一章:四話:4
翌日、修繕計画を立てた大工が弟子たちを引き連れてやってきた。
エリンは修繕内容をチェックしながら、屋根や壁の素材や塗装の色など最終的な打ち合わせを大工と行った。
貴族の屋敷がどういうものかよくわかっているエリンは、大工の問いにも淀みなく答えることができ、確認はとんとん拍子で進む。
同時に玄関扉の鍵交換も依頼し、明日には取り換えるという約束も取り付けた。
大工は弟子たちを指示し、足場を組んでの修繕を開始する。
すべてを修繕するには、約二十日かかるという。
これでもうエリンの出る幕はない。
彼らの仕事を邪魔しないように、今できる範囲の掃除をこなす。
とはいえ、自室と厨房を中心にした拭き掃除しかできないため、時間はかからない。
大工たちが一休みする昼時に、お茶を差し入れてから、エリンは再び商店街へ買い物に出かけた。
横道から住宅街を抜けて、通りに出る。
両替商の支店まできた。
歩きながら見上げる建物は相も変わらず厳めしい。
銅貨はいずれ尽きる。
金貨は近いうちにどうにかしなくてはいけない。
頭では分かっている。
分かっているが、いかんせん両替商は敷居が高い。
貴族然とした顧客が上り下りする階段を横目に、エリンは商店街へと足を進める。
商店街の角にある果物屋が見えて来た時、路上に席を設けるカフェから視線を感じた。
ふと横を向くと、昨日会った紳士がいた。
親し気に手を振る紳士に向け会釈したエリンは商店街へ歩みを進める。
そんな単調な日々が過ぎてゆく
日に日に屋敷の外観は見違えるように整っていった。
今日はここ、昨日はあそこと、目に見える変化にエリンの心は躍る。
そんなある日、いつものように買い物へ出かけたエリンは、両替商の階段を下ってきた紳士とばったり出くわした。
「やあ、またあったね」
人懐っこい挨拶に、エリンも「こんにちは」と返す。
紳士はいつも気さくに声をかけてくる。立場や身分を気にしない振る舞いに最初は驚いたが、恩人を避ける理由もなく、なし崩しで、道すがら世間話をする程度に親しくなっていた。
カフェに向かう紳士と商店街へ行くエリン。方向が同じため、並んで歩く。
「今日も商店街へ買い物? 毎日の買い出しって大変じゃないの?」
「保存がきかないものもありますし、一回で持てる量も少ないですから。今は必要な品が多く、買うべきものも多いんです」
「へえ。恰好からして、どこかの貴族のお屋敷で働いているのかと思ったけど、違うのかな」
紳士は好奇心あふれる両目を輝かせる。
「近いですけど、少し違います。あっ……」
あなたこそ……、と問いかけて、エリンは言葉をひっこめる。
紳士がにこやかに笑む。
「私の名はジルです。名前、わからないと不便ですよね。でっ、あなたの名は?」
「……、エリンです」
毎日挨拶しておきながら名前を知らないのも不自然な気がして、エリンも素直に答えた。
「エリンさんは忙しい時間をぬって、買い物に出ているのかな」
「まあ、そんなところです。ジルさんこそ毎日のように出かけているようですが、大丈夫なんですか」
「うん。私は次男坊だから」
「……」
「兄は忙しいんだけどね」
跡取りとスペアは違うと言いたいのだろう。
あからさまに言えないのは、彼が従者を二人も連れ歩く高位の貴族だからに違いない。
この国では長男が後を継ぐものと定められているため、兄弟で扱いが違うことはよくあることだ。伯爵家でも男児が二人いたが、例にもれず長男に厳しく、次男には少々甘いようだった。
ジルが暇なのも次男だからだと腑に落ちたエリンは、「事情があるんですね」と合いの手を打つにとどめる。
「うちの場合は少々複雑でね。公道では言えないことも多いんだよ」
ひそっと囁くジルがいたずらっぽく笑う。
エリンは素知らぬ顔で「大変ですね」と無難に答えた。
伯爵家でも私生児を隠していたように、どの家にだって言えないことの一つや二つはあるだろう。
貴族の隠し事なんて知っていいことは一つもない。
余計なことに首を突っ込みたくないエリンはジルの話を右から左に流し、すぐに忘れることとした。
同じ毎日を繰り返し、数日過ぎる。
とうとう屋敷の外壁と屋根の修理が終わった。
がらりと装いを新たにし、廃墟のようだった屋敷は白を基調とした小奇麗な建物へと変貌を遂げる。
修繕の合間に、大工たちが草むしりをしてくれ、庭や石畳も整えられた。
息を吹き返した外観からは、ゴーストハウスや夜盗の根城といった面影は微塵もない。
続いて大工は室内の改修に取り掛かる。
弟子たちが壊れた窓枠や天井板を廃材としてどんどん持ち出していく。
破れた壁紙を引っぺがし、役目を果たさないカーテンもあっという間に取り外された。
その間、エリンは大工と内装の最終確認をすすめる。
気分は屋敷の隅々まで取り仕切る執事そのもの。
伯爵家でみてきた古参の執事になりきり、大工との交渉を進めていくエリンからは、日を追うごとにきりりとした風格が漂い始める。
屋敷の修繕は順調に進む。
ポンプ式の井戸から上水道が整備され、邸内で水が直接使える設備が整えられた。
同時に下水道も整備され、浴場や厨房などの水回り関係の設備交換も行われた。
一世代前に姿を消した竈も最新式のコンロへと一新し、浴場にも瞬間でお湯が沸く機器が備えられた。
階段や床、天井もなおされてゆく。窓も取り換えられた。
壊れた階段の手すりが新たな支えを得て、本来の姿を取り戻す頃、壁紙の張替えも終わっていた。
機能性だけでなく、見た目もがらりと変わった邸内。
朽ちた箇所が取り除かれ、すべてが真新しく生まれ変わった。
隅々まで美しくなり、各所を見回るエリンの表情からは嬉しさが零れ落ちる。
(これでダニエル様がいつ帰ってきても大丈夫ね)
ダニエルが帰ってきたら、どんな顔をしてこの屋敷をみるだろう。
驚くのか、喜ぶのか、呆気にとられるのか。
喜んでくれたら一番嬉しいと、エリンの胸に期待が大きく膨らんでいく。
修繕が終わる目途がたった頃、とうとう給金が底を尽きた。
小銭入れに残るのは、金貨一枚とわずかな給金。給金の残額はざっと見ても、果物屋の店先で売っている串を三本買えない額である。
(さすがに、もう駄目ね)
そろそろ金貨を両替しないと暮らしがたたない。
両替商から出てきたジルの姿が脳裏を過る
親切なジルなら助けてくれる。そんな気がした。
仕事着のエリンにも気兼ねなく声をかけるジルは、路上で日銭を稼ぐ子どもたちにも優しかった。造花を売る少女からは造花を買い、道の隅で靴磨きをする少年には靴磨きを頼む。気さくに世間話をしながら、笑うあう姿をよく見かけた。
(ジルさんは放蕩息子かもしれないけど、悪い人ではないわ。金貨の両替を助けてほしいと誠心誠意頼めば、きっと手を貸してくれる)
親切なジルが二つ返事で助けてくれるイメージが浮かんだ。
助けを乞おう、もうそれしかない。
そう心に決めたエリンは、ダニエルからもらった金貨の小袋をポケットに押し込み、日課の買い物へと出かけたのだった。




