二章:十四話:2
苦し気に顔を歪ませるダニエルが、語り尽くせない過去へと思いを馳せる。
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幼いダニエルは、ある日突然、転居を余儀なくされた。
母とともに移り住んだ先は唖然とするほど小さな屋敷で、ついてきた使用人も厳選された数人のみ。
なぜ急に引っ越すのか。
弟はなぜ一緒ではないのか。
ダニエルが問うても、母は苦く笑うばかりで、なにも答えてくれなかった。
立場の口外も禁止され、外出も不可。
子ども心にそれはないと不満を抱き、不貞腐れていると、温和な性格の大型犬を与えられた。
たくさんの使用人に囲まれていた今までとは、比べ物にならないほど質素な生活が始まった。
最小限の使用人で日常を切り盛りするため、常時侍るメイドもいなくなり、厳しい家庭教師もいなくなった。自分でやることも増えたが、勉強時間が減り、自由時間が増した。それだけで、ダニエルは天国のように感じていた。
母の指導で教本を用いた勉学をこなし、護衛についている騎士から実戦に近い訓練を受ける。
庭仕事から大工仕事まで、屋敷を維持する仕事が面白そうで、手伝わせてもらうこともあれば、料理人から手ほどきを受け、厨房に立たせてもらうこともあった。
有り余る体力は、大型犬ともに敷地内を走り回り解消した。
屋敷を囲う高い塀まで走り、跳ね戻ってきては、犬とともにじゃれまわる。
母の声でお茶に誘われ、茶菓子目当てで席に着く。
料理人と一緒に作ったタルトに、多種類の果物を飾り切りして盛り付け、母を驚かせたこともあった。
ダニエルの快活さは、母の陽気が戻るに比例し増していく。
母との接触を極力控え、他人行儀にしか関われなかった今までの空白を埋めるかのように笑い合う日々を過ごした。
のびのびと暮らせるようになった心地良さに、ダニエルは永遠にこんな暮らしが続けばいいと、毎夜祈るほどであった。
もうすぐ季節が一巡する、ある新月の夜。
夢うつつのなかで微睡んでいたダニエルの意識が冴えた。
いつも聞こえてくる虫の音が聞こえない。
その違和感によりダニエルは、瞼を閉じたまま感覚を研ぎ澄ました。
犬が室内を歩き回っているかのような微かな揺れが身体を伝う。
かっと両目を見開く。
青白い剣のきらめきが視界に飛び込んできた。
振り下ろされる刃を咄嗟に避けて、ベッドから転げ落ちたダニエルは、薄い掛布の端をつかんで、相手めがけて振り上げた。
鈍い音がして、掛布に血しぶきが散る。
赤い飛沫を受けた掛布が落ちきると同時、刺客が手にしていた剣を落とした。
両目を爛々と光らせる頭部が傾ぎ、首から吹き出す血が胴を赤く染めてゆく。
心臓を潰す刃が刺客の胸から天井に向けて伸びていた。
ダニエルの背に悪寒が走る。
耳奥で血流音がどくどくと鳴りだし、呼吸すら止まるかと思うほど身体が硬直した。
血を滴らせる剣先が引き抜かれる。
支えを失った胴体が崩れ落ちてゆく。
死体はダニエルの足元にあおむけに転がった。
心拍があがる。喘ぐように息を吸う。
ダニエルは床に両手をついて嘔吐した。
胃液に咽て、喉が病む。
痛かった。
切られたわけでも、ケガをしたわけでもないのに。
ベッドから落ちた際に打った肩や手など気にならないほど、体中が痛くなる。
なにが起こったと思考が回り始めた矢先、無理やり腕をつかまれ立たされた。
誰だと思い見上げれば、いつも剣の手習いをしてくれる護衛騎士の一人だった。見たこともないような厳しい顔で立つ彼が、失礼しますと断りを入れるや否や、ダニエルを乱暴に抱えあげた。
ダニエルの視界に倒れた犬が映りこむ。
切られたか。血だまりのなかで倒れていた。
身を凍らせるダニエルが、抱えられたまま、部屋を連れ出される。
廊下ではもう一人の護衛騎士が刺客と剣を交えていた。
何人もいる刺客を一人で相手にできるものかとダニエルは戦慄した。
母の部屋の扉は開いていた。
護衛が廊下で戦っているのなら、母は部屋で守られているのか。
母の護衛がダニエルをちらりと見るなり、すかさず、「いけ!」と叫んだ。
ダニエルを抱える護衛が階段へと走り出す。
まだ母がいるのに。逃げるわけにはいかない。
そう思っても、身体が硬直するダニエルは声をあげることができなかった。
騎士と刺客の鍔迫り合いが続くなか、引き裂くように母の金切り声が響いた。
「ダニエルを守りなさい!」
血の気が引く。
時が止まり、音が消えた。
母を守るはずの護衛が後退し、逃亡を図るダニエルを追い始める。
母はまだ部屋にいる。しかも、生きている。生きているというのに。
護衛は、ダニエルを守るよう動き出す。
護衛の背後で刺客が二手に分かれた。
ダニエルを追う者と母を狙う者だ。
逃げてとダニエルは願った。
窓からでも逃げられる、と。
ベランダ伝いに隣の部屋に行って回り込んでと祈った。
しかし、母は逃げなかった。
ダニエルを抱えた騎士が階段を下り始める間際、部屋から母が顔を覗かせた。
目が合った。
母が笑む。
騎士二人がダニエルを守る選択をしたことに後悔一つしていないかのように。
姿を見せた母が部屋に消えた。
剣を振り上げた刺客が母の部屋へ突入する。
肚の奥底から震え上がるダニエルは両手で口を覆った。
降りきった階下は荒れていた。
悲鳴と怒声が耳をつんざく。
地鳴りのような足音が響き渡る。
ダニエルを抱える騎士は見向きもせずに走り抜ける。
心寄せあいともに暮らした人々が殺されていく屋敷を背にダニエルは逃げた。
逃げたのだ。
一緒に駆け回った犬も。幼い頃から慣れ親しんだ老執事も。手ほどきを受けた料理人も。母付きの明るいメイドも。
みんな、みんな、殺されてゆくなかで。
逃げ延びたダニエルは、落ち延びた護衛騎士にいつまた命が狙われるか分からないと説得されて首都を離れた。
騎士を兄と偽り、北へ渡る。
逃げ延びた先で奴隷に扮した。
元孤児という経歴の騎士と助け合い、新天地で暮らし始める。
ショックのあまり記憶を健忘していたことに加え、子どもであったことが奏功し奴隷生活にはすぐ慣れた。
兵士として働き始めた手練れの騎士に養われる形でダニエルの新たな人生は幕を開けたのだ。
後はエリンも知るごとく。
北に東に奔走し、聖騎士に任じられ、首都に舞い戻った。
称号とともに褒美を与えると言われた際、立場上いらないと突っ張り切れず、血なまぐさい思い出を内包する屋敷をもらい受けた。




