二章:十三話:1
ダニエルの言いつけに従いエリンは被服店へ手紙を出した。
以降、気が気でなくなったエリンの心中は、四六時中もやもやしっぱなしであった。
(婚約者ではなく使用人として認めてほしいだけなのに)
うじうじする気持ちを抱えていては仕事の満足感もダダ下がりだ。
ダニエルの屋敷で働くようになって、これほど気落ちした日々を過ごすのも初めてであった。
朽ちた屋敷にぽつんと残された時だって、こんな気持ちにはならなかった。
(ただ働きたいだけなのに。婚約者なんてもうどうでもいいのに。そんなことを望んでもいないのに。今更、蒸し返されたくないのに……)
せっかく念願の職場で働けると喜んでいたというのに、この仕打ちはないと悶々と過ごすエリンの気分は最低最悪に落とされたのだった。
数日後、被服店の店主から返信が届く。
暗い気持ちで手紙を受け取ったエリンは、都合が悪い手紙を隠すこともできず、すぐさまダニエルに渡しに行った。
手紙を受け取ったダニエルはその場で開封する。
軽く文面を流し読みすると、エリンに被服店一行の訪問日時を伝えてきた。
急ぐ必要があるとはいえ、明日の来訪と知らされエリンはへこむ。
気落ちする内面を隠し「かしこまりました」と当たり障りなく返事をすれば、ダニエルは見透かすかのように「明日は朝食を食べたらすぐに、迎える準備をすること」と念を押してきた。
さらに「俺の働きによる褒章として与えられるドレスだからな。気張れよ」とまで追い打ちをかけられ、憂鬱なエリンの心はいっそうずんと沈みこんだ。
ダニエルの部屋を辞したエリンは不満げな顔で廊下をとぼとぼと進む。
(私はここで働きたいだけなのに……)
そんな小さな希望がどうしても言い出せなかった。
言えないからこそ淀んだ気持ちだけが鬱積する。
長旅からダニエルを迎え入れた時は、思いのたけをはっきり告げることができたというのに、なぜか今、肝心なことが言えなかった。
なぜ言えないのか。
わからないまま時間だけが過ぎていく。
翌日、被服店の店主が、ドレスを何着も積んだ多頭引きの幌馬車を引き、数人の針子と共にやってきた。
エリンは憂鬱な気持ちで店主を迎え入れる。
事前に「仕事着よりましな服を着ろ」とダニエルに言われ、体裁を整えるために仕方なく、屋敷を訪ねる際に着てきたアメリアからのおさがりを着た。
針子たちが馬車から降ろした荷物を順に玄関ホールに運び入れるなかで、店主はもみ手をしながらダニエルに挨拶する。
ダニエルの横に立つエリンは、逃げ出したくて仕方がない。本来なら掃除に洗濯にと忙しく働いている時間帯だというのにいったい何をしているのかと自責が募る。
不満げなエリンをよそに、前置きなくダニエルは「ここにいるエリンこそが婚約者だ」と店主に告げた。
紹介された店主は、天地がひっくり返るほど驚くと、平身低頭謝罪し始めた。
「大変申し訳ございません。私の早とちりで、婚約者様であらせられるエリン様をこの屋敷を取り仕切る執事のようにとらえてしまい……。心より、深く、深くお詫び申し上げます」
腕を組むダニエルが不遜な態度で謝罪を受け入れる。
横に立つエリンは、ただひたすらいたたまれなくて仕方がない。店主の謝罪が耳に痛く、両耳を覆いたくても、ダニエルが横にいる手前、変な行動も態度もできないと我慢した。
(こんなことなら、正直に言えばよかったわ)
勘違いをこれ幸いと否定しなかったことが裏目に出た。
店主がダニエルに謝罪する姿を罪悪感いっぱいで眺めるはめになろうとは。
こんな未来をエリンはまったく想像もしていなかった。
(胃がキリキリしてくるわ……)
ひとしきり謝罪を聞き入れたダニエルが、応接間へ案内すると言い、被服店一行を引き連れ移動し始める。
身体を小さくするエリンが後ろからついて行こうとしても、横にぴたりとついたダニエルがなぜか離れてくれない。
後ろからは、店主と荷物を抱えた針子たちがついてくる。
婚約者と紹介されたとあらば、それなりの態度をとっていないとダニエルの顔に泥を塗ることになってしまうだろう。
エリンは、首根っこを捕まれて連行される罪人の心境で、ダニエルの隣を歩くしかなかった。
ダニエルが応接室の扉を開いた。一行が入室する。
針子たちが一斉に散り散りとなり、手早く衣装の展示を始めた。
応接セットが一つ置かれただけのシンプルな空間に、色とりどりのドレスが飾られてゆく。ドレスの数が増えるほど、部屋はどんどん華やかさを増していった。
幾重にも軽い生地を重ねたドレスや花びらのようにフリルいっぱいのドレスなど、どれもこれも鮮やかで愛らしい逸品ばかり。
ちりばめられた細やかなビシュー。
細やかに施された刺繍。
どう見ても一針一針丁寧に仕立てられたドレスばかりである。足元には、それぞれのドレスに合わせた靴が添えられてゆく。
どれだけ手間暇かけて作られたのか、想像するだけでエリンは空恐ろしくなる。
ぎゅっと握り合わせた手が震えだした。
ローテーブルには各ドレスに合わせた宝飾品を店主自ら丁寧に並べていた。
色合いやデザインが統一されたアクセサリーが一揃いごとにまとめられ、まばゆい光を放つ。
手袋をはめた店主が鍵付きの鞄から取り出していく様を見つめるエリンは、どれほど高価な宝飾品が並べられているのかと縮み上がる。
間違いなく、目の玉が飛び出るような額の品々ばかりであろう。
こうして手早く飾り終えられた室内は、通り沿いの被服店や宝飾品店をまるごと再現したかのように様変わりした。
(ああ、もう早くこの場から去りたい。本来の仕事に戻りたい)
傍観するエリンは生きた心地がしなかった。
横にぴたりと立つダニエルがいなければ、お茶を淹れると言って逃げ出していたことだろう。
ダニエルに座るよう促され、操り人形のようにエリンはふらりと応接セットの長椅子に腰をかける。
目の前には、ネックレスやイヤリング、髪飾りなどが輝いている。
精緻な細工が施される大粒の宝石が輝く品々は、明らかに伯爵家でもなかなかお目にかかれない高級品ばかりであった。
(嘘でしょう。なんでこんな高価な品が並んでいるの。ううん、これだけじゃない。ドレスもアクセサリーも、アメリア様だって身に着けたことがないほどの逸品ばかりじゃない!)
身分不相応という警告がエリンの頭のなかで明滅する。
しかも、このすべてが国の財源から用意されているのだ。
ダニエルの働きによってもたらされた品々と言っても過言ではない。
(こんな過分な品を私が身に着けるの? 嘘でしょう、誰か嘘だと言ってよ!)
身の程を知れと叱咤する心の声に頭のなかがかき乱される。
伯爵家の令嬢として育てられてきたアメリアなら、気後れせずに、あれが欲しいこれが欲しいと甘え、花も飛ばさんばかりの笑顔でプレゼントを喜べるかもしれない。
しかし、身を粉にして働いても、僅かな銅貨を握りしめるだけで精一杯だったエリンには無理だった。喜ぶどころか、高価な衣装やアクセサリーを身に着ければ罰が下る、そんな根拠のない不安に駆り立てられた。
限界だった。
もうここはお茶を淹れてきますと言って逃げようとしたところで、針子の一人が間髪入れずティーカップをエリンの前に置いた。
どこからそんなものを出してきたのとエリンは叫びそうになる。
出かかった悲鳴を辛うじて飲み込み振り返れば、鍵付きの鞄の上に水筒とポットが置かれていた。
ここまで至れり尽くせり用意されてはもう逃げ道はない。心中で白旗をあげたエリンは、泣く泣く前を向いた。
店主は笑顔でエリンを見ていた。
情けない一連の反応を見られていたと悟り、エリンは気恥しくなる。
ちらりと横を見れば、ダニエルが悠然と、さも当たり前という顔で座っているではないか。
同じ奴隷出身とは思えない堂々とした場慣れした姿にエリンは唖然とする。
そんなエリンの視線にダニエルが気づいた。
目が合うなり、くっと髭が動く。
口角をあげたようだった。
(なに、なんなのその顔。どういう意味なの)
焦りと怯えが混濁しエリンは半泣きになる。
エリンから店主に視線を移したダニエルが、はっきりと告げる。
「この中で、一番高価な品はどれだ」
予想外の一言にエリンは石のように固まってしまったのだった。
平日は一日四話投稿になります。
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