二章:八話:2
鍛錬を終えたダニエルが食堂へ入ってきた。
エリンの姿を目に留めたダニエルが一瞬動きを止める。
「おはようございます。ダニエル様」
「……。おはよう」
ぼそりと呟くダニエルは適当な椅子を引き、昨日よろしくどかりと座った。
セッティングした席とは離れているため、エリンは急ぎダニエルの前に一式準備する。
腕組みし、不貞腐れているような顔をして目を瞑るダニエル。不遜で粗野な雰囲気は相変わらずだとしても、帰宅時のように怒ってはいないようだ。上質な衣類を身に着けているからか、そこはかとなく落ち着いた感じさえ漂ってくる。
様子を伺いつつ距離を取ったエリンは続いてキッシュを切り分け始めた。
卵のふんわりした甘い香りが立ちのぼり、鼻腔をくすぐる。
頬を緩めたエリンがふと気づく。
鍛錬してきたはずのダニエルから汗臭さがない。
さらには酒気も漂ってこない。
(浴場で汗を流してきたのかしら……)
じろじろ見ては失礼だと思っても、むすっと座るダニエルに目が向いてしまう。
髪と髭がもっさりしているのは同じなのに、厳めしい騎士と言われたら、騎士に見えなくもない。軽装だからこそ、鍛え抜いた身体のつくりがしっかり見て取れる。
帰宅時は野蛮な夜盗といった風体のダニエルだったが、今日はそんな印象さえ薄れていた。
(着るものが違うと見違えるものね。お風呂に入ったせいもあるのかな。清潔感ってやっぱり大事なのね)
目を奪われながらも手は止めない。キッシュを皿に盛り付け、鍋からスープを皿によそい、ダニエルの前に運んだ。
「ほうれん草とベーコンのキッシュに野菜と豚肉の腸詰のスープです。お飲み物は、珈琲、紅茶、どちらになさいますか」
「紅茶で」
皿を凝視したままダニエルは呟く。
「かしこまりました。では、淹れてまいります」
丁寧なお辞儀をし、エリンは下がる。
突然、前を向いていたダニエルが背もたれを押して、振り向いた。
怒っているかのような雰囲気を感じ取り、エリンはドキリとする。なにか不興を買うようなことをしただろうかと不安がせりあがった。
「おい、お前。お前の食事はどうするんだ。あと、名前」
「名前、ですか?」
「お前だと呼びにくい」
最初に名乗っていたはずだと思ったものの、不必要な口答えはしない。
長年、伯爵家でそのようにエリンは躾けられてきていた。
「私はエリンです。エリン・ミドルトンと申します」
「ミドルトンは言いにくい。エリンでいいな」
「はい」
いきなりなんだろうとエリンは不思議に思う。
「でっ、エリン。食事は?」
「……? それは、私のということでしょうか」
「それ以外、誰がいる」
「私は……、ダニエル様が食べ終えられましたら、残りの料理をいただくつもりです。片付けてから厨房ででも」
ダニエルの眦が歪む。
その反応をどう受けとめていいかわからず、エリンはたじろぐ。
貴族が豪勢な料理を楽しんだ後、その食べ残しや飲み残しが使用人たちへおろされていく。それが長年貴族の屋敷で働いてきたエリンの常識であった。
「同じものを食べるのか」
「はい。ですが、ダニエル様がお嫌なら、そのようなことは致しません。別にまかないを作りますが……」
「違う。そうじゃない」
ダニエルがふいと前を向く。
「後で同じものを食べるなら、今、ここで食べても変わらないだろ」
きょとんとエリンはダニエルを見る。
「お茶を淹れて戻ってきたら、ここですぐに食べろ。その方が早い」
早い? なにが早いのかエリンはよく分からなかった。
しかし、ダニエルの意向に逆らうのもどうだろうか、とも思う。
(ゆっくりお茶を淹れてこようかな)
そんなエリンの気持ちを見透かすように、ダニエルが下から睨みつけてきた。
「どうせ、この家には二人しかいないんだ。別々に食べていたら時間の無駄だ」
「……」
一瞬エリンは、なにを言われているのかよくわからなかった。
使用人と屋敷の主が一緒に食べるなんて想定外。
エリンは、発言の意図が見当つかず、こう考えた。
(早く食べ終えて、さっさと他の仕事をしろということかしら)
目を逸らしたダニエルは食事に専心する。
食べ始めたダニエルはなにも補足してくれない。
理解に苦しむエリンであるが、食事を邪魔するわけにもいかず、「お茶を淹れてまいります」と告げ、食堂を辞したのだった。
エリンが出ていくとダニエルは食べる手を止めた。
「俺はいったい何をしているんだ」
勝手に修繕を進めた張本人に対し、文句を言うでもなく、二人しかいないのだから一緒に食事をすればいいと勧めるとはなんたることか。
カトラリーを皿に投げ、頭を抱える。
(使用人としてここで働ければ満足だと言うならば、適当な距離を置き、望み通り働かせておけばいい。給金が必要だというならば規定額を払えば済む。ただそれだけのことだろう、それだけの……)
肘をついたダニエルが片手で額を押さえる。
食堂に入り、エリンと目が合った時の気まずさが蘇った。
加えて、カトラリーを準備するエリンに声をかけるべきかと逡巡し、使用人相手に気を使ってどうすると頭のなかで突っ込みを入れたきまり悪さが押し寄せてきた。
さらに容赦なく、セッティングを終えたエリンが離れた時の安堵感が迫ってくるとなれば、追想される感情の揺れ幅に一体全体どうしたと叱咤したくなった。
正気とは思えない。
娘一人にどうかしているとしか言いようがない。
「責任を取らせればいいだけのことに、なにをしているんだ。なんでこう、俺が。こうも小娘一人に……」
焦れこむダニエルが食べかけのキッシュを凝視する
袖繰りが目についた。思わず腕をあげ、臭いをかぐ。
鍛錬後に汗は流している。昨日は酒を呷ることなく眠りについた。気になる臭いはしなかった。
ほっとすると同時に、はっとした。
(俺はいったい何を気にしている? 俺がなんで、こそこそ気遣うような態度をとっている? ただ働きたいと言っているだけの小娘相手に! こそこそと!)
かっと熱くなったダニエルがカトラリーを荒っぽく掴む。
食べかけのキッシュを苦し紛れにがつがつと口に詰め込んだ。
直後、喉につかえ、盛大にむせた。
厨房で紅茶を淹れたエリンが食堂へと戻るとダニエルの食事はほぼ終わりかけていた。
ささっと空いた皿を避けて紅茶を用意する。
内心、間に合ってよかったと安堵した。
相変わらずダニエルは憮然としている。
怒りを露わにしたり、嫌味を言うわけではないので、無害と言えば無害だ。
そのため、エリンは気にせず仕事を進めた。
差し出した紅茶をダニエルが黙って飲み始める。
一区切りしたエリンは、取り皿にキッシュを取り分け、テーブルの端に座ったのだった。




