一章:五話:2
市民の住宅街を抜けて賑わう通りに出たエリンは、商店街に向かう途中、いつものカフェのいつもの席に座るジルを見つけた。新聞を広げ、ゆったりと珈琲を飲んでいる。
ジルが顔をあげた。
新聞を折りたたみながら目を細め、爽やかにほほ笑む。
エリンに向けて、返した手のひらで席を示した。
エリンはふらりと吸い寄せられる。
強制されているわけでもないのに、どこかジルには逆らえなかった。
従ってしまうのはなぜなのか。
優し気な雰囲気が蜜のように甘く、悪意を微塵も感じないからかもしれない。
もしくは高位の貴族であるが故に、命じることに慣れているからかもしれない。
席に着くエリンはテーブルに載る畳まれた新聞を見た。
今日も王家にまつわる記事が一面を飾っていた。先日聞こえてきた噂話が脳裏を過る。
「連日、王家の話題ですね」
「社交シーズンから外れた時期に、王家主催で夜会を開くからだろうね」
ジルにしてはそっけない答え方。
抑揚乏しい声調はどことなく冷え冷えしていた。
いつもの朗らかなジルにそぐわない声遣いに、エリンは微かな違和感を覚える。
「エリンさんは王家のことが気になるの?」
「そういうわけじゃないんですけど……」
「けど?」
「噂が聞こえてきたもので……」
「これだけ新聞に載っていれば、なにかと噂になるか」
諦めたような声音がエリンの耳に残る。なんと返答すればいいか。いつもと違うジルの様子にエリンは戸惑う。
「ベイジル卿」
突然、横から呼びかけられ、ジルの視線が流れた。
エリンもつられて顔を向ける。
内心、話が逸れてほっとした。
声をかけてきたのは白髪まじりの神父であった。
首元を覆う立て襟に足元まで覆う黒地の平服を身に纏う壮年の男性は目じりの笑い皺がくっきりとした優しげな雰囲気を醸す。
後ろには造花売りの少女が隠れるように佇んでいた。
「これはこれは、クレイ神父。お久しぶりです」
「お久しぶりでございます、ベイジル卿。
先日は我が教会が運営します孤児院へ多額の寄付をいただき、まことにありがとうございます。なかなかお礼を申し上げられず、心苦しく思っておりました」
「お気になさらず」
「この子たちにも常々良くしていただいているそうで、ありがとうございます」
「私は神父の運営方針に共感しているだけですから」
「この子の造花もよく買っていただいていると聞いております。微に入り細に入り、日々のお心遣いに感謝申し上げます」
女の子がもじもじしながら、神父の背後でぺこりと頭をさげた。
顔を上げると、ジルに向け愛らしく笑った。
「きれいに作っていたからね。あれなら帽子を飾る造花になりそうなほどだ」
「おかげさまで、この子にも針子の仕事先が紹介できそうです。差し当たって見習いでしょうが、良いご縁に恵まれました」
「それはよかった。一生懸命働くんだよ」
ねぎらうジルに、少女がはにかむ。
神父と少女は、もう一度ジルに礼を告げ、去っていった。
見送ってからエリンはジルに話しかけた。
「子どもたちの支援をされているから、靴磨きの少年や新聞売りの少年とも親しくされていたんですね」
「うん。みんな神父が営む孤児院の子たちだよ。働く許可を得て、この通りで訓練しているんだ。働きながら子どもたちを学ばせ、それぞれに合った職につなげていくのが神父の孤児院の方針で、手先の器用な子は大工や針子、身体が丈夫な子は兵士にと、みな独り立ちできるように支援しているんだ。
なかには出世し、大店の店主になる子や騎士になる子もいるんだよ」
「すごいですね」
思いもよらないジルの一面に驚くものの、その優しさにエリンは胸打たれた。
(貴族でも、こんな風に子どもたちを支援している人がいるんだ)
孤児と言ってもいいエリンは、自身の境遇を子どもたちに重ね合わせ、温かい気持ちに包まれた。
三日に及んだ家具の搬入作業が終わりを告げる。
食堂や応接室、ダニエルの居室や寝室。相応の家具が入り、部屋の装いが一気に様変わりした。屋敷本来の姿と役目を取り戻し、息を吹き返したと言っても良い。
いつダニエルが帰ってきても、寛げる空間は整った。
翌日。
今度は宝飾品や衣料品を扱う被服店の店主がやってきた。
客慣れした笑顔で揉み手をする店主は、エリンに向け恭しくこう告げた。
「日常着や訪問着の他、城で開かれる祝賀会のためにお仕立てしたお衣装をお持ち致しました。もちろんすべて国からのご依頼品。お代も国からすでに支払われております」
祝賀会と聞き、新聞で話題になっていた王家が開く夜会のことだとピンときたエリンは、被服店の店主を「よく来てくださいました」と迎え入れた。
被服店の店主曰く。仕立て済みの式典用衣装の他、日常着から寝衣、騎士服など、首都で暮らすに十分な衣類を準備し、首を長くして待っていたとのこと。
屋敷の修繕から家具の搬入が終わるまで倉庫に眠らせておかざるを得ず困っていたそうだ。
同じ苦言が三度も続くとなると、さすがのエリンも呆れるを通り越す。
ダニエルの無頓着ぶりを改めて実感したエリンは、こんな杜撰な主には、屋敷を切り盛りする使用人は絶対不可欠と決意を新たにするのだった。
多量の衣類を、店主は二日かけて運び入れた。
すべての衣装を納め終えると、店主はエリンにこう尋ねた。
「祝賀会の際には、ダニエル様の婚約者様も招かれると伺っております。お衣装も準備するように言われていますが、婚約者様はいずこにいらっしゃるのでしょうか」
不意を突かれ、エリンは答えに窮する。
婚約者としてやってきたのはエリンだが、おいそれと名乗り出ていいものか……。
なにせダニエルからは、出て行けと言われ、まったく歓迎されていない。言い換えれば、エリンが婚約者であるとダニエルは認めていないのだ。そもそものそもそも、彼にとって婚約者とは、はなから要らない存在だった。
だからと言って、いないと嘘もつけない。国からの依頼で伯爵家が婚約者を送り出したという純然たる事実はあるのだ。
歓迎しないダニエルと送り出した伯爵家。
二つの事情の板挟みとなるエリンは、どう答えるべきか考えあぐねる。
場を切り抜ける適切な答えを見いだせないまま、視線を泳がせた。
そんなエリンの困り顔を気が利く店主は別の意味でとらえた。
「わかっております。つい先日までこの屋敷は人が住める様相ではなかったときいておりますからね。婚約者様が、まだこちらにいらっしゃられていないのは当然でしょう」
「えっ……」
「しかし、これだけ手直しがなされれば、近々婚約者様もお見えになるはず。ですので、こちらに移り住まわれましたら、どうかお早めにご一報くださいませ」
「……。わかりました。後ほど連絡をさしあげます」
名乗らずに済むにこしたことはないと、エリンは店主がスマートに差し出してきた名刺をドキドキしながら受け取った。
上質な紙に、繊細なタッチで連絡先が記されている。
貴族向けに配る名詞だろう。
そうして、腰の低い店主は恐縮しながら帰っていった。
これ幸いと店主の勘違いに乗っかったエリンは、一人残され何とも言えない気持ちになる。
店主の勘違いにより名乗らずに済んだことが良かったのか悪かったのか。
手元の名刺をじっと見つめ、困ったとばかりに首を捻った。
明日は12時10分に予約投稿しています。
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