一章:四話:3
両替商の門前を通り過ぎ、エリンは商店街へと歩き始める。
角の果物屋はすぐに見つかった。
店先に並ぶ色鮮やかな果物を横目に進む。
商店街は夕食の食材を求める人々で賑わっていた。
人込みに紛れ、各店を回る。
調味料や食材だけでなく、多種多様な日用品も並んでおり、生活するために必要な商品が売っていた。品ぞろえの豊富さに心が弾む。
(いい商店街を教えてもらえたわ)
いくつかの店を回り、調味料と新鮮な野菜と肉を購入した。
持ってきた袋が重くなり、これが最後とパン屋に立ち寄った。
店頭でパンを選び、小銭入れから支払う。
金貨をつまんで避けながら、奥にある銅貨を取りだした。
購入した温かいパンを抱けば甘い香りに包まれる。
心地よさにうっとりする。
さっきより軽くなった小銭入れを握りしめ、エリンはもと来た道を引き返す。
歩くごとに心細さが増してゆく。
ここは平民が利用する商店街。
金貨どころか銀貨を出されたってお釣りに困る店しかない。
となれば、いかに価値があったとしても金貨しかなくなったら、無一文と同等だ。
今日は給金でまかなえたが、それも長くはもたない。
遠くない未来、銅貨が尽きるのは目に見えている。
金貨を崩さなくてはいけない日も近い。
(両替商にも、いかなくちゃ……)
気乗りはしなかった。
ポケットに小銭入れを仕舞う。空いた手で、悩まし気にこめかみを抑えた。
(行けばなんとかなるかしら。なんで金貨を持っているとやっぱり危ぶまれるのかな。屋敷の主に両替を頼まれたと言えば通るかしら。盗んだと疑われないか心配だわ)
通りと商店街の角にある果物屋が見えてきた。
さっき通り過ぎた際、店の一角で、果物を刺した串を飴でコーティングし、売っていたことを思い出す。
(こういう時は、甘いものでも食べよう)
果物屋にエリンは近ずく。
店先にいた店主に、エリンはブドウが連なる串を頼み、ポケットから小銭入れを取り出した。
重い布袋を肘にかけ、小銭入れの口を開けようとした時だ。
どんと背中が押された。
わっとエリンがバランスを崩す。
よろめいたところで、横から伸びてきた手に小銭入れがかすめ取られた。
小銭入れが盗まれた!
引いていく手を目で追えば、逃げ去る男の背が見えた。
その背はどんどん小さくなる。
「待って! その小銭入れには!」
(ダニエル様からいただいた金貨も入っているのに!)
逃げ去っていく盗人に向けて、エリンが手を伸ばそうとした瞬間。
右から飛んできた何かが、逃げる盗人の側頭部にぶち当たった。
ガン! と、乾いた高音が響く。
盗人が左にすっころんだ。
右側から現れた体格のいい男性が倒れた盗人に覆いかぶさった。
あっという間の捕り物劇に、エリンだけでなく、ブドウの串を持った果物屋の店主まで唖然と見つめる。
さらにハットを被った男が悠々と登場したらば、路上で盗人を抑え込む男からエリンの小銭入れを受け取った。
「それは!」
エリンが叫ぶ。
声に反応したかのように紳士が振り向いた。
淡い緑眼と視線が合う。
透き通る視線に気圧されエリンは息をのむ。
笑みを深め、紳士がエリンに近づく。
小銭入れを持つ手とは反対側、もう片方の手でハットを取る。
秀麗な面立ちにエリンは目を見張った。
歩み寄ってくる紳士が、エリンに向かって柔和にほほ笑む。
紳士の背後で、捕まった盗人が連行されっていった。
両替商から出てきてもおかしくない装いの若い紳士がエリンの目の前に立った。
「お嬢さん」
人懐っこい声音で、歌うように呼びかける若い紳士。
長年、貴族の家で働いてきたエリンは、彼がそれ相応の身分の男性だとすぐに勘付いた。
もし伯爵邸で鉢合わせしたならば、恭しく一歩引くところだが、ここは公道。
どういう態度をとるべきか、計りかねた。
「この小銭入れ。貴女の物ですよね」
「……はい」
「どうぞ、お返しします。お嬢さん」
紳士がエリンの胸元に小銭入れをかざした。
エリンは両手で小銭入れを包み込む。
紳士が摘まむ手を離せば、かちゃりと軽い音を響かせて、小銭入れがエリンの手に戻ってきた。
受け取ったエリンは、改めて紳士に目を向ける。
着こなすのはきめの細やかな生地で仕立てられた、皺一つないスーツ。シンプルな装いだが、明らかなるオートクチュール。体躯は細身でも、ダニエルと同じくらい高身長だ。
色素薄い髪は毛先を少し遊ばせながらも、奇麗に整えられている。
遠目から見ても明らかに秀麗な容貌は、近くで見ると柔和さに加え、凛々しさを醸す面立ちであった。
(この方、絶対貴族よね)
一見すると高級感乏しい単色のスーツであるが、よく見るとキラキラと輝く細いストライプが入っている。伯爵もそうだが、長年領地を治める由緒ある貴族の日常着はわりと地味だ。夜会や観劇など、社交場に出るときには煌びやかな衣装を身に着けるものの、普段の恰好はどこにお金をかけているか、一目ではわからないことが多い。
(絶対に、高位の貴族。もしかしたら伯爵以上かも)
タイを止めるピンにはさりげなく赤い宝石が埋め込まれている。ルビーかガーネットか。その宝石を中心に流線の文様が細かく彫られており、高度な技術を持つ細工師の一品だと見て取れた。靴もつやつやと光り、汚れ一つない。袖口からちらりとのぞく時計のふちに、白色光の輝き放つ宝石が散りばめられていた。一点だけ華美を添えているのは、気づく者だけ気づけばいいという表れだろう。
「よかったね、戻ってきて」
紳士の柔らかい笑みに、エリンは現実に返る。
貴族であろうと、取り戻してくれたことに変わりはない。
お礼を言わねばとエリンは深く頭をさげた。
「ありがとうございます。取り戻してくれて。本当に、ありがとうございます」
「どういたしまして。ちょうど、道沿いのカフェテラスでお茶をしていた時に目撃してしまったからね。見てしまった以上、見て見ぬふりはできないよ」
「助かりました。ありがとうございます。本当になんとお礼を言ったらいいのか」
この金貨はダニエルが身を挺して国土を守り抜いて稼いだお金である。
決して軽く扱って良いような金貨ではないのだ。
大事に扱わねば、罰が当たる。
(小銭入れが戻ってきてくれて本当によかった)
その場でもう一度深く頭を下げ、エリンは帰路に就いたのだった。




