二章:八話:1
食後、エリンはダニエルを新装した私室へ案内した。
別室の書斎と寝室に通じる居室を見ても驚く様子はなく、ダニエルは淡々と整った部屋を見回し、内装を眺めるのみであった。
帰って来た際に見せた怒り方を考えると別人のように冷静な態度である。
そ知らぬふりをしつつも、エリンは終始ダニエルを気にかけ、出方を見ていた。
最後にクローゼットを開く。
ずらっと並ぶ新服を見た時、ついにダニエルは眉をぴくっと動かした。
さすがに文句の一つもでる頃合いかとエリンは身構える。
しかし、ダニエルは額に手を押し当て、重苦しいため息を吐くのみであった。
いかがしましたかとエリンが訊いても、ダニエルは何でもないとしか答えない。
反応はそれだけだった。
クローゼットを閉じれば案内は終わる。
朝食の時間を伝え、部屋を辞したエリンは滞りなく、案内を終えられほっとする。
真新しい衣類を前にした際の反応だけが少し気にかかったものの、それ以外はほぼ順調。
終わりよければすべてよし。
食堂へ戻ったエリンは手早く夕食を終え、一日を締めくくる片づけを開始した。
私室で一人になったダニエルは、持ち帰った荷物を確認し、キングサイズのベッド脇に座り込んだ。
利き手で布地を撫でる。
目の細かなシーツや厚い掛布の手触りはいずれも滑らか。
適度な硬さを備えたマットもすこぶる寝心地が良さそうだ。
今まで使っていた木製の硬すぎるベッドとはわけが違う。
足を組んだダニエルは膝で頬杖をついた。サイドテーブルに置かれた寝衣を後目にとらえる。
手を伸ばし無造作につかむと、艶っぽいシルクの滑らかな手触りに顔を顰めた。
不貞腐れた表情で無意味な抵抗を示しつつ、ダニエルはいそいそと着替え始める。
(してやられた……)
ここまで徹底的に入れ替わってしまってはどうすることもできない。
一か月でこんなことになろうとは思ってもいなかった。
伯爵家から来た娘がここまでできるなんて、一体誰が想像できるだろうか。
「それなりの恰好で来たから騙されたか……」
嘆息する。
「連れ立ってきたのが御者一人ということも、鞄二つしか持ってきていないことも、よく考えればおかしかったか……。婚約式どころか、釣書さえない貴族の結婚なんて、そもそもありえない。少し考えればわかりそうなものを……」
酒に酔い、目が曇っていたとしか思えない。
「伯爵の血は引いていても母は奴隷であり、帰る家がない……、か」
それだけ言われれば、どんな境遇で育ってきたかもおおよそ想像がつく。
幼い頃から大人に混じって働いてきたに違いない。
料理も掃除も、風呂の準備もなにもかも慣れていて当然だ。
実年齢分の経験を積んできたということは、雑用係として良いようにこき使われていたのは明白。
業者相手に難なく交渉を進めたことも含め、一人で切り盛りできたのも納得できる。
「まったく厄介な者をよこしやがって……」
着替え終えたダニエルが苦虫をかみつぶした顔のまま、寝床に入る。
寝具に身体をうずめれば身体の感覚が削ぎ落ちていく。
風呂につかり、お腹いっぱい食べた後に訪れる睡魔の浸食は早い。
(よりにもよって、あんな娘が来るなんて……)
事情を知ってしまっては出ていけなんて言えるわけがなかった。
(あいつはいったいなにを考えているんだ。……飽き足らず、俺にいったいなにを……)
ご機嫌に働く娘の姿を瞼に映しながらダニエルは深い眠りに落ちていった。
翌朝。
太陽も昇りきらないうちからエリンは厨房に立っていた。
早朝から身体を鍛えるダニエルのために美味しい料理を振舞おうと快活にフライパンを振る。キッシュの具として厚く切ったベーコンとほうれん草を炒めていた。
二種の具材がざっくりと混ざり合ったところで、粗熱を取るため火からおろす。
続いて、卵とバターミルクをボウルに入れ卵液を作り始めた。
昨夜、美味しいと言ってもらえているだけに精が出る。
卵液ができる頃、生地の空焼きが終わった。
嬉々とした表情でエリンはミトンを手にはめ、オーブンを開く。
熱気が顔にかかり目を薄くする。
両手で取り出した生地は、からっときれいに焼けていた。
満足げに笑んだエリンは手早く焼きあがった生地に具を均等に載せて、卵液を注ぎ入れた。
再度オーブンに投入し、焼いている間にスープを作る。
調理するのは多種の野菜と豚肉の腸詰めを煮込んだ塩味のスープだ。
改装した屋敷での新しい暮らしに親しんでもらうためにも、誠心誠意ダニエルをもてなそうとエリンは額に汗して料理を続ける。
「しっかり働いて、ダニエル様に認めてもらわないと!」
意気込むエリンの脳裏に伯爵家で見てきた執事やメイドたちが浮かぶ。
凛と主に寄り添う姿はまさに働く者の鑑。
伯爵家では見果てぬ夢であったものが、ダニエルの屋敷に来て叶うとは。
信じられない巡り合わせにエリンの心はワクワクする。
スープが煮立った。火を止めたエリンは厨房と食堂を往復し始める。
スープ鍋にパンや果物、カトラリーや小皿を運んでゆく。
セッティングは後回しにして厨房に戻るとタイミングよくキッシュが焼けた。
ミトンを手にはめオーブンから取り出せば、ベーコンと濃厚な卵の匂いが花咲くように広がった。
香りを胸いっぱいに吸い込めば芯から心がほっこりする。
緑色のほうれん草が見た目の良いアクセントになっており、香りのみならず、食欲がそそられる。
硬いパンをどうにかしようと卵に浸して焼いたものとは、わけが違う。
保温をかねてキッシュにクローシュを被せた。
熱々のうちに食べてほしいエリンは急いで食堂へ引き返す。
キッシュをスープ鍋の横に置いた。
続いて、丸パンを盛った籠と多種の果物を載せたコンポート皿を見栄え良く配置する。
食べたいと言われたらすぐに対応できるよう、隅に取り皿と果物ナイフも用意した。
指さしで一通り確認する。
料理は万全。
いつダニエルが来ても問題なし。
にんまり笑ったエリンはふとスカートを見下ろした。
伯爵家の執事は常に装いを気にしていたと思い出す。
エリンは右に左にスカートを揺らして確認する。
衣類に目立つ汚れはなかった。
スカートを二度払ったエリンは、重ねた手を腹に添えた。
すうっと息を吸い込み、ぴたりと止める。
はっと息吐き肩の力を抜いた。
働きたいと希望を伝えたとはいえ、いまだきちんと了承を得たわけではない。
認められて働きたいと心より願うエリンは、気を引き締めて前を向いた。




