二章:十一話:2
ダニエルの手伝いを黙認し、二日三日過ぎる。
この間に、鍋運びやカトラリーを整えるといった諸々の雑務が、ほぼダニエルにとって代われてしまった。
さらにはメインの料理をエリンが厨房から食堂へと運ぶ間に、ダニエルがスープをよそうようになり、それもまた定着してしまったのだった。
エリンからしてみれば甚だ不本意甚で、不甲斐なさを痛感するばかりであったが、楽になったことも否めない。
目を瞑ることによりダニエルの手伝いがいつものこととなると、食事中の雰囲気にも変化がみられるようになった。
最初こそ険しい表情で黙々と食べていたダニエルの態度が徐々に軟化し、自身の過去を訥々と語り出すようになったのだ。
兵士となってから狩った魔獣の話。
訓練してくれた兄のような師匠の話。
兵士になるまで働いていた食堂の話。
寒暖差の激しい北方の四季の話。
地方ならではの祭事や風習の話など。
首都から離れたことがないエリンの知らない話ばかりであった。
さらに兵士として実績を積み上げていく過程は、まさに成り上がっていくダニエルの経歴そのものだ。
それを当人から聞けるなんて!
こればかりは、さすがのエリンも夢中で聞き入ってしまった。
ゆったりと低い心地よい語り口調は耳障りもよく、なんども食事の手が止りかけた。
食事が終わると、ダニエルは紅茶を嗜む。
その後、「美味しかった」と言って席を立つ。
貴族の食事に比べれば、品数も少なく、家庭料理に近いメニューしか用意できないエリンにとって、その言葉はなにより嬉しいものであった。
とはいえ、時間が限られているエリンに、喜びに浸る時間はない。
ダニエルが去るや否や、エリンは素早く食堂や厨房を片づけて、洗濯や掃除に取り掛かる。
日々使う部屋を掃除し、移動中に廊下を清掃する。時間のロスを最小限にし動くのだ。
洗濯を終えて、干しきる時には、大抵太陽は真上に近い。
昼時を迎え、急ぎ厨房へ向かう。
この時間、だいたいダニエルは午前の鍛錬を終えて、洗面場に向かっている。
厨房に入ったエリンの次なる仕事は、汗を流し終えたダニエルに昼食を提供することだ。
意気込んで袖をまくる。
食材を揃えて、調理開始。
スープ鍋を温め、パンを用意し、メイン料理を作り始める。
てきぱきと昼食の準備を進めてゆく。
そんな一人の作業中、またもダニエルがふらりと厨房に顔を出した。
朝宜しく、「手伝おう」と言い出し、エリンは閉口する。
止める間もなく、温めなおしたスープ鍋や主食のパンを食堂へ運びだす。朝同様の動きでこなす、こなれた手際に口を出す余地もない。
メイン料理を作っていれば、勝手に準備が整っていく様は、まるでおとぎ話の小人が手伝ってくれているかのようであった。
すべてを作り終えて見回せば、ぴかっと片付いている厨房が視界に広がる。
毎度のこととはいえ、魔法使いと仕事をしているかと目を疑いたくなるほどであった。
手際の良さに脱帽する機会が増えるほど、初日の飲んだくれた有様がなんだったのかとエリンの心に疑念が膨らんでゆくばかりであった。
そんな、ある日。
昼食を終えたダニエルが食後の紅茶を口にしつつ、エリンに訊ねた。
「毎日、どこで買い物をしているんだ」
「買い物ですか? 大通り沿いにある商店街まで買い出しに行っています」
急に何だろうと思いながらもエリンは素直に答える。唯一の気晴らしを兼ねた買い物に出かける直前の昼食中は買い物について考えながら過ごすのが常であった。
「街中まで往復とは、大変ではないのか」
「大変と言えば大変です。けれど、住宅街を抜けて街中に行くのも楽しいですし。食材も新鮮な方が美味しいので、毎日行くようにしています」
市民が暮らす住宅街、大通りの賑わい、商店街の人込み。
ふわふわ歩きながら人の営みを眺める時間は、一人黙々と働くエリンのささやかな楽しみだ。
新聞売りや靴磨きの少年たちが頑張っている姿も心の励みになっていた。
(今日の買い物も楽しみだな)
と、いつものように浮足立ったところで、
「一度、行ってみるか」
ダニエルの予想外な一言に、エリンはぴきっと凍り付いた。
「今日の買い物、俺も一緒に行こう」
「えっ……」
「早速、支度をしてこよう」
顔色一つ変えずに立ち上がったダニエルが食堂を足早に去ってゆく。扉がぱたんと閉じた。
静まり返る食堂内で、エリンはみるみる顔を青くする。
口元に手を寄せ、挙動不審に視線を左右に動かした。
「買い物? 買い物? えっと……、お金は……」
両替商に寄ったばかりであり銅貨は十分小銭入れに入っている。
事前に両替商に寄っていてよかったとエリンは胸をなでおろした。
両替商になぜ出入りできるのか追及されても困ってしまう。
ジルと知り合った経緯も含め、どう説明したらいいか分からない。
最近、見かけないとはいえ道すがらジルと遭遇しても厄介だ。
こういう日に限ってタイミング悪く鉢合わせる、なんてことも十分あり得る。
「もう! 今日は買うものを買ったら、すぐ帰ろう! 寄り道しないで、まっすぐに!」
ぐるぐる巡る思考を断ち切るように声を荒げたエリンは、言い終わるなりへなりと脱力する。
テーブルに肘をついて頭を抱えた。
「断ればよかった。断れなかったかなあ……」
休みらしい休みがないエリンにとって、買い物帰りに果物屋で買い食いをしたり、カフェに寄ることが貴重な一休みを兼ねていた。
屋敷で働き続けるためにも僅かな息抜きは必須である。
勝手と言えば勝手なことだが、心に潤いをもたらす貴重な一休みを、ただのさぼりのようにダニエルに見られたくはなかったのだ。
「ダニエル様がこれからも来るなんて言ってきたらどうしよう……」
二回三回と続くようなら絶対に断わろうと誓い、エリンは昼食後の片づけを開始した。




