三章:十七話:1
エリンが角を曲がると、俯く盗人が壁にもたれて立っていた。
手にする小銭入れを覗いている姿にエリンの血が沸騰する。
(人の財布を覗きこんで、なにをしているのよ!)
すかさずエリンは走り寄り、逃げられないようがっちりと手首をつかんだ。
ぎょっとした盗人が顔をあげる。エリンを見るなり、目を丸くした。
「なんで、ここに!」
盗人の間抜け面をエリンはきっと睨みつける。
「それはこっちのセリフよ。盗んだものを返しなさい。返さないと大声を出すわよ」
「それは困る!」
「困る? 困って当然のことをしておいて、虫のいいこと言わないでよ。私、あなたの正体だって知っているのよ」
「まさか。そんなはずは……」
「あなたは以前も私の小銭入れを盗んでいるでしょう。一か月半ぐらい前のことよ。商店街の角にある果物屋で。私の小銭入れを、かっぱらっていったでしょう」
「そんなことを。なんで今、気づくんだよ!」
「後ろ姿で分かるわよ。あの時は不意を突かれて動けなかったけど。二度目はそうはいかないんだからね」
責めながらエリンは盗人の姿を冷静に観察していた。
上下そろいの制服は、城内ですれ違う騎士たちとよく似ている。
縫製が甘いのは、エリンが着ている仕事着のように貸与されたものだからだろう。
「あなただって、ここに働きにきているんじゃないの」
エリンは盗人にかまをかけた。
盗人の視線が泳ぐ。
それみたことかとエリンは畳みかける。
「雇ってくれた人がいるからこそ、働きにきているわけでしょ。あなたがこんなことをしでかしたら、あなたを信頼していた雇い主の顔にだって泥を塗ることになるのよ。わかってるの?
ここでなにかを盗むのが初めてで、もう二度としないって誓うのなら見逃してあげるから。返しなさいよ、私の小銭入れ!」
城の警備に盗人を突き出すべきだと頭では分かってはいたものの、今は小銭入れを取り戻す方が先だとエリンは判断した。
見逃すのだ。
盗人にとってだって、こんな良い妥協案はないはずだ。
「さあ、返して。いますぐに」
凄むエリンを、眇めて見下ろす盗人がぽつりとこぼす。
「……わかったよ」
握っていた小銭入れを、盗人はエリンに差し出す。
盗人の手首から手を離したエリンがぱっと小銭入れをつかんだ。
すぐさま口を開け、なかを検める。
くまなく点検する。
しかし、入っているのは鍵と小銭だけだった。
肝心な紐が入っていない!
エリンは小銭入れの口を開いたまま、顔をあげた。
目の前にいるはずの盗人がいない。
忽然と消えた盗人はどこへいったか。
エリンは奥に通じる廊下を見やる。
逃げ去る盗人の背が見えた。
「ちょっと待ってよ、私の財布のなかから、何を盗って行ったのよ!」
知ったことかとばかりに盗人は走り去ってゆく。
見失うわけにはいかないとエリンもまた走り出す。
(紐だけ盗む? コソ泥が狙って盗むなら、お金でしょう!)
走っているせいか、盗まれたせいか、エリンの鼓動が早くなる。
(紐だけ抜くなんて、絶対おかしい!)
なぜ盗人が紐だけを持ち去ったのか。
盗む必要があったのか。
駆けるエリンは頭をひねる。
ダニエルは紐を城内に秘密裏に持ち込みたいと言っていた。
城内に紐が持ち込まれることを知られてはいけない相手がいるからこそ、秘密なのだろう。
もし盗人がダニエル側に立っていたとしたら、盗む必要などないはずだ。
わざわざ盗む選択をしたのはなぜか。
声をかけられない事情とはなんなのか。
いったい誰が、紐を横取りしようとしているのか。
走りながら思案するエリンは一つの答えにたどり着く。
(盗む必要があるのは、ダニエル様に敵対する、紐を城内に持ち込まれては困る側なんじゃない! だとしたら、私を一目でも見たことがある盗人に、小銭入れを盗むよう指示したってことも……。十分考えられない? 考えられるんじゃない!)
追うエリンは、周囲に人がいないことを確認し、スカートをたくし上げた。
(紐がなんなのか。渡してはいけない相手がどんな勢力なのか。なにもわからないけど。けど。だからって。盗まれて渡せませんでした、なんて言い訳。ダニエル様に報告できるわけないじゃない!)
ダニエルを失望させたくないエリンは、意地でも捕まえてやると意気込み、懸命に走る。
盗人が両開きの扉をあけ放ち、向こう側へと消えていく。
続いて、エリンも体当たりするように扉を開き、廊下に出た。
ぱっと飛び出した瞬間、眩しさに目を瞑る。
視界を奪われ、エリンは急停止した。
ゆっくり瞼をあげる。
開けた視界に飛び込んできたのは、天窓から太陽光を取り入れる開放的な通路であった。
夜会の準備に勤しむ人々が、急ぐことなく、慌てることなく、行きかうばかりで、盗人の姿はどこにも見当たらない。人込みに紛れ見失ったようだった。
肩を上下させ、荒い呼吸を繰り返すエリンは棒立ちとなる。
(どうしよう。盗人を見失ったら、ダニエル様から申し渡された役目が果たせないじゃない。
しかも、ダニエル様にとって渡したくない相手側に紐が渡ってしまったとしたら……、どうするのよ!)
最悪の想像が浮かび、エリンはぞっとした。
その時だ。
「もう少し上だな。もう少し上にあげれば、横とそろう」
真横から覚えがある声が聞こえた。
ふっと顔が向く。
すると、午前に見かけた商家の店主が壁を見上げて立っていた。
指示を出す店主がなにを見ているのか。
つられ、エリンの視線が壁側へ動く。
エリンの目に黒髪の男性が飛び込んできた。
刹那、風に煽られたかのように髪が浮く。
燦然と映える緑瞳に吸い込まれ、エリンの瞳孔が広がった。




