二章:七話:3
その頃、厨房にいるエリンは、こげ茶色に焼けた肉を皿に盛り付けていた。
ローストした野菜を添えるお皿に見た目良く肉を載せ、調理台に用意したクローシュを手にする。
(これ、やってみたかったのよね)
浮き立つ心に後押しされ、エリンはにんまり笑う。
クローシュを被せた料理を運ぶ様を幾度となく見てきたエリンは、紳士淑女のように給仕を行う執事やメイドに憧れを抱いていた。生まれの事情により叶わなかったことも、今は昔。ここはもう伯爵家ではないのだ。
(ダニエル様に仕事ぶりを見てもらえる給仕は、働きたい気持ちを示すにはもってこいよね。見せ場って感じだわ)
意気込むエリンがクローシュをお皿に被せ、厨房を出た。
廊下を突っ切り、食堂に入る。
風呂上がりのダニエルはすでに椅子に座って待っていた。
真新しい衣服を身に着けた姿に、エリンは目を輝かせる。
ダニエルの精悍な体躯に被服店の店主が用意した衣類はとてもよくフィットしており、夜盗や浮浪者といった印象をすっかり拭い去っていた。
「お待たせいたしました。湯加減はいかがでしたか、ダニエル様」
居丈高な態度でダニエルがじろりと睨みをきかせてくる。
何度となく睨まれているエリンは、臆せず笑顔を向ける。
「お食事の準備をしますので。少々お待ちください」
エリンはダニエルの前に、運んできたお皿を置いた。
一旦引き、スープ鍋の元へ行く。
包んでいた布をとりはらい、きのこのクリームスープを皿によそった。
果物を盛ったガラスボウルとスライスしたパンを並べた皿を、スープ皿とともにダニエルの前に並べる。
すべての料理を並べ終えたエリンはクローシュを外し、一歩下がった。
できたとエリンは悦に入る。
よく焼けた肉が現れ、ダニエルは生唾を飲み込んだ。
早速食べて欲しいと期待するエリンがそわそわ待つものの、料理をじっと見つめたままダニエルは一向に手を付けない。
これでは肉が冷めてしまう。
食べてもらえなければ何も始まらない。
何より熱々の美味しいうちに食べて欲しい。
気が気でないエリンの表情が曇ってゆく。
「ダニエル様、どうぞ温かいうちにお召し上がりくださいませ」
業を煮やしたエリンが声掛けする。
しかし、ダニエルはぴくりとも動かない。
どうして食べてくれないのか。なにか粗相をしただろうか。
やきもきするエリンは耐え切れなくなる。
「ダニエル様、なにかご希望がございますでしょうか」
不意にダニエルが動き出す。
弾かれたように背もたれから体を離すと、勢いよく振り向くなり、エリンの腕を取った。
素早い動作に逃げる余地なく、エリンは持っていたクローシュを落とした。
カンカンと高い音を鳴らし、クローシュが転がってゆく。
咄嗟に逃れようと仰け反るエリンであったが、ダニエルの強い力で引っ張られれば手も足も出ない。小さな悲鳴をあげて、前のめりになるエリンは、転ばないように踏ん張るだけで精一杯であった。
ダニエルは反り返したエリンの手を凝視する。凝視するなり、目を見張った。
「なんだ、これは!」
「だっ、ダニエル様?」
ダニエルが黒目のみを向け、エリンを睨み据える。
仰天したエリンが腕を引く。
しかし、ダニエルの力は強く、びくともしない。
「なんだ、これは」
ダニエルが同じセリフを繰り返した。
「ダニエル様、これはとは、なんでしょうか」
「手だ」
「手?」
「この手、この硬い手。これは貴族の令嬢の手ではない」
びくっとエリンが身を震わす。
長らく働いてきたエリンの手は硬く、あかぎれのあとや重い荷物を持つことでできたたこなどが目立っていた。アメリアからも社交場に出る時には必ず手袋をつけるようにと注意されていたぐらいだ。
「お前、伯爵家の令嬢ではないな」
見抜かれたエリンは動揺し、視線を泳がせる。
狼狽するエリンの顔をダニエルは覗き込んだ。
射抜くような眼光に晒され、エリンは震え上がる。
「これは働く者の手だ。お前はいったい何者だ」
否定できないエリンは沈黙する。
(さすがに修繕から料理までこなしたのはやりすぎだった?
やっぱり最初から正直に話した方が無難だった?
今からでも使用人として雇って欲しいと頭を下げた方がいい?
伯爵家の正当な令嬢じゃないと分かって怒られる?)
考えを巡らせるエリンが、答えを模索している最中。
唐突に、俯いたダニエルがくくっと喉を鳴ら始めた。
何事かとエリンが目を剥く。
ダニエルの暗い笑い声が食堂に響き渡るごとにエリンの不安が増幅する。
ひとしきり笑い終えたダニエルが顔をあげた。
「そうか、分かったぞ。奴隷出身の俺に娘を嫁に出すのが惜しくなったんだろう。それで別の人間をよこしたというわけだな。貴族じゃない俺は作法もなにも碌に知らないから、見抜けないとでも考えたか」
「ちっ、違います」
「違う? こんな仕事をしている手をした女が、伯爵の娘なわけがないだろう」
「それは……」
狼狽えるエリンをダニエルは面白げに見つめる。
「お前に俺を騙そうという意図がなく、伯爵に脅されて来たのなら逃がしてやるぞ」
「えっ?」
エリンは目を白黒させる。
「どうせ伯爵から娘の代わりにいけと有無を言わさず脅されてきたんだろう。意に反して、ここに来たのなら逃がしてやると言っているんだ」
「違います、ダニエル様。違うんです。私は嫌々来たわけではありません。私は私の意思でここに来ました。
そして、まちがいなく伯爵の娘です」
ダニエルの顔から感情がさっと消え失せた。




