一章:三話:4
「何をしている!」
背後から怒声が響いた。
エリンが後目を扉へ向ける。
扉近くに、鍛錬を終えたダニエルが立っていた。
上半身裸のまま、髪からはぽたぽた水滴を滴らせている。水場にて、頭から水を被り、体だけ軽く拭いてきたかのようであった。
突然邪魔が入っても、慣れた体は自然と動く。エリンはフライパンを返した。奇麗な形のオムレツがふっくら皿に盛り付けられた。
「おい、なにをしていると聞いているんだ」
怒りを露わにダニエルは髪に隠れる目をぎらぎら光らせる。
勝手にしろと既に言質をとっているエリンは、怖気づくことなく、オムレツを盛り付けた皿をダニエルに向けた。よく見えるよう彼の眼前にかざす。
「勝手にしていいと言われたので、朝食を作っています」
「はあぁ!」
「ちょうど、今出来上がったところです。コンビーフのオムレツです。温かいうちに食べてほしいので座ってください」
「昼飯は外で食うぞ!」
「これは朝食です!」
怒鳴る相手に煽られ、エリンの口調も鋭くなる。しかし、動きは止まらない。
フライパンを置いたエリンは、オムレツを載せたお皿を調理台に滑らせた。ダニエルの手前あたり、手の届く位置に置く。
無言のダニエルはエリンの作ったオムレツを凝視する。
卵とコンビーフが混ざった香りが空腹を刺激したのか、ダニエルは近くにあった丸椅子を荒々しく引き寄せた。昨日のように調理台をテーブル代わりにして席につくなり舌打ちする。
間髪入れず、エリンはオムレツとお皿の間にスプーンを差し入れた。
「これを食べたら、俺は支度をして出かける」
「はい」
エリンは一歩下がった。
口に合わないと言いたげな雰囲気でダニエルが食べ始める。
邪魔をしないようエリンは待つ。
美味しいと言ってほしいわけではなかったが、まずいと突っぱねられるのは切ない。
それでも、一番辛いのは、食べてもらえないことだろう。
だが結局、ダニエルは完食した。食べ終えるなり立ち上がり、踵を返す。
その背に向け、エリンは告げた。
「昨日の缶とフォーク。片づけてくれて、ありがとうございます」
ぴくんとダニエルの背が微かに跳ねる。
しかし、歩は緩めず、無言で厨房から出て行った。
お礼を言え、ほっとしたエリンは残された皿に目を向けた。
ご馳走様といった言葉の労いはなかったものの、お皿は真っ新になっている。
(まずくはなかったってことよね)
エリンの頬が緩む。食べてくれた。今はそれだけで嬉しかった。ここにいることを許されたかのような気持ちに包まれ、ほっとする。
ダニエルが出ていった厨房で、残った卵液を用い、エリンはもう一つ自分用の朝食を作り始めた。
貴族の娘なら、こんな結婚生活はない! と、悲鳴をあげそうな境遇ではあるが、料理を作り、掃除をして、洗濯をするとなれば、エリンからすれば今までとまったく変わらない。伯爵家でやってきたことと同じことをすればいいだけだ。
となれば、エリンにとっては、むしろ気楽。
アメリアに怒られながら、付け焼刃で施された教育がなんだったのかと拍子抜けしてしまうものの、今まで知らなかったことを知れて良かったと思えば損はない。
(使用人としてここにいるのも悪くないわ。むしろ、私にはあっているかも。なにせ尊敬する人に仕えられるのよ。こんなありがたいこと、もう二度とないわ)
勝手にしろというダニエルの言葉を、エリンは好意的に受け止めることとした。
朝食の後片付けを終えたエリンは、どれぐらい掃除し、修繕しないといけないのか確かめるために、屋敷内を探索しようと廊下に出た。
(昨夜見た限りでは、そうとう壊れているように見えたけど……)
暗がりで見るのと太陽が輝く昼間に見るとでは、まったく違う印象になるだろう。
廊下、玄関ホール、階段、二階と順に見て回る。
どこかしこも壊れ具合は半端なく、痛々しいほどであった。細部に及ぶ、想像以上の破損状況に目を逸らしたくなる。思わず、ため息が漏れた。
(ダニエル様が厨房周辺で寝泊まりしているわけだわ。これじゃあ雨除けにもならないもの。こんな壊れかけの建物を与えるなんて! 国は何を考えているのかしら。信じられないわ)
どこからどう見ても、お金を払って修繕するしかないのは明白だ。
(ベランダの柵とか、階段とか、もらった金貨でなおせるものかしら。もしかして、あの金貨って修繕費こみだったりするのかな)
考えながら階段を降りきった矢先。
旅支度を済ませたダニエルが玄関ホールに現れた。
エリンを見つけた途端、ダニエルはあからさまに嫌そうな顔をした。
屋敷の主が不機嫌であることなどよくあることだ。いちいち、使用人が気を揉んでも仕方がない。そう割り切るエリンは、見送るためにダニエルに近づいた。
「おでかけのお時間でしょうか」
「そうだ」
ダニエルはむっつりと呟く。
「一か月は戻られないそうですね」
「そうだ」
エリンから視線をそらしたダニエルは扉へと目を向ける。
そんなダニエルの横顔にむけ、エリンは深く頭を下げた。
「いってらっしゃいませ、ダニエル様」
数秒静止し、頭をあげる。
奇妙なものでも見るようなダニエルの視線とかちあった。
なにか変なことをしただろうかとエリンはきょとんと上目を向ける。その仕草がまた気に入らなかったのか、舌打ちしたダニエルは背を向けて歩き出す。
扉を開けて出ていく直前、ダニエルは足を止めた。床を見つめ、天井に目を向ける。
エリンの対角へ視線を投げたダニエルが、ぽつりと、
「行ってくる」
掠れた声で呟いた。
いつも続けて、読んでいただきありがとうございます。
四章20万字強、すでに書きあがっているので、休み明けから複数話投稿に徐々に切り替えていくよう予約投稿設定しています。
十月からは一日四話投稿になります。是非この機会にブクマして、読んでいただけたら幸いです。




