一章:四話:6
思索にふけるエリンの前に、店員がお待たせしましたと紅茶を運んできた。
目の前に空のカップが差し出される。
その横にミトンを被ったポットがそっと置かれた。
砂時計の砂が落ちきったら飲み頃ですと告げた店員が下がってゆく。
砂が落ちきった。
エリンはすぐにミトンを外し、空のカップに紅茶を注いだ。
紅茶の香りが広がり、鼻腔をくすぐる。人心地つき、口に含む。爽やかな後味が余韻にほっとする。
アメリアから教わったように、カップのつまみをしっかり指で支えて持ってみた。
折に触れて作法も思い出しておかねば忘れてしまう。
得られた知識や身に着けたことはいずれ役に立つかもしれない。
アメリアの教え方には疑問を感じるが、せっかく教わった内容は覚えていたかった。
紅茶を飲みながら、澄み渡る青空を眺める。
(ジルさんと会えなかったら、あと何日もつかな……)
日持ちする缶詰や卵はあっても、パンは今日の夜には尽きるだろう。主食がないのも味気ない。缶詰と乾物で空腹を満たそうと思えば数日持つだろうが、そんな食事は人間らしくなくて嫌だ。
しかしながら、小銭入れにはもう銅貨はない。
あるのは金貨のみ。
今日はこうやってお茶を飲みながら待つことができたが、明日はそのお金もない。
なんと心持たないことか。
(できたら、今日会いたいんだけど……)
毎日のように会っていただけに、どうして今日に限ってと悩ましくなる。
通りで造花を売り歩いていた少女が消え、代わりに新聞を売る少年が歩いてきた。
買い手を求め道行く人に声をかける少年に、わざわざ自ら声をかける紳士が現れる。
少年が笑顔になる。
一言二言言葉を交わすと紳士は新聞を購入した。
ハットを被るその立ち姿にエリンは目を見張る。
(ジルさんだ!)
スッキリした細身のシルエットは間違いない。
少し離れたところに付き人もいる。
がたっと椅子を押しのけ立ち上がったエリンは、両手をテーブルに押し付け、身体を乗り出した。
大声で名を呼びたい衝動を我慢し、代わりに気づいてと強く念じる。
顔をあげたジルがエリンを見つけた。
ハットをとり、にっこり笑む。
ぱっと表情を明るくしたエリンが、急いでテーブルを回りこもうとしたところで、ジルが片手をあげた。
滑らかな所作でかざされる手のひら。
その瞬間、エリンはぴたりと動きを止めた。
まるで命じられたかのように逆らえなかった。
エリンのそばにジルが歩み寄ってくる。
「珍しいね。こんなところでお茶をしているなんて」
愛嬌あふれる笑顔で、片手に新聞を持つジルがエリンの前に座る。エリンも再び椅子に腰かけた。
すかさず現れた店員に、ジルは珈琲を注文する。
「ええ、実はジルさんに頼みたいことがあって……」
新聞の見出しが目に留まり、エリンの声が小さくなる。
そこには『王妃候補やいかに』とでかでかと書かれていた。
「私に頼みたいことって?」
「あっ、そうなの。ジルさんにしか頼めないことなんです」
新聞に気を取られていたエリンがはっと我に返り、慌てて答える。
「へー、それはなにかな」
透き通るような新緑の瞳をジルは輝かせる。
「実は……」
エリンは金貨について正直に話した。
長旅に出た屋敷の主が金貨を置いていき、そのままでは商店街で使えないことや、両替をしたくても、使用人姿では両替商で門前払いを食らいそうだということを。
ただし、屋敷の主が聖騎士ダニエルであることは告げなかった。
最後に、金貨の両替を助けてほしいと切々とお願いする。
事情を把握したジルは、頬杖をついたまま苦く笑う。
「金貨をそのまま渡されたんだ……」
「ええ、そうなの。大金にびっくりしたわ」
「そりゃあ、驚くよねえ。取引になら金貨はわかるけど、日常に金貨はないよね。それで、今まではどうやって暮らしていたのさ」
「今日までは前職の給金で暮らしていたの。ただ、それも底を尽きてしまって……」
「なるほどね。それで金貨をどうにかしなくちゃいけなくなったわけだ。確かに、それは困るよねえ」
ジルは頬杖をしていた手を額に押し当て、軽くうつむくと重苦しいため息をついた。
「私の恰好では敷居が高くて……。門前払いされないか心配なのよ」
「わかるよ、わかる。うん、わかるとも。両替商は貴族や豪商しか行かない場所だからね」
眉間に皺を寄せ同情するジルは一呼吸置き、顔を上げた。
「お茶を飲んだら、行ってみよう。私の紹介なら、ちゃんと応対してくれるから安心して」
「よかった。ありがとうございます」
「いいんだ。これくらいお安い御用さ」
飲み終えたエリンとジルはカフェを出て、両替商の支店へ向かった。
両替商の階段を上り、重々しい入り口をくぐる。
威圧感漂う外観を抜けた先には、天井高の煌びやかなホールがあった。意匠が凝らされた太い柱が並び立つ内側に、弧を描くカウンターがある。顧客に対応しながら、奥では制服を着た行員がきびきびと働いていた。床は白地に茶色いまだら模様を刻む大理石で、歩くごとにコツコツと良い音を響かせる。
(外観もすごかったけど、別の意味で内装もすごいわ)
場違いという単語が頭のなかで明滅する。
肩をすぼめたエリンは、ジルの後ろに身を隠した。
ジルが立ち止まり、エリンも止まった。
さっと近づいてきた行員に支店長を呼ぶようにジルが言づける。
程なく、速足でやってきた支店長は自らジルとエリンを個室に案内した。
当たり前に奥の個室に通されるとは、やはりジルは高位の貴族に間違いない。
ミドルトン伯爵家でさえ凌駕する家門の方かもしれないとエリンは思った。
今更、よそよそしくもできない手前、胃がキリッと痛んだ。
テーブルにつくと、ジルと支店長が話し合いを始めた。金貨の両替だけでなく、エリン名義の口座も作ってくれることとなり、ダニエルから渡された金貨すべてを預ける話もついた。ジルの紹介ならばと、今後はエリンが一人で来てもいつでも対応可能なように手配までしてくれた。
あまりにすんなり話が進んだものだから、エリンは、もっと早く頼めばよかったと拍子抜けする。
無駄に悩んだ時間を惜しみ、少しだけ後悔した。
次話は明日14時20分に予約投稿しています。
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