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三章:十六話:3

(小銭入れが盗られた!)

 

 気づくや否や、エリンは、もう一度仲間たちの背を見た。

 先に進んでいく背はどんどん小さくなってゆく。


(もう追いかけなきゃ。でも、でも、これじゃあ、ダニエル様から頼まれた大事な仕事が果たせない! どうしよう。どうしたらいいの!)


 ダニエルからの依頼をまっとうするには、今すぐにでも盗人を追いかけなければいけない。

 追えば仕事を投げ出すことになるだろう。

 中途半端に仕事を投げ出すなんて、ありえない。

 それこそ、今まで培(つちか)ってきた矜持を捨てるに等しい行為だ。


 ダニエルの依頼か、お城の仕事か。エリンは選択を迫られる。


(ダニエル様から頼まれたことも大事、大事……。でも、今は仕事中よ。お城で働くことだって、ダニエル様から頼まれていることじゃない。でも……、だけど……)


 時間は刻々と過ぎるというのにどちらにも足を動かせない。

 どうしようと気ばかり急(せ)く。


 そんなエリンの視界にふっと陰がさした。


「大丈夫ですか。顔色が悪いですよ」


 エリンが顔をあげる。

神父が心配そうに見つめていた。


「あっ、いえ。大丈夫、です。はい……」


 神父は紐について一切触れてこなかった。

 だとすれば、彼はダニエルの言っていた渡す相手ではないはずだとエリンは結論付ける。


「具合が悪いなら医務室に行きましょう」

「医務室……」


 控え室に入る直前、案内役の侍女もまた、具合が悪くなったら医務室を利用するようにと言っていた。


 エリンは、ばっと進んでいく仲間たちへ目を向けた。

 彼女たちの背はすでに小さくなっており、追いつけるか追いつけないかのぎりぎりの距離にある。


 次いで振り向く。

 反対側を見た。


 通路の奥に向かう盗人が、怪しまれない程度の速度で、今まさに角を曲がらんとしていた。


 立ち止まっていても始まらない。


 生唾を飲み込んだエリンは、覗き込む神父の腕をがしっとつかんだ。


「神父様は、まだお仕事のお時間ではないそうですね」

「ええ、仕事自体はまだ先ですが……」

「私、具合悪くなりました。ですので、医務室に行きます。付き添いは結構です。一人で歩いて行くぐらいの体力はありますから」


 エリンは進む仲間たちの背を指し示した。神父の視線がエリンの指先を追う。


「代わりに、あの侍女の集団に、私が医務室に行ったと伝えてください」

「はい?」

「よろしくお願いします」


 エリンは神父の腕を突き離す。


「医務室で少し休んだら戻るって、伝えてください」


 エリンは仲間たちに背を向けた。

 盗人が角を曲がった。

 もう迷う時間はない。


「失礼します」


 神父を置きざりにし、エリンは走り出した。


(お城の仕事も大事だけど、私がお仕えするのはダニエル様。ダニエル様から申し渡された仕事を果たせなくては本末転倒もいいところよ。

 小銭入れなら失くしたっていい。小金はまた稼げばいい。そもそも、そんなにたくさんお金は入れていないもの。お屋敷の鍵だってダニエル様に謝って、もう一度取り換えてもらえばいいじゃない。取り換え料がかかるなら、給与から天引きしてもらうことだってできるわ)


 エリンにとって大事なのは、紐だ。


 まだ誰からも声をかけてもらっていないなかで、失うわけにはいかなかった。


 ダニエルの屋敷で働くようになってから出会った人とは、城内で何人も見かけている。誰が声をかけてくるのか、今はまだわからないが、声をかけられた時に、渡すべき紐がないなんて! それこそ、論外だ!


(ここまできて盗まれましたなんて言い訳が通るわけがないじゃない)


 後は仕事をしていればいいとダニエルが言っていたのも求める人に紐を渡した後のことだ。

 先を行く盗人が角に消えた。


 追いかけるエリンもまた、薄暗い角へと突き進む。


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