二章:十三話:2
「この中で、一番高価な品はどれだ」
「こちらでごいます」
ぴきっと凍り付くエリンをよそに、鼻息を荒くした店主が示したのは、黄みがかった白地に橙の差し色が鮮やかな光沢あるドレスであった。
さらには、ローテーブルの中央に揃えた宝飾品一セットを両手で示す。
「こちらがおすすめのアクセサリーとなります」
「揃いで用意してきたな」
「もちろんでございます。並べました品々のなかでも、格別に一級品であり、見たところご婚約者様にこれ程お似合いになる一式はございません。お選びになるのならば、この一択になりましょう」
意識が霞むエリンを置き去りにし、ダニエルと店主は商談を進め始める。
ドレスから揃いのアクセサリーまでとんとん拍子で決まっていく様を、エリンは呆然と見つめるばかりであった。
もみ手を絶やさない店主は「さすが聖騎士様、お目が高い。さぞ婚約者様にお似合いのことでしょう」と余計なことまで言ってのける。
おべっかなんて聞いていられないとエリンは両手で耳を抑えたくてたまらなかった。
(もう耐えられない)
息をするのも苦しくなってきた。
頬を引きつらせるエリンの目の前で、引き続き金銭の交渉が始まった。
最後に提示された金額にエリンは咽そうになる。
ざっと金貨百枚。
たった一夜のドレスにどれだけ金貨を積むというのか。
息も絶え絶え。
エリンは横にいるダニエルに涙目を向ける。
ちらりとエリンを見たダニエルが薄く笑った。
その笑顔にエリンはひっと凍り付く。
こうしてダニエルは、奴隷出の平民という出生が嘘のように堂々と交渉を締めくくったのだった。
揉み手の店主は上機嫌だ。
悠々と長椅子に背を預けたダニエルが足を組む。
「緊急の依頼だからな、今回ばかりは仕方ないな」
「すでにあるドレスから選んでいただくしかなく、重ね重ね、その点は大変申し訳ありません」
「急ごしらえは残念だ。本当はデザインから選びたかったところだ」
「ええ、ええ、まさに。ご婚約者様にお似合いになる逸品を、私どもも一から手掛けたく。次回こそは、デザイナーとともに訪ねましてご用意させていただきたく存じます」
「こちらの連絡が遅かったのも一因だしな。仕方あるまい」
「まだ夜会まで数日ございます。できうる限り、私共も最善を尽くさせていだだきます」
「期待している」
「ご期待に添えられるよう尽力いたします」
店主とダニエルの会話がエリンの頭上を飛んでいく。
きりきりする胃を抱えるエリンは、他人事のように聞き流すばかりであった。
「エリン様に合わせる手直しのため採寸に移らせていただきます。しばし、お時間をいただきたく存じます」
「分かった」
ダニエルと店主が立ち上がった。
素早い二人について行けるわけもなく、上の空のエリンは長椅子に一人ポツンと取り残される。
次いで動き出す針子たちが、出番とばかりにエリンを囲いこんだ。
一分の隙も無い笑顔を向けられ、これからなにが起こるのかとエリンは慄く。
「さあ、エリン様。採寸、そしてドレスの試着を致しましょう」
満面の笑みを浮かべる針子の一人が玉を転がすような声で囁いた。
多勢に無勢。
店主と雑談しながら、すでにダニエルは廊下に出てしまっている。
残されたエリンは、にこやかな針子たちの手によって、あっという間に脱がされ、採寸され、ドレスを着せられた。
裾の長さを調整する待ち針を打ち、デコルテやウエストの調整をこなす針子たちの手際の良さに、エリンはなすすべもない。
髪をハーフアップにまとめていると、別の針子が、手袋をつけ、髪飾りを持ってくる。ぎょっとするエリンの髪に、高価な髪飾りが載せられた。
一つ身につければ、二つも三つも変わらない。イヤリング、ネックレスと順に素肌に触れてゆく。金属特有のきんと響く冷たさが肌を伝った。ぞわっと悪寒が走るが、高価な品を身に着けてしまったため、逆に身動きが取れなくなった。
(壊したらどうしよう。弁償しろと言われたら、何年かけて働けばいいの)
頭のなかで計算し始めると、桁を表すゼロの恐ろしさに意識がぷつりと切れた。
(もう、いやあぁ)
心の中で半泣きになっても、針子たちは笑顔で作業を続けてゆく。
なすがまま、エリンは着せ替え人形宜しく、動けなくなる。
一人の針子が廊下に出る。店主とダニエルを呼びに行ったのだ。
身動き取れないエリンはそのまま薄化粧を施される。
「おきれいですよ」「お似合いですよ」と周囲の針子の囀りが、現実感なく流れていく。
針子のチークブラシが頬から離れ、一息ついた瞬間、
「奇麗にしてもらったじゃないか」
背中にダニエルの声が刺さった。
エリンは声がした方へ恨みがましい目を向ける。
腕を組んで立つダニエルが、拳を口に添えた途端、ぶっと噴き出した。
「なんだ、その顔。せっかくのドレスが台無しだろう」
腹を抱えて笑いだしそうなダニエルに、誰のせいかとエリンは腹が立ってきた。
文句を言ってやりたくても、針子や店主に囲まれているなかでダニエルを罵倒するわけにもいかない。
そもそも使用人が屋敷の主を罵ってどうするのだ。
立場と本音の板挟みとなるエリンは、文句も言えず、がんじがらめのままに、ダニエルを睨みつけた。
「うん。似合っているぞ、エリン」
能天気なダニエルはどこか嬉しそうだ。
(人の不幸を喜ぶなんて!)
不満を吹きあがらせたエリンは口を尖らせ、小さな抵抗の意志を示した。
「ひどい目に合ったわ」
針子と店主を見送ってから、エリンは客間に戻った。
椅子をずらし、応接セットの位置を整える。
華やかなドレスが飾られ、煌びやかな宝飾品が並べられた光景を目にした後だけに、元に戻った室内はより一層侘しく感じられた。
(ダニエル様はなにを考えているのかしら。婚約者なんて紹介されても、今更迷惑なだけなんですけど)
ローテーブルに残された水筒とポットを抱え、エリンは部屋を出る。
針子たちが撤収作業を行う最中、ダニエルが保温性の高い水筒を欲しがったものだから、店主が置いていってくれたのだ。
店主曰く、特別な焼き方で作られたポットも同じく保温性が高いらしい。
(こういう水筒がありますと、食後のお茶は入れやすいですけどね。いちいち厨房までお湯を沸かしに戻らなくてもいいですし、運ぶ手間も省けますから)
便利な品をもらえたのだから、良かったと喜べばいいのに、なぜか気分はだだ下がり。ダニエルからの心遣いに感謝して受け取ればいいのに、言えない嫌味で心はいっぱいだった。
一か月の長旅を経て、ダニエルが屋敷に戻った頃なら素直に喜べただろう。
あの頃なら、頑張って働くようにと励まされた気分で受け取れていたに違いない。
(なんで素直になれないんだろう。今だって状況は変わりないはずなのに……)
遅い昼食準備のため、もやもやしながらエリンは厨房へ向かう。
(今日も厨房まで手伝いに来るのかなあ、ダニエル様)
ありがたいと言えばいいのか。迷惑と言えばいいのか。見た目と裏腹に、手伝い上手なのも困りものだ。
断る理由が見当たらない。
(顔を合わせたくないなあ……)
悩ましくため息をつきかけた時だった。
「エリン」
ダニエルに呼び止められた。
エリンはびくんと身体を跳ねさせ、立ち止まると、出かかったため息を慌てて飲み込んだ。
恐る恐る振り返る。
今はダニエルと顔を合わせたくなかったが、使用人たるもの、そんなことは口にも顔にも出してはいけないと居住まいを正したのだった。




