二章:九話:3
「さあ、お昼ごはん作らないと」
厨房に戻ったエリンは張り切って、袖をまくる。
塩コショウをふって寝かせておいた白身魚を用意し、小麦粉をふる。朝のスープを温め直してから、パンをスライスし籠に盛り付けた。
次いでカトラリーなどを準備し、食堂へ赴く。
厨房と食堂を往復し、パンを盛った籠や温めた鍋を運ぶ。
果物を盛ったコンポート皿をもう一度中央にセットすれば、殺風景な食堂も少なからず華やいで見えた。
テーブルセッティングをしている途中で、ダニエルが食堂に入ってきた。
憮然とした表情は相変わらずだ。目も合わせず、朝食時と同じ席に座ろうとする。
「ただいま温かい料理をお持ちしますので少々お待ちください」
座るなり腕を組んだダニエルは、表情変えずに頷くだけであった。
喜色満面のエリンが食堂を出ていった。
「なにがそんなに楽しいんだか……」
彼女が閉めた扉を尻目に、ダニエルは不満げに呟く。
「俺のそばで働くことがそんなに嬉しいことなのか?」
迷いなくエリンは尊敬していると言い切った。
まっすぐな声音を想起しダニエルは気恥ずかしくなる。
(エリンは働きたいだけだ。それ以外に他意はない。他意はない、が……)
エリンが語る希望に嘘偽りがないことは明白だ。
完璧に修繕された屋敷、隅々まで行き届いた掃除、洗濯や料理など、仕事ぶりはどこをとってもぬかりがない。子どものころから貴族の屋敷で働いてきたというのもだてじゃない。
だからこそ、己の行いに気分が萎える。
(事情を知らなかったとはいえ、悪いことをした。知っていれば別の手をうち、こんな後味の悪さを味合わずにすんだろうに……)
どうしてちゃんと話を聞かなかったのかと悔やめば、相手を決めつけていたからだと手痛い自答が跳ね返ってきた。
後悔先に立たずとはこのことかとじくじくと膿むものの、脳裏に浮かぶのはからっとしたエリンの笑顔ばかり。
エリンはダニエルを恨むことなく、感謝していると言いきり、ここで働けることを心底喜んでいる。ひたむきな気持ちを隠しもしない。
仮にダニエルが贖罪を申し出たとしても、エリンはぽかんとするに違いない。
朽ちた屋敷に置き去りにされたことさえ、屁とも思っていないのだから。
許してほしいと請う以前に、まるで相手にすらされていないかのようである。
恨んでいないといえば、父である伯爵の仕打ちさえ、エリンは気にするそぶりがない。
淡々と過去を語る口調からは、亡くなった母を懐かしむ感傷以外の心の揺れは見受けられなかった。
母を見捨てた父を許しているのか。
それとも、すでに諦めの境地に達しているのか。
満足そうに笑っていられるエリンがダニエルには不可思議でならない。
(恨んでもおかしくない相手を許せるものだろうか。無力を悔やむ過去を風吹くように語れるものだろうか)
ダニエルにはエリンの心根が理解しがたかった。
差し当たって、贖罪は的外れでも、何かできることはないかとダニエルは顔をあげた。
ちょうどテーブルの中央に彩り豊かな果物が、花でも飾るかのように盛られていた。
周囲を観察すれば、テーブルの端に数枚重ねられた皿が埃避けのふきんをかけておいてある。
あのエリンが目で楽しむためだけに果物を置くわけがない。
ダニエルが果物を食べたいといえば、すぐに応じられるように準備していて当然なのだ。
(あれなら、できるか)
目を輝かせ、ダニエルが立ち上がる。
隠された皿に近づき、ふきんをとりはらった。
その下にはペティナイフが潜んでいる。
「さすがだな、エリン」
いつでも果物をカッティングできるよう先を見通し準備万端。
(気が利くというか、なんというか)
いたずら心を躍らせ、小道具をダニエルは席へ運ぶ。
くくっと自然と喉が鳴る。
人を驚かす計略は立てるだけで楽しいものだ。
座りなおし、コンポート皿を引き寄せた。
少し迷ってから、鮮やかなオレンジをつかむ。
くるりと手の中で回して香りをかいだ。
酸味が引き立つ甘い匂いが心地よい。
ペティナイフを手にしたダニエルは、慣れた手つきでさっくりとオレンジを切る。みずみずしい果肉の断片から爽やかな果汁が弾けた。
ほぼ同時刻、厨房へ取って返したエリンは、準備しておいた白身魚をフライパンで焼き始めていた。
焼き色がつき皿にもりつける。空になった熱いフライパンにバターを落とす。じゅっと溶けるバターをくるりと回し、レモン果汁を足した。軽く煮詰めれば即席のレモンバターソースが出来上がる。
白身魚にふりかけ、冷めないようにクローシュを被せると、エリンは大急ぎで料理を食堂へ運ぶ。
食堂の扉を開くと黙って座っていると思っていたダニエルの手先が動いていて、エリンは目を見張った。
ペティナイフを扱うダニエルが切っ先で何かをつついている。
ガッチリとした手ですっぽりと包んでいるものが何か、扉近くにいるエリンにはよく見えない。
俯くダニエルが、ペティナイフの柄を薬指と小指にひっかけ、今まで刺していた何かを親指と人差し指でつまんだ。ぱかっと割れた断面はジグザグ。赤い縁に白い果肉が映える。
(あれはイチゴだ。イチゴの飾り切りだ)
カットされたイチゴもまた、飾り切りされた果物を盛りつける皿に添えられた。
鮮やかな一皿にエリンは目を見張る。
籠となったオレンジの皮には一口大の四角くカットされた果肉が詰められ、皮を花びらに見立てたブドウが、イチゴとともに散りばめられている。
皿の中央にはスライスしたキウイがバラを模して盛られていた。
コンポート皿に載せていた果物を使ったのは明らかだ。
皿から果物が減っているため、間違いない。
あまりの出来栄えに声もなく凝視していると、ダニエルが顔をあげた。
「戻ったか」
「はい!」
飛び上がらんばかりの素っ頓狂な声が出た。
「暇だったから拝借した」
テーブルの端に向けダニエルが顎をしゃくる。
指し示す先は、朝食時に果物用の皿やペティナイフを置いていた場所だ。
エリンは返答に困る。
ダニエルが希望すれば果物をすぐ用意できるようにと置いておいた物を、まさか当人に使われるとは思ってもみなかった。
しかも器用な飾り切りができるなんて、だれが想像できるだろう。
ダニエルの見た目からは、にわかに信じがたい。
果物の皮などの残骸を載せた皿にナイフを添え、少し遠くに避けたダニエルが、華やかに盛り付けた皿を隣に置いた。
エリンははっと我に返る。
棒立ちしたままでは、急いで持ってきた料理が冷めてしまう。
温かいうちに食べてほしいと思っていたエリンは急ぎダニエルの前に皿を置いた。お待たせしましたとクローシュを取る。
一皿しかない魚料理を見たダニエルがすかさず問うた。
「エリンの分はどうした」
「私の分ですか?」
「そうだ」
「私は、あぁ……」
魚料理はダニエルの分しか用意していない。
今日のところはそれしか材料がなかった。
加えて、伯爵家にて残り物を食べる習慣が身についているエリンは、隅で食事をとりながら給仕として控える心づもりであり、端から自分の分を用意する気はなかった。形だけ、スープでも啜っていようと考えていたのだ。
「用意していないのか」
呟いたダニエルは取り皿を引き寄せた。
なにをするかと思えば、ナイフとフォークを用いて魚を半分に切り、分けたのだ。そして、果物を盛った皿の横に置いた。
滑らかな手つきに雑音を立てない所作が粗野な見た目と合致せず、エリンは目を疑った。
「明日から、ちゃんと二人分用意するように」
魚と果物が載った皿をまじまじと見つめるエリンの姿にダニエルは薄く口角をあげた。
得意げな雰囲気を漂わせて。




