二章:十二話:1
日々は淡々と過ぎてゆく。
買ってきた品々を所定の場所に仕舞うとエリンは厨房から洗面場に移動し、風呂の準備に取り掛かる。
お湯を張る途中でダニエルが来ることもあれば来ないこともあった。
来ない場合は大抵部屋で寝ており、言いつけ通り起こしに行く。
ダニエルが風呂に浸かる、その間。エリンは彼の部屋を掃除する。奇麗に使ってくれているのでかかる時間は短い。ベッドメイクまで済ませると厨房へ取って返し、エリンは夕食の準備を開始する。
ダニエルが好む肉を中心にしつつも、時折魚に入れ替え、野菜や果物、きのこなど色々な食材を組み合わせることでバリエーションを保とうとエリンなりに心掛けた。
夕食が終われば、ダニエルは自室に戻る。
着替えなどの手助けは拒否されているので、廊下ですれ違わない限り、翌日まで会うことはない。
貴族ならば、着替え等を行う際も使用人を侍らせるものだが、そこは出自による影響だろう。
ダニエルを見送って後、エリンは食堂と厨房を片づけ一日の仕事を締めくくる。
残り湯に浸かり一日の疲れを癒す。
さっぱりと汗を流してからは、浴場と洗面場の掃除も抜かりなくこなす。
自室へ戻りベッドに潜り込むエリンは、理想的な日々と心地よい労働に満足し、明日も頑張ろうとほくほく眠りにつくのだった。
たまに古着を身に着けたダニエルが、元の夜盗めいた姿で、昼間から出かけることもあったが、おおむね平穏に日常は過ぎていった。
満たされて過ごすエリンは知らなかった。
湯船につかって、一日の振り返りを行う間に、こっそりダニエルが夜の街へ繰り出す日があることを……。
夜半に屋敷を出たダニエルは市民が暮らす住宅街を抜け大通りに出た。
速足で進み、横の小道に入り込む。
街灯まばらな暗がりを抜ける。
重なり合う色とりどりの明かりが見えてきた。
喧騒が聞こえてくる。
進むごとに声が形を成してゆく。
ずんずん進むダニエルは客引きの声や酔いどれの歌声で賑わう灯眩い狭い道へ潜り込んだ。
そこは肩がぶつからんばかりの距離感で大人が行き交う繁華街。
小道を挟んだだけだというのに、快活な商店街や品行方正な大通りとは雰囲気ががらりと変わる。
男女が睦言を囁き合い、酔った男たちが戯言を言い合っている。
その間を縫って行く。
すれ違いざまに険を含んだ目で見送る者がいてもお構いなしに突き進む。
わき目もふらず直進するダニエルが、一軒の酒場が見えてきたところで歩速を落とした。
店先の明かりは煌々としているものの、小窓から見える店内は薄暗い。
近づく間に数人の客が扉をくぐっていった。
そこは平民が利用する酒場のなかでも、手ごろな値段で味の良い料理を出す知る人ぞ知る有名店であった。もっぱら待ち合わせに利用するダニエルがなじみの扉を開けば、いつも通りテーブル席はほぼ埋まっていた。
眼球だけをさっと動かし店内を検める。
一般客に擬態する手練れ数人が浮かび上がって見えた。
ダニエルが入ったことを一瞥で確認した彼らの背からチリチリと威圧を感じる。
何かあればすぐに動くと背中越しにも見て取れた。
彼らの警戒はダニエルだけではなく店全般に及ぶ。
カウンターや、テーブル席など点在する人数はおおよそ五人。
彼らがいることを承知済みのダニエルは、最奥のテーブル席に目を向ける。
四人掛けの席に一人で座る男がいた。
店内でありながら、フードを目深にかぶる男は、つまみと酒瓶を用意していながら、飲んでいる気配も食べている様子もない。
料理を運ぶ給仕に断りを入れ、席と席の間を縫うように進む。
挨拶もせずに、ダニエルは男の真向かいに座った。
隅の洋灯が鼻梁と口元を照らすものの、隠された目元はよく見えない。
男が口元を綻ばせた。
「遅かったね」
「人目を避けて出るのが難しかったんだ」
すかさず寄ってきた給仕が、ダニエル用のグラスを置いた。
ダニエルは、目の前にいる男に断りもなく酒瓶を手にした。
慣れた手つきで栓を抜くと、無造作にどくどくと赤い液体をグラスに注ぎ入れる。
フードを被る男用に用意されていた空のグラスにも酒を注ぐ。
「いらないのに」
「飲まなくとも、空のままはおかしいだろ」
酒瓶を隅に置いたダニエルはポケットから四角く折りたたまれた布を出し、テーブルに乗せた。
「約束の品を持ってきた」
無言で男は布を引き寄せると、懐から取り出した折り畳みナイフを出した。
手早く布に切れ込みをいれて引き裂く。
あっという間に布は細長い三本の紐となった。
男は一本をダニエルの元に戻し、その手を返した。
耳を貸せと言わんばかりに人差し指を動かす。
ダニエルは素直に身をかがめた。
二人はしばし囁き合う。
途中で「駄目だ」「受け入れられない」とダニエルが語気強めに拒否する場面もあったが、結局フードを被る男の弁に負けた。
しぶしぶ「わかった」と答え、ふんぞり返るなり、酒を呷る。
「私も、色々不自由なんだよ」
「それは知っている」
男の憐憫を求める声音にダニエルは憮然と答える。
「悪いようにはしない。危ないこともない。スケジュールに変更はない。すべて予定通り執り行う」
「承知した」
「首都に戻ってきた理由を忘れたわけじゃないだろう」
「もちろんだ。そうでなければ、どうして北に東に人目を忍んで、山間の道なき道を隠れながら動く必要がある。だいたい、俺はもう表に出る気なんてさらさらなかったんだ。それを無理やり呼び付けて、当てつけに婚約者まで用意しやがって」
吐き捨てるダニエルにふふんと男は鼻を鳴らす。
「いい子、紹介したろう」
「恩着せがましいのは嫌いだ」
ぷいとダニエルがそっぽを向く。
男は面白そうに喉を殺して笑った。フードが揺れ、洋灯の明かりが男の目元を微かに照らす。若葉色の瞳が冷ややかに光っていた。
「祝賀会に変更はない。婚約者殿は必ず連れてきてくれよ」
不承不承、そっぽを向いたままダニエルは頷いた。
この後もダニエルは夜の外出を何度か繰り返していたが、その動向にエリンが気づくことはなかったのだった。




