三章:十七話:2
手にするは錫杖、被るは王冠。
出で立ちから王と知る。
艶っぽい黒髪、整えられた凛々しい眉、深い慈愛を感じさせる濃緑色の瞳。
面貌はまさにまさに眉目秀麗と呼ぶにふさわしい。
絢爛と迫る偉容に素肌が粟立つ。
雷のように落ちた天啓が、脳天から足先に抜けてゆく。
掴む間もなく取りこぼした閃きが、足元で雪のように溶け消えた。
魅入られるエリンは頭のなかが真っ白になる。
「よし、そこだ。そこでいい。そこで止まれ」
商家の店主が声を張り上げた。
呆けるエリンが一気に現実に引き戻される。
視界が広がる。
目先の壁にて、男性二人が身の丈ほどもある絵画を飾っていた。
三枚並ぶ絵画の中央には、どれも王冠を被る黒髪の王様が錫杖を手にし描かれている。
我を忘れ、絵のなかにいる王様に囚われてしまったのだとエリンは気づいた。
確かに目を奪われてもおかしくないほど、豪奢な衣装を纏う王様は容姿端麗であり、非の打ちどころがない。
画家の技量が素晴らしいのか、王様自身に人を魅了する力があったのか。
どちらにしろ、エリンの胸は引っ掻かれた。
さらに、とても大事なことに気づきかけたにもかかわらず、啓示はまるで真昼の夢であったかのように消えてしまった。
取りこぼした記憶が喉に痞え、なんとも言えない気分にかられる。
微かに残る違和感が何なのか。
手がかりを求めるかのようにエリンは描かれた王様を凝視する。
中央に描かれた王様は、左右の姿よりぐっと若い。おそらく年のころは二十代。
左右の王様は、それぞれ別の女性と子供を一人ずつ伴っている。
うっすら目じりに皺が見え、中央に比べ落ち着いた雰囲気を醸している。
おそらく年のころは三十代後半か四十代前半だろう。
(今の王様じゃないわね。王様はまだ二十代前半のはずだもの)
なぜこんなにも黒髪の王様に心を鷲掴みされたのか、じっと見ても分からなかった。
困惑するエリンは、未だ静まりきらない胸に手を当てる。
絵画の壮麗さに心奪われたにしては不可解な、焼けるような感覚が未だに尾を引いていた。
絵画を見つめるエリンに商家の店主が気づく。
「おっ、ああ、確か……。聖騎士様のお屋敷で働いていたエリンさんじゃないか」
呼ばれたエリンが店主に目を向ける。軽く会釈した。
「まさか、エリンさんも仕事で城に?」
「はい。人手が足りないということで。今日限りですが」
「奇遇ですね、こちらもですよ。物品の納入とともに収蔵されている絵画の品出しを任されました」
「それで、こんなに素晴らしい、大きな絵画を何枚も飾っているんですね」
再びエリンは絵画に目を向ける。
改めてよく見ると、王様と一緒に描かれている片方の女性には、どこか見覚えがあった。
「真ん中に描かれている方は、王様ですよね」
「もちろん。ただこの方は、十数年前に崩御された先代の王様さ」
「先代の王様? じゃあ、こちら側の女性は若かりし頃の太合様ですね」
見覚えがあって当然だとエリンは納得する。
嫁いだ頃の御姿を午前に見ている上に、園庭のお出迎え時には、不用意とはいえ、本人を見てしまったばかりである。
若かりし太合と王様の間には、太合と同じ髪色をした、薄い緑色の瞳をキラキラさせる少年が、朗らかにほほ笑んでいた。この少年こそが、現在即位されている陛下なのだろう。
(じゃあ、もう一枚、太合様とは違う、別の女性と子どもが描かれている、この絵はなんなのかしら)
太合に比べると華やかさに欠ける、大人しそうな女性と黒髪の少年。この少年は王様と顔立ちがそっくりなうえに、太合と一緒にいる少年より年上に見える。
王様の顔立ちや衣装が一緒なだけに、二枚の絵画は同時期に描かれている可能性が高い。
エリンは違和感を覚えた。
この国では長男が家門を継ぐ。
それは連綿と続く習わしであり、王家もその慣例に従っている。
つまり、第一王子を差し置いて、第二王子が即位するなんてことは、よほどのことがなければありえないのだ。
「エリンさんは黒髪の王子様が気になるかな?」
「なんとなく、ですが。こちらの王子様の方が、年上に見えるもので……」
「だろうな。この王子様は、前王様と第二妃様の間にお生まれになった第一王子様だ」
「第一王子様?」
「十五年ぐらい前かな。第二妃様が療養先でお亡くなりになられ、第一王子様もお隠れになったそうだ。詳しいことは分からないが、病気だったのかもしれないな。因果な絵画だったから、奥に収蔵されていて、特に探し出すのに苦労したよ」
やれやれと商家の店主は右手で作った拳で左肩を叩く。
「先代の王様はいたく第二妃様を寵愛されており、第二妃様の死も第一王子様の死も受け入れられずにいたらしくてね。あまりに突然の別れに気の病に倒れ、第二妃様が身罷られたのち、後を追うかのようにこの世を去られたと言われている」
「それで第二王子様が即位されたんですね。知りませんでした」
「昔のことだからね。即位当時、陛下が十歳と幼かったことを考えると、太合様のご実家が摂政を務めてくださらなければ、この国はどうなっていたことか。隣国との小競り合いも、平定できなかったかもしれないだろう」
エリンは再び二人の王子様に目を向けた。
一人は薄茶の柔らかな髪をした新緑を思わせる淡い緑の瞳を持つ少年。朗らかな印象の素直そうな子である。こちらが第二王子であり、現在の王様だ。
もう一人は、艶のある黒髪に濃緑色の瞳を持つ少年。胸を張って立つ、凛々しさが眩しい。まっすぐ前を見つめる、きりりとした眼差しが印象的で、立ち姿も顔立ちも前王様と瓜二つだ。
「……」
エリンは小首を傾ぐ。
(誰かに……。似ていない? でも、似てるって……、誰に?)
記憶をたどっても、思い当たる人物は浮かばなかった。
おそらく生きていれば、第一王子はエリンより年上だ。
描かれたのが十数年前となれば、今現在生きていれば二十代後半あたりだろう。
(近いといえば、ダニエル様も同じぐらいかしら。そういえば、黒髪だし……)
ダニエルの髭と髪に覆われたうっそうとした顔をぼわんと思い出し、エリンの表情が崩れる。
(ないない、ないわ。ダニエル様は北で奴隷から成り上がった方だもの。年が近そうだからって、ありえない。おこがましいにもほどがあるわ。第一王子様にだって失礼よ。私ったら一体なにを考えているのかしら)
奇妙な想像を失笑するエリンをよそに、店主の話は続く。
「第一王子様が亡くなられて、第二王子様が即位された。一応、そういうことになっているが。前王様は最期まで、世継ぎは第一王子様をと希望していたらしい。第二妃様と第一王子様を亡くされたのが、よほどショックだったんだろうな。
そのせいか、古くから取引のある業者の間では、まことしやかに語られる噂があるんだ」
口元に手を添えた商家の店主が囁く。
「実のところ、第一王子様は身罷られたのはなく、行方不明で、まだご遺体さえ発見されていないのではないか、と」




