二章:十五章:1
ダニエルの屋敷を出たエリンは、一人ぽつんと両替商前で送迎用の幌馬車を待っていた。
出勤時刻というのもあり、人通りは多い。
行き交う人々が足早に通り過ぎ、道の中ほどを何台もの馬車が走り去って行く。
(ダニエル様からは両替商前で待つようにと聞いているけど……)
待ち呆けるエリンが、ダニエルに対し疑いを抱きかけたところで、幌馬車が停まった。
荷台の後部から男性がおりてきた。名簿を手に、案内人を名乗る。「どうぞお乗りください」と促されたエリンは、失礼しますと腰をかがめ、幌がかかる荷台に乗り込んだ。
すでに乗っている女性たちの間を進み、空いているところを見つけて座ると、幌馬車がたんと揺れた。車輪が回り、走り始める。
(こんなにたくさんの人と一緒に働くのも久しぶりね)
ぎゅっと荷物を抱きかかえたエリンが周囲を伺う。
同年代か、少し年上の女性が二十人弱。グループをつくり、会話に花を咲かせている。顔見知りといった雰囲気が漂っており、エリンのように一人で来ている者は見受けられない。
単発とはいえお城で働くのだ。それなりに信用ある商家や貴族などが身元を保証し、まとまった人数を揃えているのだろう。
(これだけの人が集うとなると、誰かの指示を仰いで動くことになりそうね。当たり前だけど、自分勝手な判断で動いてはいけないわね)
ダニエルの屋敷を一人で切り盛りするのとは勝手が違う。
指示を無視するような動きをすれば迷惑をかける。
働きぶりによってはダニエルの評判を落としかねない。
(ダニエル様の足を引っ張る真似はしたくないわ)
なにより今回の出向では、ダニエルから直々に申し渡された秘密の依頼もある。
お城の仕事も、ダニエルの依頼も、つつがなく遂行することが最優先だ。
知らないからこそ良いと聞いている手前、周囲に気を配りながらも目立たずにいこうとエリンは心に決めた。
周囲の談笑に心地よく耳を傾けること小一時間。幌馬車が停車した。
使用人用の出入り口に到着したと案内人から声がかかる。
降りるよう指示を受け、後部に近い者から順に下車し始めた。案内人が一人ひとりに仕事着を手渡していく。エリンも仕事着を受け取り、降りた。
降り立ったエリンはそびえ立つお城を目撃する。
大きいとか、高いとか、そんな言葉さえ吹き飛ぶ規模にあんぐりと口を開け、目を見開く。
伯爵家の屋敷さえ足元に及ばない壮大さに言葉も出ない。
ダニエルの屋敷など、お城に比べたら鳥籠に等しいぐらいだ。
絢爛な建造物に圧倒され、エリンはぐっと背を反り返す。
(これで使用人用の出入り口? 立派すぎでしょ)
石造りのひさしに施された精緻な彫刻、支える柱も鏡面のように磨き上げられ陽光を反射している。
どの角度から見ても豪華な出入り口は、とても使用人用のそれとは思えなかった。
(さすがお城ね。屋敷の勝手口とはまったく違うわ)
人の流れに合わせて歩き、ひさしが作る陰に入った。
内側の装飾も細やかな意匠が凝らされており、エリンはきょろきょろしてしまう。
仕事着をぎゅっと抱き、見惚れる女性たちとともにあけ放たれた扉をくぐった。
城内ではハイネックの制服をきっちり着こなす城仕えの侍女が待っていた。
「お待ちしておりました。これより、控室へ案内致します」
凛と張った侍女の声に触発され、エリンはぴんと背筋を伸ばす。
侍女が一礼する。
隙のない丁寧なお辞儀を見せつけられると浮かれ気味だった周囲の空気が一気に冷めた。
顔をあげた侍女がエリン達に整列するよう指示を出す。
一人ひとりの姿勢を丹念に確認し、粛々と指導して回る。
エリンもまた肩の力を抜くようにと立ち姿を正された。
離れても気を抜かないか見定めるかのように最後の最後に注視された時は、その鋭い眼光に耳から心臓が飛び出るかと思った。
ドキドキしながらエリンは直立する。
対峙する侍女は肌のきめも細かく、想像以上に若々しかった。
じっと見つめられ、ドキドキする。それ以上に、これほど若くして、しっかりと教育を受けた侍女がいることに驚くばかりであった。
次の人へと侍女が黙って移る。最後の一人まで丁寧に確認した侍女は「列を崩さぬよう、ついてきてください」と厳かに告げて先頭を歩き出す。
エリン達は言われるがまま、前後に注意を払い追いかける。
速足は許されるが、走ってはいけないと途中で注意を受けた。
(さすが、お城で働く方ね。伯爵家でも、これほど厳しく目を光らせているのは、使用人を束ねる執事ぐらいだわ)
貴族の邸宅と比べても各段にレベルが違うと実感し、エリンはわくわくしてきた。
程なく侍女はとある扉の前で止まった。内側からざわざわとした話し声が漏れてくる。
振り向いた侍女が、両手をあげた。エリン含めた女性一同、侍女に注目する。手を下げた侍女が「時間がないため控室に入る前に説明します」と前置きし、注意点を述べ始めた。
「王家の住まいであり、政治の中枢でもありますこの城は、国の威光を示す象徴として建国時に建てられ、内部がとても入り組んでいます。仕事中は私たち侍女の誰かが引率しますので、絶対に離れないように気を付けてください」
他、具合が悪くなった場合には医務室があること、調度品にはむやみに触れないこと、私語は慎むようになど、初歩的な注意点を諸々伝え終えると、侍女は控室となる大部屋の扉を開いた。通された先には数十人の女性たちが待機していた。
「あなた方で最後です。間もなく侍女長がまいります。時間が少なく申し訳ないのですが、早急に仕事着への着替えをお願いいたします」
そう告げた案内役の侍女が、室内に入ったエリン達に一礼し、扉を閉めた。
エリンはざっと室内を見回す。部屋は貸与された仕事着を身に着けた女性たちであふれかえっていた。奥に目を向けるとパーテーションで区切られた一画があり、エリン達は急いで裏に回り込み、着替えを始めた。着用したエリンはスカート部分にポケットを二つ探し当てる。
(ダニエル様から預かった紐は持っていないとね。声をかけられて、手元にない、なんてことになったら話にならないもの)
紐を入れた小銭入れをポケットに忍ばせたエリンは、着てきた衣類を手早く畳むと、手持ちの袋にしまい込み、昼食を入れた紙袋を衣類の上にそっと載せた。
狭いパーテンションを出ると、城仕えの侍女数人を引き連れ、侍女長と思しき女性がタイミングよく入室してきた。年齢を感じさせない姿勢を保つ初老の女性が正面を向く。部屋中に緊張が伝播し、空気が引き締まる。大部屋が静まり返った。
エリンは生唾を飲み込んだ。伯爵家の裏方で働いていた時だってこんな緊張感を味わうことは滅多になかった。
(お城で働けるなんて本当にいい経験だわ。さすがダニエル様。こんな伝手があるのも、聖騎士様だからこそよね)
ダニエルからの依頼も、お城の仕事も、両方しっかり頑張ろうとエリンは拳を握りしめて意気込んだ。




