を組ませて歩かせた侍女の意図が身に染みる。
再び出口が見えてきた。
廊下を出る扉を開いても、盗人はすでに逃げた後だろう。
頭では分かっていても、エリンは進むしかない。
見失ったふがいなさを振り払い、絶対に盗人を見つけてやると意気込んで、勢いよく扉をあけた。
「きゃあぁぁぁ」
開いた瞬間、悲鳴が響く。
エリンの目の前で鮮やかなドレスがくるくると回って、一人の少女が倒れこんだ。
フリルいっぱいのドレスを纏う、ふわふわの金髪に大きなリボンを髪に飾る少女が、「いたたたっ」とつぶやきながら、腰をさする。装いから見て、太合のお茶会に参加されているご令嬢の一人に違いない。
エリンは蒼白となり、思わず頭を抱えた。
(私ったらなんてことを! こんな時にトラブルを増やしてどうするのよ!)
盗人ばかりに気を取られていたエリンは、扉の向こうに賓客がいるなんて、想像すらしていなかった。
転ばせた相手が太合の賓客となれば、相応の家門のご令嬢である。間違ってもけがをさせてはいけない相手だ。
「大変申し訳ございません」
倒れこむ少女に駆け寄ったエリンは膝をついた。両手を床につける。謝ろうとした瞬間、少女が履いている靴が目につく。その靴はまさに、お出迎え時、太合と歩き去ったご令嬢が履いていた靴であった。
転ばせてしまった相手が、ボネヴィル家の息女ソフィーだとエリンは瞬時に気づく。
賓客のなかで最も高貴な賓客たる彼女は、お茶会の主役と言っても過言ではない。アメリアどころの比ではない。今一番、粗相があってはならない相手だ。
(私、なんて人を転ばせてしまったの!)
ショックに打たれたエリンは真っ青になり、口をぱくつかせる。
紐を盗まれただけでもダニエルに申し訳が立たないというのに、さらに公爵家のご息女を転倒させ、けがをさせてしまったとしたら。
それこそエリンの罰だけでは済まず、ダニエルにも懲罰が及ぶかもしれない。
平民出の聖騎士を快く思わない貴族がいたとしたら、これほど揚げ足を取るに格好の話題はないだろう。
なんとかしなくちゃと焦るエリンは頭を垂れた。
「私の不注意でぶつかってしまい、大変申し訳ありません」
謝って許されることではないとはいえ、謝る以外に道はない。
額を床にこすりつけんばかりに頭を下げるエリンの声は震えていた。指先が白くなるほど、両手の指にも力がこもる。
「扉の向こうに誰かいるかもしれない。そんな当たり前のことさえ考えつかず、不注意にもぶつかってしまい、大変申し訳ありません。けがをさせるつもりなど毛頭ございません。謝って済むことではないとはいえ、どうぞお許しください。ご容赦くださいませ」
「いいのよ。気にしないで。どうか、顔をあげて」
必死にまくしたてたエリンの後頭部にのんきな声が降ってくる。
「いいの、いいの。私がいいって言うのだから気にしないで。だから、ねえ。顔をあげて、ねっ」
柔和な声音がもたらす甘い囁きに、エリンは恐る恐る顔をあげる。
ふわふわの長い金髪に、頭に飾る大きなリボン。フリルいっぱいのドレスを着る、真っ青な瞳の少女が、まるで人形のように足を斜めにして座っていた。
ソフィーは、エリンの顔を見るなり、瞳を輝かせた。
「あなた、伯爵家で働いていた方でしょう。さっき園庭でお会いしましたよね」
アメリアに声をかけられた時のことだと察したエリンは、空恐ろしさを感じながらも頷いた。
「わあぁ、私、あなたに聞きたいことがあったのよ」
いきなりソフィーが両手を合わせて身を乗り出してくる。
度肝を抜かれ、エリンは後方に身を引いた。
「アメリアさんに伺っても、のらりくらりとかわされてしまうの。私、平民の方とお友達になる方法を知りたいだけなのに」
なにを言い出すのかとエリンは目を剥く。
「私、仲良くなりたい方がいるのよ。でも、どうやって親しくなったらいいのか分からなくて困っていましたの」
(貴族が、平民と、仲良くなりたがっている?)
ソフィーの望みを理解しきれず、エリンは目を点にする。
「どうしたら、平民の方とお友達になれるものかしら。ねえ、あなたはどうやって、伯爵家のアメリアさんとお友達になられたの。どうか教えてくださいな。もし秘密があるのなら、私、絶対に厳守致しますわ」
返事に窮するエリンは頬を引きつらせた。
その表情を見たソフィーがはっとする。
「やだわ、私ったら名前もまだ名乗っていなかったわね。名前も知らない見ず知らずの人に秘密を打ち明けるなんて、できるわけないでしょうに。ごめんなさい、名乗りもせず。私はソフィーよ。ソフィーと呼んでくれてかまわないわ。あなたは?」
「……、エリンと言います」
キラッキラの笑顔を輝せる、ソフィーの勢いに押し負けて、エリンはぽつりと名乗ってしまう。
「エリンね。良い名前ね。ねえ、エリン。エリンはどうやって、アメリアさんとお友達になられたの。私、その秘密を知りたいのよ」
組んだ手を胸に添え、ソフィーがエリンに迫る。
ピカピカ眩い視線が痛い。
懇願されても答え難いことこの上ない質問だ。
エリンは引き気味に頬を引きつらせた。
「言いにくいことは分かっているわ。アメリアさんもなかなか答えてくださらなかったもの。たぶんね、訊ねた場所が悪かったのよ。お茶会の最中ですもの。私なりに配慮したつもりでしたけど、他の方がいるなかでは、絶対に答えられない内容だわ」
うんうんとソフィーは一人頷く。解いた手で拳を握る。
「ここなら誰もいないもの。さあ、どーんと秘密を打ち明けてちょうだい」
「秘密もなにも……」
苦笑いを浮かべるエリンは、天然無垢な言動で迫るソフィーにアメリアも振り回されたに違いないと思った。気の毒だが、おかしくもある。
アメリアとは異母姉妹と言っても幼少期から接点はない。嫁ぐと宣言した折に、アメリアも事情を知っていたのだと知り、驚いたぐらいだ。友達などと言える間柄でさえない以上、どう説明したらいいものか。エリンはまごつく。
うずうずするソフィーは宝石のように煌めく瞳を向けてくる。責められるよりも質が悪い眼差しに捕らえられ、エリンの背にじわっと嫌な汗が湧く。
(友達ではありませんと言ってしまいたいけど、それで引いてくれる相手というわけじゃなさそうだし……。こういう場合、なにをどう言えばいいのかしら)
困り果てるエリンの脳裏に、ぽんとダニエルが浮かび上がった。




