一章:四話:2
屋敷を一通り見終えると大工は帰って行った。明日も同じ時間に来ると約束して。
一人になるなり、これで住めるようになると、エリンは嬉しくなった。
狙いすましたかのようにお腹が鳴る。
朝食を済ませてから何も食べていないことを思い出した。
腹ごしらえをしようとエリンは厨房へ向かう。
厨房に入ると、真っ先に消えかけた竈に新たな薪をくべた。
新しい薪に火が纏わりつく。
ふいごで風を当てれば、ばちばちと音を立て一気に炎が大きくなった。
棚に目を向ける。
悲しいかな、目ぼしい食材がまるでない。今あるのは卵と硬くなったパンだけだ。
エリンはボウルに卵を溶き、パンを一口大にちぎって浸した。火にかけたフライパンにオイルを振る。熱したところで、ボウルから溶き卵が絡むパンをぼとぼとと落とした。じゅうじゅうと音を立てて卵に包まれたパンが、香ばしい香りを放ち焼けていく。
(このまま暮らすには、食材どころか何もかもが足りないわね)
伯爵家から持ってきた掃除道具だけでは、この屋敷を綺麗に保てない。
食べ物だけでなく、日用品含め一切合切不足している。
(まずは食材。それから日用品に掃除道具。そろえなくちゃいけない物がたくさんあるわ。到底、一日では買って帰れないわね。
それでも、最優先は調味料と食料よ! 食べられなければ、なにも始まらないもの。
しばらくの間は野宿よりましと思ってやるしかないわ)
フライパンを火から離し、料理を平皿にざっと盛った。卵が絡まった一口大のパンをフォークで刺し、ふうふうと息を吹きかけて冷ます。食めば、味気ない卵の味しかしなかった。
(砂糖どころか塩もないなんて。山小屋でだって、もう少しましな食料を備蓄しているわよ)
質素を通り越したダニエルの暮らしぶりに、半ば呆れながらエリンは遅い昼食を終えた。
お腹を満たしたエリンは、部屋へ戻る。
修繕箇所を大工と見て回った際に、世間話をしながら聞いた商店街。そこへ行く準備のために戻るのだ。
入った自室で鞄を漁る。給金を入れた小銭入れとダニエルからもらった金貨入りの小袋を探し出した。金貨を一枚だけ小銭入れに忍ばせる。金貨入りの小袋は鞄の奥に仕舞いこんだ。
ポケットに小銭入れを入れる。金貨一枚増えただけだというのに、なんとなく、いつもよりずっしりくる。
生きている間に金貨に触れることなどありえないと思っていただけに、ありがたさよりも恐ろしさが勝った。
さらに鞄から引っ張り出した麻袋を肩に引っ掛けたエリンは玄関へと引き返す。
外に出ようとして、鍵がないと気づいた。
(どうしよう。金目のものにあたるのは金貨だけど……。こんな屋敷に押し入る盗人もいないだろうから。大丈夫とは思うけど……)
思案しながら扉を開く。金具の重みを感じることなく、軽く開いた。
そういえば扉を開く際に金属音がしないことにエリンははたと気づく。
すかっと扉が開くのはなぜか。かがみこみ、よくよく見れば、鍵穴にえぐられたかのような跡があった。確かめるため、室内側にあるつまみをひねっても空回りするばかり。内側の金具とかみ合っていないようだ。鍵を閉めるかどうか以前に、鍵そのものが壊れていた。開いたり閉じたりするなか音が鳴っていたのは蝶番だ。
話にならないとエリンは閉口する。
(屋敷の壊れ具合と一緒ね。鍵まで壊れているなんて……。ということは、今までずっとここは扉が開いたままだったのね)
夜盗めいたダニエルのいでたちが脳裏に浮かぶ。
出かける折も、使い古された鞄を肩に引っ掛け、泥水の染みが落ちていないほど薄汚れた古着を着ていた。
腰に佩く剣だけが異様に立派で、あれでは剣を盗んできたと疑われてもおかしくない。
この屋敷だって、首都に潜む夜盗の根城と言われた方がしっくりくる。
容貌は気にしないと誓ったものの、この屋敷とセットではあまりに酷い組み合わせだ。
「まっ、このお屋敷が夜盗の根城でいられるのも今だけよ」
明日も大工がやってくる。
一月後には見違えるほど屋敷は奇麗になっていることだろう。
鍵の交換も頼まなくちゃと気を取り直し、エリンは商店街へ向かって歩き出した。
馬車を走らせてきた正面の道とは別の、敷地に沿って続く横道を進む。大工によると、この横道をまっすぐ進むと平民の住宅街があり、そこを抜けると大きな通りに出るそうだ。通りに出たら左に曲がって、しばらく行くと商店街があるらしい。
角に構える果物屋が目印だと言っていた。
徐々に道幅が狭くなってゆく。気づけば四階から五階建ての細長い民家が隙間なくひしめき合う区画に入っていた。
道の上を、窓の柵に引っ掛けるように紐が渡され、洗濯物が干されている。子どもたちが元気よく走りぬけ、女性たちが世間話をし、笑いあっている。道沿いにポンプ式の井戸があり、縁に座る老人が憩いを得ていた。小さなベランダにかかる花々、玄関先に飾られた鉢植えなど、雑多な生活感があふれていた。
(少し歩くだけで雰囲気ががらりと変わるのね)
ダニエルの屋敷周辺だけ、なぜあんなにも人気がないのか。
不可思議に感じながら、エリンは歩を進める。
住宅街の狭い道を抜け、大きな通りに出た。
広い道の中央を馬車が行き交い、建物沿いを人々が往来する。平民だけでなく、小奇麗に着飾った人々も散見された。商品を華やかに飾った店が目立つ。
左に曲がる。しばらく歩くと両替商の支店があった。
足を止めたエリンは、重々しい石造りの建物を見上げた。細い小窓が均等に並ぶ石壁の四角い建造物は、物々しさを漂わせる。
出入りしているのは、ハットを被る男性やステッキを肘にかける老紳士、日傘をさす身綺麗な夫人といった、道行く人々のなかでもひときわ身なりの良い富裕層ばかりだ。明らかに貴族や豪商という特権階級しか利用しない店舗である。
(一月暮らすには、金貨を両替しないといけないんだけど……)
両替商の階段を上り切った先には、黒々とした鉄で縁取られた重厚な木製扉が見えた。開いた扉の左右には警備員が立っている。制服をぴっちり着こなす姿からは、場違いな者はつまみ出すぞという貫禄が漂う。エリンが仕事着で足を踏み入れようものなら、野良猫のように捕まえられて、門前払いを食らいそうだ。
(場違いもいいところね)
金貨を忍ばせる小銭入れがずんと重みを増す。
アメリアから下げ渡されたおさがりを着てくれば、少しはさまになるかもしれない。しかし、着飾った姿で、先ほど通ってきた住宅街を、すまして歩く気にはなれなかった。
(大金を渡されても、どうしていいかわからないものね)
差し当たっては伯爵家で働いて得た給金で暮らせるだろう。
(今は食べ物がないことの方が大問題。お金より食料確保が先決よ)
食べ物がなければ、生きるに困る。
飢えて死ぬなど、考えたくもなかった。
今日と明日は一日二回投稿します。予約投稿は済んでいます。
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