二章:十四話:1
小鳥がさえずり、朝日が昇る。
目覚めたエリンは上体を起こし、背伸びをした。
今日は城に出向する日だ。
「よし。がんばろう」
掛け声一つで気持ちを引き締め、ベッドから起き上がる。
いつもの仕事着に着替え、買い物用に持ち歩く麻袋を肩に下げて部屋を出た。
ポケットに忍ばせた小銭入れには、お金の他に、鍵とダニエルから預かった紐をいれている。
被服店の店主に婚約者と紹介された後も、エリンは前と変わらず働いていた。
暮らしぶりが何一つ変わらなかったため、エリンは自然と、ダニエルから頼まれた仕事こそが本命で、夜会への参加はそのついであり、便宜上店主に婚約者と紹介したのだと、都合よく考えるようになっていた。
部屋を出たエリンは厨房へ向かう。
歩きながら外へ目を向けた。
いつもなら前庭で鍛錬しているはずのダニエルが見当たらない。
隠れて見えないだけか、今日は趣向を変えて裏庭で鍛錬しているのか。
不思議に思いながら厨房の扉をあけたエリンは、コンロ前に立つダニエルの背を見つけ、飛び上がらんばかりに仰天した。扉を開けた体勢で硬直してしまう。
(外にいるはずのダニエル様がここに! なんで!)
ダニエルの手元から、じゅうじゅうとなにかが焼ける音が響き、香ばしい匂いが漂ってきた。
音と香りの刺激によって、なにをしているのか察したエリンは、つんのめりながら調理台を回り込み、駆け寄った。
脇から覗くと、思った通り。大きな肉の塊がフライパンの上で焼かれていた。
「何をしているんですか」
「肉を焼いている」
「見ればわかります。いつもなら鍛錬している時間だというのに! どうしてここで、こんなところで! なにをしているんですか!」
「朝食を作っている。それからエリンの弁当だな」
絶句するエリンをよそに、ダニエルはひっくり返した肉を、持っていたトングで軽く押さえた。フライパンに押し付けられた肉は、ひときわいい音を響かせる。
火を止めたダニエルがフライパンごと翻る。木製のまな板に肉を器用に載せ、フライパンをコンロに戻すと、用意していた深皿をひっくり返し、肉に蓋をした。
調理台には、ボウルいっぱいに盛られたキャベツの千切りと、小皿に入った粒マスタードソースがある。他、買い置きのバゲット二つも用意されていた。
バゲットを手にしたダニエルが肉を載せたまな板の端でパンを半分に切る。真っ二つになったバゲットの一つを手にし、側面に切り込みを入れた。口を開いたパンにマスタードソースを薄く塗り、千切りにしたキャベツを詰め込んでゆく。
手伝いを申し出る隙すらない手際の良さを見せつけられ、エリンは閉口するばかりであった。
「忙しい一日になる。城の雑用を手伝ってから夜会への参加準備となれば、朝食作りや食堂の片づけなんか早々していられないだろう」
「ダニエル様だって夜会へ参加されますし、その準備もあるじゃないですか」
「気にしなくていい。こっちの準備には被服店の店主が来てくれる手筈になっている」
「いつの間に、そんな話に!」
「エリンが試着している間に、色々とな……」
色々がなんなのか、説明する気はないと言いたげにダニエルは手を動かす。
肉に被せていた深皿を取り払うと、ダニエルは包丁を手にし、大きな肉の塊をスライスし始めた。しっかりと焼けているこげ茶色の表面とは裏腹に、ばら色に艶光る内側。今にも弾けそうな肉汁が断面に盛りあがった。
「なら私が厨房を片づけます。もう使わないなら先にフライパンを洗いますか」
「いや、いい。エリンは先に食べろ。片づけは一切合切俺がやっておく」
ダニエルが野菜の上にこんもりと肉を載せてゆく。さらにマスタードソースを振りかけると、パンの口をぎゅっと閉めて、エリンの前に差し出した。
「朝食だ。こういう忙しい日にわざわざ食堂を使う必要はない。ここで食べてもなにも変わらん」
エリンはパンとダニエルの顔を交互に見た。
「次が作れないから、受け取ってくれ」
足元に荷物をゆっくりと置き、エリンは肉を挟んだパンに手を伸ばす。受け取る瞬間、ダニエルの手に触れてしまう。びりっとした感触を得て指先がひるむ。一呼吸置き、受け取った。
次のパンを手にしたダニエルが、こなれた手つきで野菜と肉を詰めていく。前髪と髭に覆われている顔からは、角度も悪く、なにを考えているのかさっぱり読み取れない。
上目でダニエルの様子を伺いながらエリンは一口目を頬張った。
硬めのパンに挟まれた弾力のある肉とシャキシャキした野菜の歯ごたえがたまらない。肉には下味がしっかりついており、うまみを一層引き立たせる。噛むごとに野菜と肉が混ざり合い、そこに粒マスタードソースの刺激が加われば、味わいがまた変わる。
(美味しい……)
食べるごとに止まらなくなる。
二つ目を作り終えたダニエルは、油紙をさっと広げ、パンを包んだ。
両端をねじり上げ、紙袋に入れると、袋の口を三つ折りにする。
パンを詰めた紙袋と隅に置いていた水筒をエリンの前にとんと置いた。
「昼も同じで悪いな」
あまりのことにエリンは返事を忘れて、口の中に残っていたパンを飲み下す。
唖然とダニエルを見つめる。
ダニエルの表情は涼やかで、労を惜しむでも、無理をしているでもなければ、押しつけがましくさえもなかった。
調味料さえろくにない厨房で、干し肉を片手に酒を呷っていた飲んだくれとはとても思えない、その余裕!
(初日のあれはなんだったの!)
果物の飾り切りを披露して以降、厨房での手伝いを思い起こせば、これぐらいできると当たり前に想像がつく。想像がつくだけに、より一層初日の様相が意味不明となる。
(屋敷が奇麗になったから、感化されて変わったの?)
長旅から戻って以降、ダニエルは酒気を漂わせることがなくなった。
部屋を掃除しても、用意しておいた酒瓶に手を付けている形跡がない。
不可思議だとしても良い変化は歓迎だ。
ダニエルが聖騎士らしくなってゆく一端を担えたようでうれしくもある。
エリンの胸にふつふつと貢献出来た実感がわいてきた。
にやけそうになる表情に気をつけながら、エリンはありがたく肉を挟んだパンを完食した。
朝食を終えるとダニエルは、「厨房を片づけるぐらいの時間はありますよ」と言い張るエリンを「迎えにくる幌馬車に乗り遅れたらどうするんだ。ここから両替商までは遠い、時間には余裕を持たせた方がいい」と言いくるめて、玄関まで連れ出した。
弁当と水筒を入れた袋を肩にかけるエリンは、外に出ると石畳を数度振り返りながら進み、道に出てからもう一度ダニエルの方を向くと、丁寧なお辞儀をし、市民が暮らす住宅街へと歩き出した。
エリンの姿がすっかり見えなくなり、ダニエルは手を見つめた。
厨房で朝食を渡す際に、エリンの指先が触れた部分が、いまだじんじんと痺れるように疼いている。
(エリンの望みは使用人として認められ働くこと。婚約者と紹介したとしても複雑な表情を浮かべるだけ、か……)
身から出た錆とはこういうことかと実感する。
見下し、揶揄し、追い出そうとしたのはダニエルだ。
金貨を投げ渡し、言外に出て行けと含ませ、暮らせるなら暮らしてみろと無碍なく言った。
そんな心無い初動が、ここまで尾を引くことになろうとは。
「まさか、あんな娘をよこすなんてな……」
眉間を揉む。
ドレスも宝飾品もエリンに喜びをもたらすことはなかった。
おまけでもらった水筒やポットの方が、仕事の助けになると喜んでいた。
婚約者として扱おうとすればぎくしゃくし、屋敷の主として一線を引けば安堵し、表情も柔和になる。
出会いが出会いなだけに、いたらない主人という認識しかエリンはもち合わせていない。
「……」
認めたくはないが、結論は出ていた。
「男として、まったく見られていない」
買い物へ同行した際のセリフが、それを顕著に物語る。
使用人として認められ、働くことに喜びを感じているエリンは暮らしにかかるお金の話をしても雇用の承認と受け取り、感謝と尊敬に根差した忠誠を誓うのみであった。
根本的な気持ちのベクトルがずれている。
「追い出そうとしておいて、今更ってのもあるが……」
独り言ちる。
ダニエルは石畳を数歩進み、振り返る。
エリンの采配によって新築同様に蘇った屋敷に目を向けた。




