一章:三話:2
「一人で暮らせるのならな」
そう言うなりダニエルはあざけるような表情でエリンを見下してきた。
エリンは冷静に、貴族の令嬢としか見られていないのだと察知する。
どこまでもつかなと心の内で揶揄し、試すかのようなダニエルの表情を見つめるエリンは、彼の過去になにがあったのだろうかと思考を巡らす。
問いの答えはすぐさま浮かんだ。
『貴族が嫌い』
壊れかけの屋敷を与えられている様を見れば一目瞭然だろう。
もしかすると奴隷出身という背景から都合よく利用されている自覚がダニエルにもあるのかもしれない。
(私だって貴族は好きじゃないわ。きっとダニエル様も一緒なのね)
いない子として扱っていたエリンを、利用できるとなれば利用する伯爵。
血のつながっているとは思えないほど厳しいアメリア。
素知らぬ顔で、母を隅に追いやった伯爵夫人。
今になってみれば、嫌な人ばかりだったと痛感する。
気づいてしまえば虚しいばかりだ。
伯爵を父とみることもアメリアを異母姉とみることも生涯ないに違いない。
息が詰まる屋敷で、家族とも異母姉妹とも言えない人々に仕えて生きる。
そんな不毛な未来をエリンは断ち切ったのだ。
ダニエルほどの実力はないにしても、エリンはエリンなりに、新しい未来をつかんでここにいる。
(伯爵邸に比べたら、壊れているとはいえ、ここは良い家。ううん、気持ちの上では天国そのものよ。大丈夫。私ならここで暮らせるわ。暮らしてみせる)
エリンは、調理台に投げ出された小袋を拾った。
ぎゅっと小袋を胸に抱く。
ずっしりとした重みは、ダニエルの努力の賜物だ。
「俺は一か月戻らない。暮らせるというなら、その金で暮らしてみろよ」
エリンの心根を分からないダニエルは、さっきと同じ調子で吐き捨てる。
そんな彼の不機嫌な様子を伺いながらエリンは小袋を開いた。
途端にエリンの両目が見開かれる。
(なに! なんなの、この金額は!)
入っていたのは金貨五枚。
平民の暮らしで、金貨を目にすることはない。銀貨だって、家を買う、結婚式を挙げるといった、人生の一大イベント時に見かけるぐらいだろう。日常は銅貨と決まっている。伯爵家の給金だって銅貨で支払われていた。
エリンはしげしげとダニエルを見つめた。
「なんだ」
「いえ……。ありがとうございます。これで暮らさせてもらいます」
小袋を諸手に包み胸元に寄せたエリンが頭を下げる。
ダニエルはふいと横を向いた。これ以上は話すつもりもないとばかりに何も答えず、つまみをかじって酒を呷る。
話しかけるなという雰囲気を察したエリンは、そろそろと音をたてないように動き、棚にある缶詰とパンを手に取った。棚を見回すとカトラリーと皿もある。洗い物を増やしたくないエリンはフォークだけを手にした。ダニエルの様子に気を配りながら再び調理台へ戻る。
(勝手にしろというのだから、勝手にさせてもらうわ)
節操なしに見られるかもしれないが、所詮エリンだってダニエルと同じ奴隷あがりの平民だ。張りぼてのまがいもの令嬢もいいところ。はばかることはなにもない。
缶詰を開け、フォークでつつきながら、パンを食べた。なるべく音をたてないように、息を殺して平らげる。空いた缶はフォークとともに調理台の隅に残した。片づけるのは明るくなって、調理場全体を検めた後だ。
ダニエルに形式的な挨拶をして、エリンは厨房を出た。
窓越しの空は昏黒へと様変わりし、刻々と真夜中に向け針を進めていた。
部屋に戻ったエリンは、鞄から取り出した寝間着に着替えた。アメリアから下げ渡された衣装は奇麗に畳んで鞄の上に置く。
もう一度敷布の具合を確かめてから、エリンはベッドに横になった。木目が目立つ天井を見つめる。目まぐるしい一日にどっと疲れがあふれてきた。慣れない服を着、乗ったことのない馬車に揺られて移動したからかもしれない。尊敬する人と予想外な初対面を果たしたからかもしれない。
ダニエルは、明日の昼前には出かけると言っていた。
(朝ご飯、作りたいな。見送りもできたら……。明日からちゃんと起きて、働かないと……。なにせここには使用人が、一人もいないのだから……)
考えを巡らせているうちに意識は途切れ途切れとなり、あっという間に、エリンは深い眠りについたのだった。
翌朝。
破れたカーテンからさしこむ光が瞼にかかりエリンは目覚めた。
すばやく飛び起きたところで、ぴたりと動きを止める。
壁や天井の荒い木目。ほこりが溜まった隅に張る蜘蛛の巣。穴が開いたカーテン。
射しこむ光により照らし出された室内を見つめ、ここがどこかを理解した途端に肩の力が抜けた。
(そうだ。ここは伯爵家のお屋敷じゃないんだった)
部屋の入り口近くには、留め具が美しい、不釣り合いな革製の鞄が二つ並んでいる。アメリアの不用品を持たされたというのに、それがあまりにも立派に見え、エリンはふっと笑ってしまう。
枕元に置いていた金貨入りの小袋を手にし、旅行鞄に近づく。両手に包む金貨がずっしりと重い。歓迎されていないことを物語る重さが足裏を地面に縫い留めた。
(ダニエル様は勝手にしていいと言っていたわ)
その一言に救われる。追い出されずに済んだ、その安心感をかみしめた。
(大丈夫。きっと、大丈夫。ずっと伯爵家で働いてきたんだもの。執事にメイド、料理人や庭師まで、いろんな人の仕事を手伝ってきたわ。経験がきっと私を助けてくれる。大丈夫よ。きっと、なんとかなるわ)
エリンは鞄から伯爵邸で使っていた仕事着を取り出し、手早く着替えた。
金貨が入った小袋を鞄の奥に押し込み、かわりにゴム紐を取り出すと、髪を一つに束ねて前を向いた。
(まずは朝食を作くろう。それから、出かけられるダニエル様のお見送りもしなくちゃ)
すべきことに目をむけてエリンは部屋を出た。
朝日が射しこむ廊下を進む。
窓の向こうに影が揺れた。
エリンの足がふと止まる。
窓枠に手をかけて、ひび割れたガラス越しに外を見やる。
目を凝らすと日の光を浴びる上半身裸のダニエルがいた。
長剣を振るい、前後左右に同じ足さばきを繰り返す。律動的なモーションは力強くもあり軽やか。洗練された動きに鋼のような無駄のない筋肉が躍動する。
伝う玉の汗が輝きを放って散るなり、ぴたりとダニエルが動きを止めた。
かと思うと、長剣を振り上げ斜めに振り下ろす。
エリンがとらえることができたのはそこまでだった。
刃の残像が幾筋か流れると、あっという間に態勢を変えたダニエルが、長剣の切っ先を地面すれすれで止めていた。
一呼吸、彫刻の様に静止し、剣を鞘に納める。
エリンは息を飲んだ。
見惚れる程美しい、獰猛な獣を連想する動きを目の当たりにし、感極まる。どれだけ鍛錬すれば、あんな境地に至るのか。想像さえもできなかった。
しっかりと両足を地に着け、汗を滴らせるダニエルの横顔から目が離せなくなる。
深い呼吸を繰り返すダニエル。艶光る盛り上がった筋肉が、呼吸とともに上下に動く。じっとりと汗に濡れた髪を頬に張り付け、払いもせずに立っている。
(なんて、奇麗なの……)
天を仰いだダニエルが、両目を閉じた。
見惚れていたエリンがはっと我に返る。
ダニエルは再び、エリンに気づくことなく、抜いた剣を振り上げ、規則的な鍛錬を始めた。
頬を両手で包みこんだエリンは逃げるように厨房へと向かった。
厨房に入るなり、はあと息を深く吐く。
頬は熱くなり、胸はドキドキしていた。
あれこそまさにダニエルの本当の姿なのだ。酔っ払った夜盗の面影など一つもない。彼本来の姿。
乱れた髪さえ、惚れ惚れする。
散らす汗が陽光を受けて煌めけば精悍な姿形を際立たせる。
(すごい……)
本物の聖騎士に仕えることができる実感がわきあがり、エリンは打ち震えた。




