二章:十三話:3
小走りで近づくダニエルがエリンの前に立つ。
そこはかとなく生真面目な雰囲気が漂ってくる。
何か言いつけられるのだろうかとエリンは表情を引き締めた。
「いかがしましたか」
じっとエリンを見て、ダニエルは大きく息を吸った。
「単刀直入にたずねるが、城で働く気はないか?」
突拍子もない発言に脳天を叩かれ、解雇の文字がエリンの眼窩をよぎる。めまいを覚えた。
(一体なぜ! ここを辞めて別の仕事につけというの!)
粗相をしただろうかとぐるぐる回想するが、思い当たることは浮かばなかった。
ドレス選びだって、余計なことは言っていない。
不本意でも、ちゃんと意向には従っていたはずだ。
恐々エリンは訊ね返す。
「あの……。それは、ここでは、もう働くなということでしょうか……」
「いや、違う。違うぞ。いうなれば、ただの出向だ」
「しゅっこう?」
「夜会の前に、めぼしいご令嬢を集めて、王様の母たる太合がお茶会を開くことにしたそうだ。そのため人手が不足することが予想され、城全体で手伝いを欲しているんだ」
「つまり、その日だけ、お城に手伝いにいけと?」
「朝から夕方まで、その日だけな。並行して茶会や夜会を行うとなれば、準備に多くの人手がいる。それはわかるだろう。会場設営から料理人まで、普段城で働く人員では足りないから、取引がある業者に人を派遣してもらうんだ。そういう手伝いに行く一人になるというわけさ」
「あっ、なるほど。そういうことですか」
解雇じゃないと分かり、エリンは胸をなでおろす。
伯爵家でも領地と首都で使用人の行き来があった。現地の有力者を招いた晩餐会などを開く際には、首都の使用人や料理人が駆り出されていたものだ。伯爵家と同じことが、城でも行われているのだとエリンはすんなり納得できた。
むしろ不可思議に感じたのは、ダニエルがそれを知っていることの方だ。
「ダニエル様、詳しいですねえ……」
奴隷出の平民なのに、という言葉は飲み込む。
エリンの表情に現れる不敬な感情を読み取ったのか、ダニエルは呆れ果てた目を向けた。
「俺を誰だと思っているんだ」
「ええっと……。聖騎士様?」
「だろ。立場上、そのぐらい耳に入るんだ」
そう言われてみれば、その通りかもしれないが、夜盗のような風貌で城に出入りしている姿をエリンは想像できなかった。
出会った時の姿を思い起こせば、城の地下牢で鉄の格子をつかんで喚いたこともあるんだと嘯かれた方がずっと現実味を帯びている。
(今でこそ、小奇麗になっているとはいえねぇ)
かつての姿を思いだせば、何とも言えない。そんなエリンの思考を知ってか知らずか、胸を張ったダニエルが揚々と告げる。
「でっ、エリン。今日頼んだドレスも仕上がりが当日になるそうだ。そこで、店主と相談してな。着替えは城で行うこととした」
唐突な提案にエリンはぽかんとしてしまう。
「朝から夕方まで城で働いて、仕事終わりに令嬢たちに交じって着替えればいい。着替え用の一室ぐらい、城でも用意してくれる。ドレスも当日城に運ぶよう店主に依頼した。当日は店主の元で働く針子も派遣されるから、大船に乗ったつもりでいると良い。着替えについても問題ない」
平然と言い放つダニエルの弁を理解した瞬間、エリンはあわあわと顔を青くし、唇を震わせた。
「問題ないって何がですか。いったい、どこが問題ないんですか!」
令嬢たちに混ざるなんて、エリンにとっては大ごとだ。
着替えを手伝うように命じられるならまだしも、着替える側に立つなんて。
まったくもってありえない。
「針子たちがご令嬢の着替えを手伝う予定だから、一緒に着替えさせてもらえばいい」
「待ってください、ダニエル様。私にご令嬢方のなかに混ざれというのですか。無理ですよ、無理ですって」
「そもそもエリン。お前は、貴族のご令嬢としてここに嫁ぎに来たんじゃないのか」
「そっ、それは。それはもう……」
なかったことにしてくださいと喉まで出かかって、エリンは声を詰まらせる。
「朝から夕刻まで働いて、ドレスに着替えて、夜会に参加する。簡単な流れだろう」
「そうは言われましても……」
「その際に、一つ大事なことを頼まれてくれ」
ダニエルが低い声で囁くと、胸ポケットからするりと細長い何かを取り出した。
「これを秘密裏に城へ届けてほしいんだ」
細長い布が一本。エリンの眼前に垂れ下がる。
「エリン。よく聞け。城に潜入するにあたって、メインの仕事はこっちだ。この紐を城に持ち込むことが、一番大事な仕事であり、役目だ」
「役目? これを運ぶことが、ですか?」
荷物を抱えるエリンが手首を返す。
手のひらに、ダニエルがするりと紐を載せた。
端が黒ずんだ布は全体的に黄ばんでいる。元は白かったかもしれないと思わせる古い生地だ。
「俺はこれを求めて北に戻り、東を回って帰って来た。そして、これを城に持ち込む必要がある。ならば、俺が持って行けばいいところだが、立場もあって顔を知られており自由に動けない。そのため信用できる誰かに頼まなくてはいけないんだ」
信用できるという一言にピンとエリンの背筋が伸びる。
「エリンは城において誰にも面がわれていないだろう。これを運ぶ役目を担うには、俺よりずっと都合がいいというわけだ。わかるな」
これは仕事だ。そう自覚したエリンの表情が真顔にすり替わる。
「はい。では、持ち込んだ紐は、どのようにしたらいいでしょう。ただ持っていればいいだけじゃないですよね」
「察しが良いな、エリン。城で働く最中、声をかける者があらわれる。この紐は、その者に渡せばいい」
「お城で知らない人に声をかけられて、ちゃんと渡せるでしょうか」
「そこは安心してもらっていい。顔を知っている者から声をかける手筈になっている。今は誰かまでは言えないが、エリンもその顔を知っている。この屋敷に働き始めてから接触した人物だ。声をかけられたら、すぐわかる」
「簡単な要件ですね」
「運び屋だからな。面が割れていてもいけないが、事情を知っているのも都合が悪い」
「つまり、顔が知られていなくて事情を知らない者が適任というわけですか」
「理解が早くて助かるよ。その後は、そ知らぬふりをして働いていてくれ。こちらもその方が助かる。後のことはなにも気にしなくていい。知らないで持ち込むからこそ、ちょうどいいんだ」
「これは仕事でしょうか」
「そうだ、仕事だ」
仕事という響きがもたらす充足感に、エリンはほっとする。
さっきまで溢れかえっていた不満が沈静し、筋が通った緊張感に満たされた。
(要するに、秘密の手紙をダニエル様に代わって城に届ける。そんなものね)
使用人として役目を仰せつかる心地良さに、久しぶりにエリンの気がさっと晴れた。
「わかりました。お城で声を掛けてきた方に、この紐を届けるお役目、謹んで承ります」
よく通るエリンの返答に、ダニエルは目を細めた。
「助かるよ。そして、紐を運び終えたら普段通り、周囲に合わせて、夕方までしっかり働いていてくれ。この紐の行方は決して、気にしないように。働くのが大好きなエリンにとっては、難しいことではないだろう」




