二章:十一話:4
「ありがとうございます」
ヒメリンゴの飴串を受け取ったエリンはひとまずお礼を告げる。
喜ぶに喜べず、抑揚乏しい声だった。
「荷物は持とう」
エリンはダニエルの顔を見た。
「荷物を持っていては、落ち着いて食べられないだろう」
ダニエルがエリンの肩にかかる袋の紐部分に指を引っ掛けた。
戸惑うエリンをよそに引っ張れば、するりと肩紐が袖を抜けた。
エリンから取り上げた袋を下げて持ち、ダニエルが歩き出す。
「行くぞ」
呆気にとられるエリンは慌てて追いかける。
並んで歩くには気が引け、半歩後ろについた。
ダニエルが歩調を緩め、エリンの横に並ぶ。
「エリン」
「はい!」
「生活するためのお金だが。最初に渡した金貨で賄っているのか」
いきなりお金の話を振られ、エリンは面食らう。
「暮らし続けていくとなると今後もお金がいるだろう」
よもや道すがらお金のことが話題にあがるとは思ってもみなかったエリンは慌てて、うんうんと頷く。
ダニエルが咳払いをした。
「食べながら聞け」
未だヒメリンゴに口をつけていなかったエリンは、促され、小さくかじった。
表面を包む薄い飴がパリンと割れる。
しゃりっと果肉を食む。
鋭い砂糖の甘みとまろみを帯びた果肉の甘みが口内で混ざりあう。
エリンが食べたことを確認し、再びダニエルは話し出した。
「一月暮らすための生活費はいくらぐらいかかるものか。金貨一枚程度あれば賄えるものだろうか?」
それではお釣りがくる、とエリンは思ったが、咀嚼した甘酸っぱい果肉とともに言葉を飲み下した。
天を仰ぐ。
お金のことは、そう遠くないうちに、ちゃんと話さねばならないことだった。
貴族のように暮らすとなれば、いずれつけることとなる帳簿にも直結する。
(でも、金貨を使用人に渡して勘定をぜんぶ任せるのは不用心甚だしいのよね)
金銭に関する全権を一人に任せては、不正を許すことになりかねない。
長く勤め、信頼できると思っていた人物だとしても、である。
とはいえ、エリンが引っかかるのは、ダニエルが言った生活費という言葉のニュアンスであった。
おそらくダニエルは、貴族の暮らしが何たるか分かっておらず、まだまだ平民時代の感覚でいるに違いない。屋敷を管理する経費に、エリンの給料さえも含むと理解を求めるのは現段階では難しそうである。
エリンはダニエルを盗み見た。
口元は髭で覆われ、もっさりした前髪が両目を隠し、何を考えているのかよく分からない。
ただ、なんとなく、エリンの答えを待つような、そわそわした雰囲気を全身に漂わせている。
ダニエルなりに悪気なくお金の話をしている。それは間違いないとエリンは確信した。
(始めの一歩は大事よね)
一旦申し出をそのまま受け取ろうと判断したエリンは、笑顔を顔に貼り付けた。
「金貨一枚あれば十分です。むしろお釣りがくると思います」
「ならば、金貨一枚を月の終わりか始まりに渡せば、生活費が賄えるな」
「はい」
やはりダニエルはなにも分かっていないとエリンは思った。
「できましたらダニエル様、金貨一枚分のお金を銅貨でいただくことはできますか」
「あっ、ああ。もちろん」
「商店街では銅貨を主に使いますので、銅貨でいただけましたら、とても助かります」
「わかった。今後は月の初めに金貨一枚分を銅貨で用意する。それで良いだろうか」
「はい」
「今月はどうする、すぐに用意すべきだろうか」
「来月からでかまいません。今はまだ、銅貨が財布に残っていますから」
「そうか」
はにかんだかのようにダニエルの口髭が微かに動く。
荷物を持たない空いた手で、ダニエルが鼻を軽くこすった。
照れたような素振りを見て、エリンの勘がピンと働く。
(もしかして、お金の話を切り出すために、買い物について来るって言ったのかしら。どんな風にお金を使って、どこで買い物をしているのか。確認するため? 自分が働いて得るお金だものね。気になってもおかしくないわ。必要経費を出すのは、すべてダニエル様なんだから)
屋敷を管理するにもお金がかかる。そう気づき、自ら考えて、申し出てくれたとしたら、それだけでも十分進歩である。屋敷を修繕し、生活が改善された賜物かもしれない。屋敷の主としての自覚が芽生えてきたのなら、喜ばしいことこの上ない。働きを認めてくれたからこそ、お金の話を切り出してくれたとも考えられる。
途端にエリンは嬉しくなる。
屋敷を修繕したかいがあったと心が弾む。
前向きにとらえれば、足取りも軽くなる。
表情を和らげるエリンが、ヒメリンゴを頬張り、ダニエルを見上げた。
「ありがとうございます、ダニエル様」
「……串がか?」
「串もですが、お金のことです」
「それは、まあ、暮らすとなれば、それなりにだな」
「お屋敷を管理していくにもお金がかかります。それに気づき、提案してくれるなんて! 働くことを認めてくださったからこそ、お金の話をしてくれたんですよね」
ダニエルが一瞬動きを止めた。
「尊敬する人の元で働ける。使用人として、これほどの誉はございません。私の人生を好転するきっかけをくださったダニエル様に、日々、感謝し、尊敬の念を忘れず、これからも頑張って働きますね」
給金や帳簿、お金の課題はまだまだあれど、それは新たな使用人を迎える準備が整ってから出来ればいい。旅立つ前のダニエルの姿を思い起こせば、旅から戻ってからの変化は好ましいことばかりだ。
エリンは胸を張り、顔を綻ばせる。
「そっ、そうか……。ああ、まあ。それは良かった」
ふいっと顔を逸らせダニエルは無言となる。
用件が済んだからだろうとエリンは沈黙を好意的にとらえた。
黙すダニエルと共に機嫌よくエリンは歩を進める。
ヒメリンゴをシャリシャリと食めば、まろやかな酸味が口いっぱいに広がった。
買い物から帰宅するとダニエルは自室に戻るために階段を上って行った。
麻袋を受け取ったエリンは、玄関ホールで見送り厨房へ向かう。
(いきなりダニエル様が一緒に来るから、どうなるかと思ったけど……。いつもと勝手は違ったとはいえ、道すがら食の好みや給金の話もできて意義深かったわ。また一緒に買い物に行くと言われるかもしれないけど、それも仕事の内と思えば、なんてこともないわね。見方を変えれば、ちゃんと仕事してますってアピールにもなるもの)
出かけと打って変わり、気を取りなおすエリンであった。
しかしながら、ダニエルが買い物に行くと言い出すことは夜会が終わるまでついぞなかったのである。




