二章:十一話:3
ダニエルの動きが変われば、エリンの優先順位も変わる。
桶に張った水に食器類を浸すとエリンは厨房を飛び出し、自室に戻った。
旅行鞄に引っ掛けている買い物用の袋を掴むと、枕の下に隠す小銭入れをポケットに入れ玄関へと向かう。廊下を抜けるなか袋を肩に掛けた。
玄関ホールが見えてきた。
ホールを小さな円を描くかのように歩き回っているダニエルが目に留まり、ぎょっとしたエリンは足を止める。待ちくたびれて苛立っているかのように感じ、身体に緊張が走った。嫌忌が胸の内で小さな渦を巻く。
使用人たるもの、この程度のことに動じてなるものか。
もやる気持ちを意地でかき消し、改めてエリンは笑顔を作りなおす。
踏み出せば、顔をあげたダニエルが近づくエリンに気がついた。
明るい表情を取り繕い、エリンはダニエルと差向う。
「お待たせしました。それではダニエル様、商店街へご案内致します」
一礼し、連れ立って外へ出る。案内役のエリンが先を歩く。
ダニエルの気配が背中に張り付き、気になって仕方がない。
追い越すこともなく、歩調を合わせてついてきてくれるのはいいが、どことなく背中を取られているかのようで、圧迫感に息が詰まる。
からっと晴れる空。
活気あふれる住宅街。
いつも通りの景色なのに、どことなくどんよりと濁って見えた。
大通りに出る。
両替商前を通り過ぎ、カフェを横切る。
靴磨きの少年や新聞売りの少年は見かけたが、ジルはいない。
いなくて良かったとエリンは胸をなでおろす。
商店街の入り口を示す角の果物屋が見えてきたところでエリンは振り返った。
「あの果物屋が目印です。あそこから商店街に入り、いつも買い物をしています」
ダニエルがエリンの横に進み出る。二人は、並んで歩き始めた。
「賑わっていそうな商店街だな」
「住宅街も近く、近所に住む人は皆ここを利用しているそうです」
「品ぞろえもいいのか」
「日常生活に必要なものはだいたい手に入りますね」
「あの角の店でいつも果物の調達を?」
「はい。品数も多く鮮度も良いですし、値段も手ごろです。入用の物を買って、袋と私の体力に余裕があれば買って帰ります。ここに果物屋があるのはとても便利ですね」
「なるほど」
果物屋前を通り過ぎ、買い物客が行き交う商店街に入る。
人の流れに沿って歩くエリンは、パンを買う店、野菜を買う店、香辛料や調味料を買う店、肉を買う店、魚を買う店など、よく利用する店をダニエルに話しながら歩いた。
ダニエルは黙って店を観つつ、気のない相槌を繰り返す。
まだまだ道沿いに店は続いていたが、エリンは道のほとりに寄っていく。
ダニエルもエリンに合わせて歩速を緩めた。
二人が路傍に立ち止まる。
エリンが顔をあげた。
ダニエルと目が合う。
ふっとダニエルが視線を逸らす。
気にせずエリンは話しかけた。
「ここから引き返して、入用の物を買っていきます。いつも一通り見てから、買って帰るようにしているんです」
「そうか」
「今日の夜は肉料理で宜しいですか」
「かまわない」
「では、野菜ときのこ類。それに肉を買って帰りますね。戻りましょう」
来た道を後戻りし始める。
「いつも肉料理を多くしてますが、魚の方がいいとかありますか」
「いや好きなのは肉だ」
「たまには魚でも、かまわないですよね」
「言うに及ばず」
「お肉も色々種類がありますが、これが好きというものはありますか?」
「肉ならなんでも好きだか、しいて言うなら牛と羊だな」
「牛と羊ですね」
「だがしかし、猪や鹿も捨てがたいな、それを言っては馬も豚も鳥も。鳥といえども、鶏や鴨、家鴨、鵞鳥、雉。よりけりで甲乙はつけがたい。焼くや煮込むに合わせて考えれば部位も選ぶ。調理方法も考えたら好みを選ぶのも悩ましいな」
急に色々な肉の種類が出てきて、んっとエリンの思考が止る。間を置き、どこでそんなに多種類の肉を食べる機会があったのだろうと不思議に思う。
伯爵家の食事が下げ渡され、それなりの料理を口にする機会はあったけれど、味を語れるほどエリンも食べてはいない。母と食べる場合は鶏肉や豚肉が多かった。
名をあげていくなかで、さまざまな料理を食べる機会がダニエルにはあったのだろうか。
奴隷が解放され平民になって数年経つ。
それ以前から活躍しているなら、都度都度良い材料を使った料理を食べる機会に恵まれてきたのかもしれない。
(見た目とは裏腹に、意外と食べ方もきれいなのよね……)
最初こそがっつくようであったが、今ではカトラリーも使いこなしており、やればできる姿にエリンは驚くばかりであった。
「塩やオイルで肉を保存しよく食べたものだが保存量も限られる。そういう時は豆類で補完し食べていたな。チーズを添えたり、香味の強い野菜を脂分の多い肉と煮込んだり。雪深い北ならではと言うべきか、限られた食材のなかから日々工夫して調理していたものだ」
ダニエルの話を聞き流すエリンは、料理が好きなのねと上の空で考えた。
果物の飾り切りができ、北では料理屋で働いていたというだけあって、台所仕事の手際も良い。背景を知れば日々の手伝いも腑に落ちるというものだ。
(だからこそなのよね。あの初日の在り様。あれがなんだったのか。意味が分からなくなるわ)
立ち寄る店が見えてきた。エリンは店の軒先に入る。一軒目に立ち寄れば、次はあの店この店と人の流れに押されるように買い物は続く。
その間、ダニエルは終始エリンの邪魔をせず、数歩離れたところで立っていた。
最後に寄ったパン屋でバゲットと丸パンを購入すれば、商店街と大通りの角にある果物屋が見えてくる。
麻袋はずっしりと重くなり、今日はこのまま帰ろうと果物屋の前を通り過ぎようとした時だった。
果物を刺した飴串が並ぶ一角に、見慣れない果実があった。
リンゴほど大きくないが、形はリンゴという物珍しさに目が惹かれる。
気が逸れたエリンにダニエルが声をかけた。
「あれが気になるのか」
気づかれたエリンが、バツ悪そうにダニエルを見上げた。
「きれいだったので目に入っただけです、気になさらないでください」
「欲しいなら買えばいい」
「今は、その……、仕事中ですから」
苦しい言い訳だ。
一人ならば買っているところ、ダニエルの前にいる時ぐらいは格好つけたいというだけの。
頻繁に立ち寄っているだけでなく、盗人の一件もあるため店主に顔を覚えられているエリンは果物屋に背を向ける。
このまま、振り向かずに進みたいと思った矢先、
「入荷したばかりのヒメリンゴの飴串もあるよ。そこの兄さん、彼女に一串どうだい」
背後から要らぬ店主の声が飛んできた。
ダニエルが店主に目を向ける。
エリンは振り向くまいと肩をすぼめた。
「食べたいなら買えばいい。このぐらいのこと、気にしなくていい」
言うなり、ダニエルはエリンの横をすり抜けた。
素早い動きにエリンも慌てて振り向く。
大股のダニエルがポケットから財布を取り出す。
店主と向き合ったダニエルが銅貨を出し、ヒメリンゴの飴串を一つ購入した。
(あっ、普通に銅貨で支払ってる……)
まっとうに支払いを済ませる姿を目の当たりにし、エリンはふっと力が抜ける。
ダニエルもまた元奴隷だ。北での生活は銅貨が中心であったに違いない。当たり前と言えば当たり前のことだが、金貨を投げて寄越した初対面の印象とあまりにちぐはぐで、エリンは彼の人物像を、どう受け止めていいのか分からなくなる。
飴串を手にしたダニエルが引き返してくる。
まいどと快活に声掛けした店主がエリンを見た。
おっと表情を変えた店主にエリンは気まずい顔で会釈を返す。
戻ったダニエルがエリンに飴串を差し出した。
飴に包まれたヒメリンゴが、食べてとばかりに艶やかに光っている。
(私、そんなに物欲しそうにしていたかな……)
飴串をじっと見つめるエリンであったが、どこか気が引け、手を出しあぐねる。
「どうした」
「これを私に、ですか」
「嫌いか」
「そんなことはないです」
むしろ好きだ。
正直に言えないまま、エリンは遠慮がちに手を伸ばした。
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