二章:七話:4
「説明願おうか」
真顔でダニエルが問う。
正直に言うべきか、エリンは惑う。
「……」
「ばれたらこう言えと脅されているなら、よく考えて物を言え。正直に話せば、悪いようにはしない」
ダニエルの瞳にはエリンの姿がはっきりと映っていた。
嘘はつけないと、見入られるエリンは観念する。
「伯爵の娘であることに、偽りはありません」
「じゃあ、この手は」
「私は奴隷の子です。母が……、伯爵家で働いていました」
ああぁとダニエルが喉奥で唸った。目を眇め、顔を歪める。
「父は伯爵です」
「……」
「どうか、これでお察しください」
口重に語るエリンの心臓はばくばくと痛いほどに鳴りだしていた。
この屋敷で働きたい。
そんな希望に胸を躍らせていたというのに、いざダニエルに懇願できる場面に直面したらば、断られるのではないかという恐れが頭をもたげて、膝が震えてきた。
勇気を振り絞りきれないエリンであったが、それでも伝えるべきことは伝えようと腹をくくり、ダニエルを見つめ返す。
「私は英雄となり、奴隷を平民に押し上げるきっかけを作ったダニエル様を、心から尊敬しております」
ダニエルが目を見開く。
エリンは誠心誠意、言葉を紡ぐ。
「ダニエル様は北の砦では魔獣の脅威を払いのけ、東では国境を守った英雄です。それだけでなく、長年放置されていた奴隷制を一新し、国中の奴隷を平民と同等とするように国を動かした方です。私は、ダニエル様が成し遂げた功績の恩恵に預かった者の一人になります」
語るごとにエリンの気持ちは高揚する。
「私はここで働きたいだけです。婚約者なんて、おこがましいことは望みません。北に東に頻繁に出かけられるのなら、この屋敷を管理する使用人は絶対に必要です。長らく伯爵家で働いてきた私にはそれができます」
エリンは大きく息を吸う。
「どうか、ここで、働かせてください。料理も掃除も洗濯も、一通りなんでもできます。必ずお役にたってみせます!」
最後まで言い切ったエリンは、荒くなった呼吸を整える。
(どうか、出ていけなんて言わないで……)
祈る思いでエリンはダニエルを見つめる。
彼の瞳に映る自己像のさらなる奥を覗き込み、否定されても逃げず、試されても挑戦し、なんとしても食い下がろうと覚悟を決めた。
ダニエルの眸中に潜んでいた怒りや嘲りと言った情動が消失する。
一月前の出会い、ほんの数時間前の再会。どの場面でも見たことがない、深い緑の瞳に、今まで見たこともない色が添えられた。夏の日差しを受けた青葉のような緑眼が静かに燃える。
熱量に魅入られ、怖気づく。負けまいとエリンは唇を薄く食んだ。
「戻りたくない事情があるんだな」
落ち着いた声音でダニエルは問う。
エリンは素直に頷いた。
「金貨は渡してあったはずだ、あれを持って出て行けば良かったものを」
「私に行く当てはありません!」
宥めるようなダニエルの囁き声に被せて、不本意だとばかりにエリンが叫ぶ。
出ていく選択肢なんて元よりなかった。エリンは働きたいのだ。尊敬する人の傍で、その人を支えて、執事のように格好よく。ダニエルが戻るまで、ずっとそんな夢を見ていた。
「私はダニエル様に仕えるためにここに来ました。
戻る家なんて、どこにもありません。
ここで働かせてもらえなければ、行く当てもありません。
だから。どうか。ここで働かせてください!」
じっとエリンを見つめていたダニエルが、無言のまま視線を外した。
エリンの腕からも手を離し、座りなおす。
ダニエルはカトラリーを手に取った。
真っ先に肉に手を付け、がつがつと食べ始める。
あっという間の挙動変化に、ぼうっとしてしまったエリンだが、勢いよく食べていくダニエルを見ているうちに正気に返った。
(食べてくれている。ああ、良かった)
ほっと胸をなでおろすエリンが、憧れの人に食べてもらっている現実にはっと気づく。
途端に心臓が早鐘を打ち始めた。
ナイフとフォークを動かすダニエルの手が止まる。
肉を凝視し、微動だにしない。
焼き加減が悪かったか、塩味が足りなかったか、よからぬ想像がエリンの頭を巡る。
黙っているのが徐々に耐えられなくなり、お口にあいませんかと訊ねようとしたものの、まずいと言われるのではないかと怖くなり、エリンは口ごもってしまう。
「うまいな」
肉を見つめるダニエルがぽつりと零す。
エリンは目を丸くした。
(うまいって言った? 言ったよね。言ったわ)
再び食べ始めたダニエルの勢いはとまらない。
肉を食べつつ、スープを一気に煽る。
空になったスープ皿をエリンに突き出し、ダニエルは口元を手の甲で拭った。
「まだあるだろう」
「はい」
皿を渡すとダニエルは残りの肉を食べ始める。
エリンは大急ぎでスープをよそい、さし出した。
ダニエルはがつがつと食べ続ける。
行儀の悪い食べっぷりだが、食べてくれるだけで、エリンは嬉しかった。
『うまいな』
その一言がいつまでも胸奥で響き、心身をほんのりと暖かくしてくれた。




